闇紅の魔導師 发表于 2012-9-6 11:08:56

朝日新聞・天声人語 平成二十四年(九月)

2012年9月1日(土)付
 先の大震災のあと、使いづらくなった言葉といえば「絶対安全」と「想定外」だろう。もはや前者は何の保証にもならず、後者は言い訳の用をなさない。現実は格言と違い、備えあれど憂いありだ。防災対策は、悲観に悲観を重ねて講じたい▼南海トラフの巨大地震で、最悪32万人が死亡するとの想定が示された。大震災のデータをもとに見直した結果、従来の予測が13倍になったという。最悪とは、冬の深夜に東海地方が直撃される場合だ。津波で23万、建物倒壊と火災で9万の命が危うい▼南海の震源は陸に近いため、津波は数分で襲う。浜岡原発での最大値は19メートル。建設中の防波壁は18メートルと心細いが、これがないと原発はどっぷり水につかる。自動車工場などが集まる東海地方だけに、経済的損失も数百兆円とすさまじい▼静岡県だけで死者10万人と聞けば、親類や同窓生の顔が浮かび、心穏やかではない。築50年の実家や独居の身内も気にかかる。こうした個々の憂いが束ねられ、共助の絆が太くなるのだろう▼想像を絶する想定には、つい目を背けたくなるものだ。だが、助かることまで諦めては、震災の犠牲者に顔向けできまい。建物の耐震策を極め、皆が素早く逃げれば、死者は6万人ほどに減らせるという▼最悪を覚悟して、最善を尽くす。これが危機管理の基本である。巨大地震の被害想定も、脅かしではなく「目覚まし」と受け止めたい。どれほど不快な音色でも、備えもなく大波に手荒く揺り起こされるよりいい。
2012年9月2日(日)付
 今月19日、正岡子規の命日は糸瓜(へちま)忌(き)として知られるが、もう一つ「獺祭(だっさい)忌」という呼び名がある。〈獺祭忌わがふるさとも伊予の国〉轡田幸子。「獺」の字はカワウソとも読む▼カワウソは多くの魚を獲(と)り、祭るように並べて食べると言われ、「獺(かわうそ)魚(うお)を祭る」が春の季語にある。子規は、書物を散らかし置く自分をカワウソになぞらえて「獺祭書屋主人」と号した。それにちなむ忌日の名だが、今年は故人が天上で線香を焚(た)いていよう▼30年あまりも目撃がなく絶滅危惧種だったニホンカワウソに、とうとう環境省から「絶滅種」の判断が下された。昭和まで生息していた哺乳類の「絶滅」は初めてという。開発など人為に追われての悲劇である▼最後に確認された高知県で、かつてカワウソ探しの取材を試みたことがある。語り継がれる姿はどこかユーモラスだった。たとえば、川遊びをしていた子どもの股をするっと泳いでくぐり抜けた▼あるいは、麦わら帽子をかぶせようとしたら、おこってかみついた。漁師が川舟で一服していたら、目の前の水面にポコンと顔を出して驚かせた――。そんな姿は、もう幻なのだろうか▼俳句には「豺(やまいぬ)獣(けもの)を祭る」という秋の季語もある。豺とは狼(おおかみ)のことで、やはり獲った獣を祭るように並べると想像されてきた。だが森の狩人だったニホンオオカミは、人に追われて明治の末に姿が絶えた。時は流れて、人は水辺の愛嬌(あいきょう)者にも滅びの道をたどらせた。罰当たりな後世だと、子規は怒っていないか。
2012年9月3日(月)付
 自分と同じ誕生日の著名人を何人もあげてみせる人が、時々いる。どの日にもそれなりの人が生まれているが、きょうは変わり種がいる。紙面ではいつも当欄の右にいる丸っこいの。そう、人気者のネコ型ロボットは2112年の本日生まれた▼100年後の未来から、ドラえもんはやってきた。おなかのポケットから色々な秘密の道具を取り出しては、のび太君を助ける。「あったらいいな」と大人も思う▼本紙別刷り「be」が読者に聞いたら、行きたいところへ行ける「どこでもドア」が1位になった。2位がタイムマシン。3位のタケコプターは自由に空を飛べる。筆者は特派員時代、食べるとどんな言葉も自在になる「ほんやくコンニャク」が夢に出てきた▼秘密の道具は100年後への空想をかきたてる。1901年の年頭、報知新聞が23項目の「二十世紀の予言」をのせた。夢のように語られた技術が、次々に実現されたのに驚かされる▼たとえば東京―ロンドンの電話対話。寒暑知らずの空気調整。高速列車で東京―神戸を2時間半。「遠く離れた男女がひそひそ話をする伝声器」は、携帯電話の隆盛を見ればまさに的中といえる▼だが、それで幸せになったと言い切れないのがもどかしい。進歩が希望、便利が福音だった時代の歌は、もう心からは歌えない。人は身の丈を考えるときだろう。100年後に原発はどうなっている、人類は、地球は――。思いめぐらしながら、ドラえもんに♪ハッピーバースデーを贈る。
