求关于描写四季的日语作文!
明天考日语,希望日语高手能帮帮忙! 我最爱的groove coverage..........,标日初级上册有几篇课文都是描写四季的。 季節について。四季について。
誰かのことを知りたいと思ったら、こんな質問をしてみるといい。
「あなたのいちばん好きな季節は?」
どう答えるかで、性格が出ると思う。
たとえば、「とびきり暑い夏がいい!!」という人は真夏の向日葵のようだし、「秋の陰影が好き」という人はシックな感じの装いが似合いそうだし、「花が咲き始める春が好き!!」という人は華やかでみずみずしい感じがする。「空気が凛としている冬が好き」という人には、芯の通った性格を感じるし、スキーやスノボが好きで「冬が待ち遠しい」という人もいるだろう。
季節は、誰もが体験する(季節がない地域に住む人の話はおいといて)ものだけに、その人の感受性や性格を量るには向いていると思う。
で、私はといえば、かなり悩んでしまう。
私は、どの季節も好き。
あえていえば、冬があんまり好きじゃない。なぜなら、冬はいちばん色彩感が薄いから。それに草野球もできないし。雪が舞うのを眺めていたり、こたつでうたた寝をしてみたり、コートなど着てみたり、好きなことは多いけれど、世界の鮮やかさという点で面白みが少ない。そういう意味では、私は「冬が来ること」を恐れて暮らしていると言えるかもしれない。
今、季節は夏。夏といえば、その恐ろしい(!)冬からいちばん遠いところにあるものなのだが、夏のあの圧倒的な陽射しや、もくもくっと入道雲を眺めたりするたび、私はその向こう側に何故か秋を見てしまう。夏の陽射しからは秋の赤い斜光線を、入道雲からはあの際限なく深い秋の空の青を、そしてすうっと引き延ばされたすじ雲などを垣間見てしまうのだ。私は夏を感じながら、しかし秋も同時に感じてしまう。
夏は美しい。でも、夏はいつかは終わるもの。万物流転という感覚をこれ以上はっきり教えてくれるものはないのかも知れない。夏の旅、それは、祭りの喧噪の後の寂しさを予感させるもの。私にとって夏は秋と一体不可分なものなのである。秋と冬が一体不可分なように。真夏の陽光を浴びながら、私は「秋」を通して冬をも味わっている。
では春はどうだろうか? 春は冬と隣合わせにありながら、冬からいちばん遠いところににあるように感じる嬉しい季節だ。特に芽吹きの頃、新緑の頃は嬉しくたまらない。生命感がかたちと色彩を伴って現れてくるのを眺めているとわくわくする。けれども、その生命力の上昇についていけず、取り残されていくと、再起するのは容易ではない(人はそれを「五月病」と呼ぶ)。
春といえば、秋との比較で語られることが多いのだが、私は秋も好きだ。果てない蒼穹、金色の稲穂、取り残されたように感じる夕焼け、そして名月。四季の中でいちばん色彩に落差を感じる。
緩やかに下降する秋は、それぞれの瞬間、美しい。だが、その美しさが終末を予感させる寂寥感を伴わざるを得ないのは、秋の宿命である。秋の和歌、たとえば三夕の歌、あの侘びしさ、静の中に潜む激しさも、私は好きだ。秋は秋として寂しいのではなく、冬を分かつことができないから寂しいのだと思う。
四季は、その瞬間瞬間に立ち止まって感じ取ることも、四季という輪を意識して対することもできる。私はむしろ後者の輪の中に身を置いていることが多かった。
けれども、四季の移ろいを人生に置き換えた時、むしろその瞬間瞬間を味わい、懸命に生きる方が、より充実した人生を送ることができるのではないだろうか。
先読みして立ち止まるよりは「今」を生きること
夏の陽射しに目を細めながらそんなことを思ってみたのであった。
やがて、梅雨が明けてゆく。 随筆
春の楽しみ-土筆狩り 江上尚志
早春の楽しみは芽生え始めた植物を愛でることにある。土筆(つくし)には幼かった頃の母との思い出が一杯である。土手や線路に土筆が芽生え始める時期から、やがて胞子が飛んでいってしまうころまで飽きることのないドラマがある。土の中から勢い良く出てくるときには土を押しのけるほどの力がある。それでいて繊細さは他の植物にも引けをとらない。ところが「スギナ」という似ても似つかぬ姿とは地下茎でつながっているという。どうしても親戚とは思えない形でもちろん食べることはできない。
