歴史
起源
日本語の起源は明らかではない。日本語の起源が解明される目途も立っていない。
いくつかの理論仮説があるが総意にいたらない。朝鮮語は、文法的近似性はあるが、基礎的な語彙を大きく異とする。朝鮮半島の死語である高句麗語などとは共通点が認められるが、データが非常に限られているため確かなことは言えない。音韻体系や語彙は、南方系のオーストロネシア語族との近似が見られるが、関連性は分かっていない。
現在では、南方言語を基層とし、北方系のアルタイ語族の文法が混交し、さらに弥生時代以降朝鮮系の言語が流入して日本語の基礎が形成されたとする説が主流である。これは生物学的手法などから見た日本人の構成とも整合するが、今のところ確証は与えられていない。
アルタイ語族に属するのではないかという根拠としては、(借用語でない)本来語の語頭に流音(ラ行音)が立たないことがある。例えば尻取り遊びで、ラ行で順が回ってくると苦労することからもわかる。
他にドラヴィダ語族との関係を主張する意見もあるが、ほとんどの学者は認めない。大野晋は日本語の多くの語彙がタミル語に由来するという説を唱えるが、比較言語学の方法上の問題から批判が多く、否定的な見方が多数を占める(詳細はタミル語、日本語の起源を参照。)。
なお、1世紀頃から、漢字と共に古典中国語からの借用語が大量に流入した。現在、語数の上では漢語が和語を上回る。古典中国語は語彙の面で日本語に大きな影響を与えた言語の一つだといえよう。梅(ウメ)や馬(ウマ)といった一部の和語ももともとは古典中国語からの借用語であったと考えられる。
古来の日本語
かつて中央で使用されていた語彙が地方に残るという現象が、日本語に認められる(これを方言周圏論または周圏分布と呼び、柳田国男が「蝸牛考」で指摘している)。そのため、方言と古文献を調べることによって、かつての日本語を再現する研究が行われている(比較言語学および内的再構参照)。
音韻変化
橋本進吉が再発見した上代特殊仮名遣から推測して、奈良時代以前の日本語は8母音であったとする説が有力である(8母音を初めて発見したのは、本居宣長の弟子石塚龍麿であった)。これは、『記紀』や『万葉集』などの表記を調べると、イ・エ・オの表記に甲類・乙類の二種類が存在することを根拠としている。この8母音は平安時代には消失したとされる。また、日本語の語彙における母音の出現の仕方は、ウラル語族・アルタイ語族の母音調和の法則によく合致するとされる。
戦国時代に当時の日本語の発音をそのままローマ字化した『伊曽保物語』(『イソップ物語』)が作られており、これにより当時「は行」の文字を「Fa, Fi, Fu, Fe, Fo」で転写されているため、「ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ」に近い発音であったことが分かる。なお、奈良時代(もしくはそれ以前)の「は行」の子音の発音は「p」であったと見られる。平安時代以降、語中語尾のハ行がワ行に変化するハ行転呼が起こっている。またジ・ヂ・ズ・ヅの四つ仮名も異なるローマ字が使われており、古くは別々の音価をもっていたことが分かる。また「セ・ゼ」は「xe, je」で表記されており、現在の「シェ・ジェ」であったことも分かっている。
鎌倉時代・室町時代には連声の傾向が盛んとなった。連声とは音節末子音と次音節の母音が結びつくもので、例えば銀杏は「ギン」+「アン」で「ギンナン」、雪隠は「セツ」+「イン」で「せっちん」となる。助詞「は」においても「人間は」は「ニンゲンナ」となり、「今日は」は「コンニッタ」となった。またこの時代に拗音が日本語の音韻として確立している。さらに長音が生じたが、現在の「オー」にあたるオ段長音には「あう」で表記された開口音[ɔː]と「おう」で表記された合口音[oː]の区別があった。
江戸時代になると、ハ行の音価がフを除いて[φ]から[h]へと代わった。「セ・ゼ」は関東音であった/se, ze/が標準音となった。また四つ仮名の区別が失われ、合拗音「クヮ・グヮ」が直音「カ・ガ」に統合された。オ段長音の2種類も統合された。
現代になるとガ行の語中音であった鼻濁音が失われ、語頭と同じ破裂音の[ɡ]か摩擦音の[ɣ]に取って代わられつつある。また外国語(特に英語)の音の影響でキェ・ギェ・シェ・スィ・チェ・ジェ・ティ・ディ・デュ・トゥ・ドゥ・ヒェ・ファ・フィ・フェ・フォ・ツァ・ツィ・ツェ・ツォ・ウィ・ウェ・ウォ・ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォといった音が定着しつつある。
表記
他の近隣諸国と同様に日本語も古典中国語の甚大な影響をこうむっている。陸続きのベトナム、朝鮮半島に比すればその影響は やや軽微だったがそれでも日本語の語彙のうち50パーセント以上が古典中国語からの借用語及びそれを基に日本で作り出された和製漢語である。