2012年9月4日(火)付
 青という色は若さや未熟を表す。「青い果実」と聞けば大人になる前の、思春期の少年少女を思い描く。先の本紙俳壇にこの句があった。〈青柿のような「中二」に遺書はなく〉。作者の鎌田進さんは大津市のいじめ事件で命を絶った少年を悼む▼俳人の宇多喜代子さんには〈青柿にこれからという日数(ひかず)かな〉がある。何年か前に詠まれたものだが、前途ある命が、これからという日数を絶たれた悲しみに、あらためて思いが至る▼大津市ではおとといまで、いじめや暴力で死に追いやられた少年少女15人の写真や、残されたメッセージを紹介する展示が開かれていた。暴力事件で息子を亡くした青木和代さんが、苦しむ子らに「生きてほしい」と伝えたくて企画した▼「やさしい心が一番大切だよ。だから、その心を持っていないあの子達の方が可哀相(かわいそう)なんだよ」(15歳女子)。「ある日は日の光となり、ある時は雨となって、あなた達(家族のこと)の心の中で生きています」(14歳男子)。一文字一文字が、いじめの罪深さを告発してやまない▼自分のことは針で刺されても痛いと騒ぐ。なのに他人には槍(やり)を突き刺して平気でいる。大なり小なり人が持つ性(さが)だろう。人の痛みに気づくには、気づかせるにはどうしたらいいのかと、心ある大勢が悩んでいる ▼2学期が始まった。先生も生徒も、いじめについてもっと話し合ってほしいと思う。風通しよく話すことで、滅菌されるように消えるいじめもある。苦しむ子をゼロにしたい。
2012年9月5日(水)付
 むかし、伊勢神宮は諸国の信者に、厄除(やくよ)けのお札などを入れた小箱を配ったそうだ。これを「お祓(はら)い箱」といい、毎年古いものが捨てられ、新しいものに取り換えられた。転じて「お払い箱」の言葉が生まれたと、手元の辞典にある▼自民党トップの谷垣総裁の再選が危うくなり、「お払い箱」という報道がもっぱらだ。総選挙を控えて、もっと人受けのいい「顔」にすげ替えたいらしい。野(や)に3年の自民党を手堅く率いてきたご本人の胸中は、穏やかではあるまい▼急浮上の石原幹事長は、父親の慎太郎氏、叔父の故・裕次郎氏に連なるブランド力で売る。安倍元首相は大阪維新の会との近さで存在感を増す。国会は8日まで開会中だが開店休業。懸案そっちのけで、党の関心はすっかり総裁選に移っている▼民主党の代表選も相似たりだ。こちらも人気低迷の野田首相をお払い箱にしたい人々が、あれこれと動く。新たな「顔」も取り沙汰されるが、それよりしっかり政府の仕事を、と叱る国民は多かろう▼野田さんの肩を持つ義理はないけれど、伊勢のお祓い箱さながらに、毎年首相を使い捨てる政治は情けない。また1年で代わるなら日本はいよいよ軽くなる。それに増税の最高責任者が、次の選挙で信を問うべきだと思う▼解散風が吹きだすと、前も書いた「再選されることばかり考えていると、再選に値するのが難しくなる」の箴言(しんげん)が思い浮かぶ。筋を通す人、損得に堕する人――。政治家と政治屋の違いがあぶり出される。
2012年9月6日(木)付
 暗殺者のことを英語でアサシンと言い、その元の意味は「ハシシ(大麻)を使う人」だとされる。武勇を見込んだ若者らの魂をハシシでとりこにし、暗殺に向かわせるペルシャの「山の老人」の話が、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に出てくる▼シリアでも似たことがあるらしい。テレビ朝日系の「報道ステーション」で、政権側民兵という人物のインタビューを見た。もらった「麻薬の錠剤」を飲んで子どもや女性を虐殺していたという。