「生活にしみこむ言葉」板坂元
本帖最后由 闇紅の魔導師 于 2012-4-8 14:45 编辑ところで、生活原理のようにまでなっている「出るところへ出たがらない」傾向は、日本人の言語生活にも広く染み込んでいる。これからその種々相をあげてみよう。
まず「京都のお茶漬け」という言葉。ただし、評判になっている料亭のお茶漬けでなく、こちらは言葉の方のお茶漬けである。来客があって食事の時間に差し掛かったので、客は席を立とうとする。そうすると京都の人は「何もおへんけど、せめてお茶漬けでも」と客を引き止めようとする。それでも断って帰ろうとすると、かくようにお茶漬けでよいから食べていってほしいと懇願する。しかたなしに「はあ、それでは」と客がご馳走になる覚悟を決めたら、それこそ大変。主人側は、慌てて店屋物か何かを注文したりして用意をはじめる。そして、後々まであの人は礼儀を知らない客の悪名が残る。客は、どんなことがあっても、「いずれまた」とか「そうどすか。せっかくどしたのに」と言って辞去するのが作法なのだ。これが名高い「京都のお茶漬け」である。なにしろ、やってもらいたくないことを拝むようにしてたのむのだから、知らないと引っかかりやすい。
これなど、知っていなければどうにもならないことだが、知っていても訳がわからないこともある。何か交渉ごとをしているとき、京、大阪の人から「あの話、考えてもらいます」という返事が来たとする。これも考慮中という表面の意味と反対に、理の返事なのだが、なんとなく考えてもらって、あとで色より返事がもらえるかもしれないと期待を持たされる言葉である。京都の人など、後で返事を催促して、「いや、返事はずっと前にしました」と言われてかんかんになることもある。何らかの期待を相手に持たせることによって、相手の心を当座の間傷つけないようにする、という配慮から発達した表現なのだろうが、なかなか厄介な言葉である。最も、英語でもレット・ミー・シンク・イット・オーバーという表現があって、婉曲に断るときにはしばしば使われている。また買い物などに行っていろいろと品物を見せてもらった挙句、「家に帰って女房と相談しなければならんので~」といえばNOという代わりになる。言いにくい時の心理は程度の差こそあれ、似たりよったりなのかもしれない。
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日本人とのコミュニケーションはなかなか難しい感じですね:sleepy:この点は我々外国人にだけでなく、同じ日本人同士の間でもある問題とかじられました それはそうね、最近日本人の学者さんたちの日本と日本人についての文章をたくさん読んだから、日本人とコミュする難しさは痛感したよ、曖昧さとか、距離の取り方とか、相槌の打ち方すらいちいち面倒だと思うし
その複雑の人間性は外界との文化交流でよく現れたよね、理解しがたいところもたくさんあるけれど、結構面白いよ、日本人は 馬鹿慎重、用心深すぎる日本人!日本語そのもの今のようになるのもこの点と深く関係があると思う
今のトラマをみたら、現在の若者もその上下関係やなどにこだわってるだなあ 大変な生活 敬語だけでも災難だとあたしは思うけどね、頭の中には使い方ちゃんとわかってるつもりだったけれど、うまく使えない、という経験は大勢な人にもあったはず
あたしの目には、日本人がみんな順応性高く見えるし 本帖最后由 闇紅の魔導師 于 2012-4-8 19:39 编辑
頭にちゃんと覚えていたつもり、いざ使うとき出さないことがしばしばある。
読み取られるよりも聞き取られるよりも話せるのがいっそう難しいのは普通であるね まあ、敬語抜いても、タメ口で会話することが出来るかどうすら疑問だしね、あたしの場合
言葉ってもんは難しいね、その上、他人のこと察したり、気を配ったりするなんかとても… 日本語環境で会話を重ねて繰り返せば上達できる
きみは相当できると思う、ぼくは比較的にあまりできないのも思うよ その日本語環境ってもんがあたしにはないのが問題なのよ、こうしてこの学院で駄弁る、じゃなかった、駄弁を弄する、って一緒じゃない、ことしか、日本語使う道はないよね
大学院入試もダメだったし、今の仕事場でも使うとこないし、ほんと、趣味以外なにも生産的なことができないダメ人間ね、あたし そう、僕の場合が日本語を使うために日本語を勉強し続けているから、今後仕事も日本語と関係のあるモンを選ぶつもりです。