古墳時代、奈良時代、平安時代までは古典中国語の文語(漢文)が朝廷の用いる公の言語であり(これはベトナム、朝鮮半島と同様。)、当初それは中国音で読まれた。しかし日本語と中国語の音韻体系の隔離は激しく、日本語のそれでは中国の漢字音を高い精度で模倣できない為しだいにこの方法は廃れていった。 替わって現れたのは、漢文に日本語として必要な文法的指標(助詞、助動詞、送り仮名など)を付け加え、一部の漢字に大和言葉を訓として当てはめる事で日本語として読む方法であった。これを漢文訓読と呼ぶ。日本語固有の部分は漢字の音を借りた万葉仮名で表された。(後に片仮名に替わる。) 一方私的な領域では純和風体の文章が書かれた。和歌などでは大和言葉を中心とし、それを万葉仮名で記す方法が取られる。 やがて平安中期になると、平仮名、片仮名が発明され、これを機に日本語の表記方法は大きく進歩することになる。 平仮名の発明はそれまで文章を書くことから遠ざけられてきた女性達の文学への参加を促し、豊かな国風文学を生み出したのである。
片仮名は万葉仮名に替わって漢文の訓読の際日本語固有部分を表記する際に使用されたが、やがて純正な漢文及びその訓読は廃れ、和風漢文(中国の古典語が日本語との言語接触で変質した書記言語)を経て公では漢文訓読体の文章が使われたが、その中では既に現在の漢字かな混じり文の原型ともいえる表記が使われている。やがてこの二つの流れが合わさり和漢混交文が完成された。漢字、片仮名、平仮名を交えたこの文体は現在の日本語表記の基本となっている。
現在は漢語に漢字、外来語(通常漢語を含めない)に片仮名、和語に漢字または平仮名を用いるのが原則である。ただし送り仮名や仮名遣い(歴史的仮名遣いと現代仮名遣い)、漢字の字体(正字体と常用漢字表の字体)、混ぜ書きなどの諸問題による混乱が見られ、いわゆる正書法は存在しない。最近はローマ字(ラテン文字)、アラビア数字などが混用されることもある。
なお、仮名は明治時代に表記が統一されるまで、一つの音価に対して複数の文字が使われていた。統一によって使われなくなった仮名を今日では変体仮名と呼んでいる。
近現代
明治に至るまで、日本語は比較的安定した言語であったが、維新後、日本語は幾つかの変化を経験している。たとえば、外国から文物が流入し、外来語の多用は避けられなくなった。主に英語経由の語彙が(第二次大)戦後日常的に使われるようになった。
また、台湾や朝鮮半島などを併合し、皇国化を強化するため学校教育で日本語を国語として採用し、いわゆる満州国にも日本人が数多く移住した結果、これらの地域では日本語が有力な言語になった。そのため、日本語を解さない主に漢民族や満州族向けに簡易的な日本語である協和語が用いられていたこともあった。台湾や朝鮮半島などでは、現在でも高齢者の中には日本語を解する人もいる。さらに、明治から戦前にかけて、日本人がアメリカ・メキシコ・ブラジル・ペルーなどに移住しており、これらの地域では移住者やその子孫が日本語を継承している場合もある。近年ではこれが逆転し、海外から日本への渡航者が増え、日本企業との商取引も飛躍的に増大したため、国内外に日本語教育が普及し、国によっては第2外国語などとして外国語の選択教科の1つとしている国もある。このため、海外で日本語を学ぶことが出来る機会は増えつつある(世界の日本語教育、および本名 [ほか] (2000)を参照。)
明治に西洋のナショナリズムを輸入し「富国強兵」をするため、他のヨーロッパ諸国と同じように方言を廃止し、国語を統一化するため、政府は標準語を策定し方言をやめるよう教育した。また、民間では書き言葉を口語化する言文一致運動が行なわれ、その結果として従来使われてきた漢文調の文体に代って、今日広く用いられているような文体へと変化がはじまった。
日本の近代化と共に行なわれた当時の国語表記の改革運動については賛否両論がある。明治以来、表音主義に基づいた漢字・仮名遣いの簡易化または漢字の廃止、アルファベットの採用などが何度も提唱され、その度に議論が繰り返された。また、日本語廃止論も論じられ、明治初頭に後の初代文部大臣となった森有礼が英語に、終戦直後に「小説の神様」こと志賀直哉がフランス語に代替せよと主張したことは大変有名である。戦前・戦中までは歴史的仮名遣が規範とされ、漢字の字体と共に体系的な整備が続けられていた。
しかし、太平洋戦争降伏後にGHQによる占領下の日本で第一次アメリカ教育使節団報告書に基づき行なわれた国語国字改革による漢字制限で「当用漢字」・「現代かなづかい」(のち「常用漢字」・「現代仮名遣い」に改訂)・「教育漢字」が内閣から告示され、従うべき規範として一般社会に受け入れられた。また、これにより、混ぜ書きという新たな表記がはじまった。
国語国字改革については今日も一部の文学者・国語学者などの間に強い批判が存在し、従来の表記を守っている人も少数ながら残っている。一方で、新しい表記は既に定着した、とする意見も強い。ただし、表外漢字(常用漢字表にない漢字)が漢字制限の方針通りに廃れなかったことにより、諸問題が発生している。たとえば、同じ部首であっても常用漢字と表外漢字では書き分けを要求されるといった字体の煩雑化(例:權×→権○、灌○→潅×)や、漢語を平仮名で表記すること(例:軋轢→あつれき)や混ぜ書き(例:拿捕→だ捕)への違和感などがその代表である。
現代の日本語には、ら抜き言葉などのような変化が見られる。報道・交通機関・通信技術の発達により、新語は以前より早く広まるようになっている。 |