気分は高揚し、罪の意識は消える、と▼反体制派に身柄を拘束されての発言というが、事実なら、人の姿をしつつ、麻薬によって人ではなくなった者の群れだ。この民兵組織が多くの市民の殺害にかかわっていることは国連も確認している▼死者はすでに2万5千人を超えるという。その1人にジャーナリストの山本美香さんもいる。弱い立場の人に目を向け続けた人だった。葬儀の会場に、全身を包帯で覆われた赤ちゃんの写真が飾られたと聞いて、まど・みちおさんの「ガーゼ」という詩が胸をよぎった▼〈ガーゼは 傷口によりそい/生命(いのち)を まもりぬく/まっ白く あかるい/花びらのような やさしさで/どんなに どす黒く重たい/武器たちの にくしみからも〉。山本さんはこの詩をご存じだったろうか▼人道上の悲劇から人々を「保護する責任」を、国連は果たそうとしない。安保理は気位ばかり高くてガーゼの役にも立たない。大国のエゴのために、今日も救えない命がある。
2012年9月7日(金)付
 地球が球形なのは誰でも知っている。それを踏まえて、自分の目で見て一番遠いところにあるものは何か? 答えは自分の背中だという。地球一周4万キロのかなた。むろん冗談だが一端の真理はある。自分の「背中」ほど見えにくいものはない▼背中とは、その人の無意識がただよっているような、不思議な場所だ。きょうが没して50年の作家吉川英治に「背中哲学」という随筆があって、「どんなに豪快に笑い、磊落(らいらく)を装っていても、その背中を見ると、安心があるかないかわかる気がする」と書いている▼顔と背中が、二つの仮面を合わせたように違う人もいるという。正面は取り繕(つくろ)えるが裏は隠せないものらしい。「宮本武蔵」や「新・平家物語」などを世に送り、大衆小説を国民文学にまで高めた大作家は、さすがに人間通だ▼「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持たねばならない」はリンカーンだが、「顔」は「背中」にも置き換えられよう。目標にしたい後ろ姿が職場にあれば若手は育つ。子は親の顔色をうかがうが、背中は黙って見ているものだ▼東京・下町の銭湯で半世紀、お客の背中を流してきた人が、3年前に本紙にこう話していた。「黙って苦労を語っているような背中ってあるんだ。ごくろうさん、て声をかけたくなるよね」▼さて、世間を眺めれば、「選挙の顔」選びに政界が騒がしい。見てくれに惑わされず、どの人、どの政党の背中が偽りないかを見極めたいものだ。昭和の文豪の慧眼(けいがん)にあやかりながら。
2012年9月8日(土)付
 2期目を任せてもらえなかった米大統領のひとりに民主党のカーター氏がいる。南部のピーナツ農場主は就任時、庶民派の人気もあって7割という支持を集めた。しかし不況と失業にあえぎ、弱腰外交の批判も浴びて青息吐息になる▼再選の選挙は1980年。対立候補の共和党レーガン氏は「カーターを失業させたときに景気は回復する」と繰り返した。結果は、強いアメリカをうたうレーガン氏の大勝に終わった。このときの攻防に、今年を重ね合わせる人もいる▼4年前の熱狂が幻のように、オバマ大統領は苦しい。「チェンジ」の松明(たいまつ)はかげり、低迷する経済と高止まりする失業を、相手のロムニー候補にきびしく突かれている。2大政党の党大会が終わって、いまのところ勝負は互角と伝えられる▼両者の描く絵は鮮明に違う。オバマ氏は政府のお金で景気回復や福祉を行う「大きな政府」と国際協調を説く。ロムニー氏は市場に任せる「小さな政府」を訴え、最強の軍事力と核兵器の堅持を唱える。「強いアメリカ」への回帰である▼米国の大統領とは、多様な国民がその時代に求める「あるべきアメリカ」の象徴といえる。たとえばカーター氏は、ベトナム戦争に疲れウォーターゲート事件に幻滅した人々が、敬虔(けいけん)素朴な「人間愛の人(ヒューマニスト)」を望んだとも説明される▼そして大きな期待ゆえに、脇にはつねに失望が深々と口を開けている。オバマ大統領はどうだろう。11月6日が、4年間の通信簿を押しいただく投票日となる。
2012年9月9日(日)付