っていうか、実は日本に留学してから、日本に滞在し仕事を探す考えだ 本帖最后由 rain36 于 2012-4-8 22:35 编辑
まあ、あたしもできるなら日本語で仕事したいし、っていうかやりたいことであたしに向いてかつ生産的なのは翻訳だけ、とも言えるし
留学か、あたしもそうしたいのは山々だけれど、お金が無いし、親にもあんまり頼りたくないから、バイトしながら勉強するのはとても…だからまず国内で大学院にも入ってから留学のこと考えようと思う、まあ、正直あたしってゲームとかラノベで他人からは浪費してるように見えるかもしれないけれど、実は欲があんまりなくて生活もスケジュール通りだから、意外と燃費がいいし、これで何年稼げば、なんとかなると思うよ。恋愛とか興味ないし、親に強要されないのなら結婚するつもりもないから、住宅とかの負担も重くない。うん、そうだわ、一方踏み出せるのなら、目標に向かってまっしぐらにできる、と思う
まあ、一回目の試験がドジ踏んじゃったけどね。っていうか一から勉強する科目があるのは正直、超痛い、ほとんどそれでダメになったみたいなもんだし…いまは、親戚の所で給料が安いけど、だいぶ勉強出来る時間がもらえるバイトをやって、毎日その時間でぽっちぽっち本読んで、来年また挑戦するつもり
また長文書いちゃった、すみませんね 女の子のくせに、恋愛に興味ないなんて ダメだよ!
しかもモラトリアム人間も良くない、だからがんばらなきゃ
君が仕事面で頑張れ!僕も勉強面で一生懸命! だから、いまは目標に向かって頑張ってるって、まあ、現実は辛くてままならないけれど、消極的なんかじゃないわ、ダメ人間なりに生活に勤しんでるから
恋愛に興味ないとは確かに、色々あったから、ぶっちゃけ今は二次元にしか興味ないわ。現実生活のあたしはリアリストだから、優先順位と言うものがちゃんとわかってる。もう、あたしのことはいいの、って自分が話題に出したくせに…
とにかく現実問題はさておき、勉強のことに戻ろう、うんうん
形が命 ジョナサン・ライス/嘉治佐保子/浜矩子
日本人はいつだって礼儀を忘れない。伝統なのだ。言葉も文化も、無作法になることを許さない。タクシーの運転手が、割り込みをしてきた別の運転手に向かって声を荒らげた時、割り込まれたタクシーに乗っていた”外人”は同乗してしていた日本人の友人に尋ねた。一体どんな乱暴な言葉を吐いたのか、と。答えを聞いてみると、日本人はどんなに威圧的になっても礼儀を忘れないことがわかった。「くたばれ、貴様!」
日本人は、目して多くを語らない無口な人間と思われがちだが、行動を起こす前に、その旨を声に出して相手に伝えるのが礼儀とされていることも多い。
食事の席に着いたときは、橋を手にする前に、もてなしを受ける意志を公言しなければならない。「いただきます」と。ディナーに招待されたからでない。自宅でも同じことを言う。たとえ、家族みんなの食事を作ったのが自分自身であったとしても。これは友人とレストランへ行っても同じこと。シェフは厨房にいてどうせ聞こえないし、自分たちは食事代を払うというのに、いったい誰に対して礼を尽くしているのだろう?なに、そんなことは問題ではない。たんなる習慣なのだ。食事の席を立つときも同じで、その時は、「ごちそうさま(おいしかった)」と言う。たとえまずくても。心にもないことを、と思うかもしれないが、そうではない。これは理由もなき礼儀正しさなのだから。
他人の家の敷居をまたぐときにも、ルールがある。オフィスを訪ねていったら、そのオフィスの主が設定した会見であっても、押し付けたことを詫びる。「お邪魔したす」と。
「ただいま!」は、出迎えに出てこない配偶者に向かって叫ぶ言葉ではない。会議から戻った時も言うし、学校から戻った時にも母親に向かっていう。同様に、「いってきます」は出かけることが一目瞭然の時にも敢えて言う。
形は大事よね、特に対人関係を考える場合、定番文句を口に出す方が他人に与えるイメージもいいし、第一印象ならなおよし
中国でも礼儀ってもんは大事されてるし、円滑に事を運ぶには不可欠だとあたしは思う。まあ、当の自分は苦手だけれど、他人との距離を取ることは
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