一面のオオイヌノフグリの空色やタンポポの黄金色、それにホトケノザやヒメオドリコソウの薄紫色に心躍る。名前を知らないころはひと口に雑草と呼んでいたこともあるが、いのちある植物の持つ固有の名を知ることで喜びも一入(ひとしお)である。スケッチをしたり、カメラに収めたりすることも愉しいが、摘んだ植物が食べられるときには調理することを覚えたいなどとしおらしいことを考えるようになった。山野草の先生方について歩きいていると自然に学ぶ姿勢が身についてくるもののようだ。
毎年、弥生・三月の声を聞くと土筆を探しにいくのが年中行事になっている。「土筆狩」(つくしがり)と名づけたいほどである。日本では四季おりおりの行事に「○○狩り」という趣き深いものがある。食べるものとしてはタケノコ、苺、みかん、きのこ等があり、抽象的な夏の「蛍がり」秋の「紅葉狩」などもある。「土筆狩」がどちらに属するかは人それぞれかもしれないが、眺めたりスケッチするだけなら文化的であり、お吸い物や卵綴じを考えるようなら食文化ということになるのだろうか。
ところで「つくし誰の子スギナの子」というわらべ歌があった。インターネット検索で「つくし」を調べるとメルヘンタッチの詩や写真のページが並んでいる。「つくし」を見るときは目の高さ、つまり草むらに寝そべるような形で見ることが大切だ。「つくし」に円い帽子があって粉のようなものが一杯詰まっている。それを「胞子」と呼ぶのだということはずっと後になってからのことだ。スギナは栄養茎で利尿剤になるらしい。つくしが成長してもスギナにならないようだ。
つくしとの出会いは房州である。母の詩を紹介しよう。
松ぼっくり 江上 千代子 東京都大田区 主婦
浜辺に遊びに行くといったら
松ぼっくりが落ちているから
背負子をかついで行けと
村人にいわれて
背負子の中に三男を入れ
夫が背負い
私は上の二人の手をひき
浜辺に行った
倒産に生きる力も失せて
希望もなにも持てず
いっそ と
思いつめた日のこと
あれは 親子五人
連れ立って遊びに行った遠い浜辺
浜辺の松ぼっくりを拾って
逃げまわる夫の背負子めがけて
投げ入れる子供達
じっと見ている眼がぼやけて
死ぬものか 死ねるものかと
あの晩 子供のために
何が何でも生きて行こうと誓った
ふたたび生きる喜びにかえてくれた
あの耳の底に今も残る
おどろおどろと波の音
南房州の浜辺
(『わが心の詩「小川宏ショー・私のイメージ」より』サンケイ新聞社出版局)
小川宏モーニングショーという番組で取り上げられた母の詩である。様々な映像を主題に詩を書くというテーマで、ずい分長いこと続いたらしい。取り上げられたことを知ったとき私たち兄弟は大変な誇りに思うと同時に過去を懐かしんだものだった。手元にある本を開くと主婦である母の年齢(53歳)が書かれている。当時の私は28歳、父は58歳でようやく生活も安定してきたころだ。10年後に亡くなったが、母はそれから20年の歳月を生き続けた。
“お父さんと結婚しなければ”と遠くを見るような目で自分の才能のことを話したことがあった。父親を早くに亡くした母は親戚を頼って東京から九州に引っ越した。大正から昭和に変る頃のことである。比較的裕福ではあったが母親(私の祖母)が再婚したために単独戸主として誇り高く生きなければならなかった。女学生時代にはハンドボールの選手で文学少女だった。医学を希望したが結局のところ断念したこと、二十四歳で父と結婚したことで“お父さんに捧げた”のだとも言っていた。
「つくし」が胞子を飛ばして違う世界に種子を蒔くように、母も私たち兄弟それぞれに別々の生き方を教えてくれたようだ。詩を書いたり歌を詠んだりするDNAを兄弟よりも多くもらったようで、自分で言うのもおこがましいが私が「詩人になる要素」は幼かった頃に培われたようだ。大学に進むとき文学部に進もうと思ったのだが断念した。諦めきれずに詩を書き続け第一詩集を上梓してから40年あまり、気がつけば母が「松ぼっくり」の詩を書いた年をとっくに越えてしまっている。 汗上面俩篇
感谢
谢谢啦,只是我们才学完初级,里面有许多的语法和单词不能理解.呵呵
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