 お米の力というものを一番感じさせるのは、おにぎりだろうか。関東大震災のとき炊き出し組の一員に加わった作家の幸田文は、手の皮のひりひりする熱いご飯を、休む暇なく次から次へ握ったそうだ。そしてこう記している▼「張り板の上に整列した握り飯は、引き続く余震の不安と大火事に煙る不気味な空とをおさえて、見とれるばかり壮(さか)んなけしきだった」。何の愛想もない塩むすびだったに違いない。だが、あのまるい三角形には、受難の人を物言わず励ます力感と温かみがある▼去年の大震災でも、人が炊いて握ったおにぎりのありがたみが、幾度も記事になっていた。日本人と米の、3千年という結びつきゆえだろう▼そんな「瑞穂(みずほ)の国」で、今年も新米が出回り始めた。つややかに光る初ものを土鍋で炊いていただいた。炊きたての新米に豪華な総菜はいらない。主役はご飯と定め、脇役には梅干しかラッキョウぐらいがちょうどいい▼原発禍の福島県でも収穫が始まり、全袋検査で安全を確かめて出荷される。手塩にかけてきた農家は「放射性物質が出ないよう願いを込めて刈り取った」と言う。太鼓判を押されて、一粒残らず、ふっくらと湯気に包まれてほしい▼〈新米もまだ艸(くさ)の実の匂ひかな〉蕪村。イネ科の一年草の実ながら、この恵みなしに日本の歴史も文化もなかった。自由化が言われるが、経済原則だけで米作りを追いつめたくはない。夏の青田、秋には黄金(こがね)の穂波。心の風景が、ゆたかな国土の上にある。
2012年9月11日(火)付
 半世紀前の名曲「王将」は、勝負師の意地がはじける三番がいい。〈明日は東京に出て行くからは/なにがなんでも勝たねばならぬ……〉。そう歌われた将棋の阪田三吉や、落語の初代桂春団治ら、大阪から「天下取り」に挑んだ人物は多い▼さて、この人の立志伝は後にどう語られよう。大阪市長の橋下徹氏が、新党「日本維新の会」を率いて国政に臨む。〈……空に灯(ひ)がつく通天閣に/おれの闘志がまた燃える〉の心境かどうか、衆院選に大量の候補を立て、過半数を取りにいくという▼大阪を変えるために国政を変える。あべこべか遠回りに見える手法とは裏腹に、その素早さは類例を思いつかない。タレント弁護士が弁舌を武器に、たちまち政治の真ん中に肉薄したのだから▼大阪発祥の新聞で書く当方、東征の成否はとりわけ気にかかる。しかし、大きく広げた風呂敷は目が粗く、維新に値する人材、資金の備えも心もとない。留飲を下げるだけの一票は橋下氏と国のためになるまい▼氏への漠たる期待は、「東京の政治」への幻滅と食傷の裏返しだ。永田町の外から攻める人なら日本を前に進めてくれる、と。そんな異端の輝きに対抗するには、正統を任じる側も変革あるのみなのに、二大政党にその様子はない▼民主党の代表選は結局、野田首相の再選が濃厚らしい。片や「勝てば首相」とされる自民党総裁選は、現職が出馬を断念し、仁義なき跡目争いが見込まれる。昭和が匂うどころか、江戸幕府の末期を見るようだ。
2012年9月12日(水)付
 かつて沖縄から米国に留学した大学院生が、ゼミで米兵による性犯罪の多発を訴えた。すると「そんなことはニューヨークでも毎日起きている」と反論されたそうだ。「違う」と留学生は説明した▼「ニューヨークで捕まった犯人は刑罰を受けなくてはなるまい。だが沖縄では基地の中へ逃げ込めばすむのだ」――。最近でも起訴率は低い。沖縄は長く怒りに震えてきた。事件だけではない。土地の収奪、戦争の脅威、そして軍用機の墜落。基地の存在は今も、垂れ込める雲のような重圧をもたらしている▼その島で、オスプレイ配備に反対する県民大会があった。「沖縄の青い空はアメリカのものでもなく、日本政府のものでもなく、私たち県民のものです」。壇上から語る女子大学生の姿に、17年前を重ね合わせた人もいるだろう▼1995年、忌まわしい少女暴行事件を受けた県民大会で女子高校生が訴えた。「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない平和な島を返してください」。歳月をはさんで、変わらぬ現実が島をさいなむ▼モロッコなどで相次いだオスプレイの墜落について、防衛省は「操縦ミス。機体は問題なし」とする米側報告をなぞった分析を公表した。丸呑(まるの)み、やっぱりね、と多くが思う▼日本政府がメッセンジャー役でいるかぎり沖縄の負担は減るまい。目を沖縄に向け、もの言う口はアメリカに。普天間飛行場では今日も、軍用機が大きな腹を見せて、街の屋根すれすれを飛んでいる。
2012年9月13日(木)付
 木遣(きや)り歌は、伐採した木を綱で引いたりするときに歌われる仕事歌だ。樹木への畏怖(いふ)や情愛の深さがこもる。かつて、山で働く人が「自分たちは、木を切る、倒す、とは言わない。木を寝かす、と言うのです」と話しているのを聞いた。やさしい言葉だと思う▼岩手県陸前高田市の奇跡の一本松も「切り倒す」では申し訳ない。大震災の津波に耐えて、被災した人を励ましつつ枯死した孤高の松である。きのう、保存加工のために寝かされて、しばし姿を消した。多くの人が最後を見守り、手を合わせる姿もあった▼樹木の精霊を「こだま」と言い、山びこのこともそう呼ぶ。声が返ってくるのを、古人は木の霊の返事と聞いたらしい。一本松はあの日以来、受難に沈む人々に、声なき様々な言葉を届けてきた▼倒れた仲間の松7万本も、心ある人たちの手で色々に姿を変えている。一部だが、仏像になり、表札になり、バイオリンに生まれ変わった。柱時計となって時を刻み始めたものもある▼一本松は来年2月、「記念樹」として再び元の地に立つ予定という。もはや木の生命はない。だが人々の心に張った根から枝を伸ばして、ふるさとの復興を照らすことだろう▼切って「剥製(はくせい)」のようにしていいのか。費用が高すぎる。そんな迷いや賛否もあったと聞く。だが仮設住まいのご高齢が本紙に「あれはまぎれもなく希望の一本松だ」と語っていた。筆者は部外の徒ながら、その言を支持したい。風化にあらがう意志の象徴でもある。
2012年9月14日(金)付
 今年が生誕300年になるフランスの思想家ルソーが言っている。「理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」(『エミール』今野一雄訳)。偏見に染まるのは早く、こびりついたら容易には消えない▼アメリカ社会のイスラム教への偏見は以前から根強い。2年前の今ごろ、フロリダの教会が世界に向けて「コーランを燃やせ」と呼びかけた。激しい反発がイスラム世界に広がったのは記憶に新しい▼今年に入って、米軍幹部の教育機関で、イスラム教徒の市民には空襲のような無差別攻撃が許される、といった内容の授業が行われていたことがわかった。あからさまな蔑視に驚くが、そうした空気を吸って軍人各層は育つらしい▼そして、また騒ぎである。イスラム教の預言者ムハンマドを侮辱する映像が流れ、怒った民衆の抗議で中東各地は荒れる。引き金になった映像は、炎上を狙って油にマッチを投げたようなものだ。偏見を通り越して、暗い憎悪が透けて見える▼「挑発に乗るな」という指導層の理性の声が細れば、事態はさらに危うくなる。時を同じくしてリビアの米領事館が襲撃された。これはテロらしいが、大使ら4人の落命が痛ましい▼アメリカという国の欠点の一つは「他国を手前勝手に理解すること」だと言われる。それが反発を生んできた。リビアの惨劇を怒りつつ、偏見と独善を消していく努力も望みたい。欲しいものは相互理解。こぶしを開かなくては、握手はできない。
2012年9月15日(土)付
 丘を埋めるオリーブの灰緑色が、乾いた風にうねる。単調だが豊かな風景である。トルコの西半分を急ぎ足で回ってきた。先々での親日ぶりは、ガイドさんによると、学校で「エルトゥールル号の遭難」を教わるからだという▼あすで122年になる。明治半ば、当時のオスマン帝国の軍艦が、紀伊半島沖で台風のため沈んだ。500人以上が亡くなったが、69人が日本艦で国に帰り、沿岸漁民による温かい救護ぶりを伝えた▼かの国の人々は、続く日露戦争の結果にも熱狂する。日本同様、ロシアの南下圧力を受けていたためだ。友好は経済援助などを通じて続き、イラン・イラク戦争の際には、在テヘランの日本人がトルコ航空機で救出された▼両国はしかし、8年後の五輪開催を競い合う。日本の招致委によれば、東京での開催支持はロンドン五輪を経て66%に上昇した。ただ、5回目の立候補となるイスタンブールのそれはまだ高い。アジアと欧州を結ぶ文明の十字路、イスラム圏で初と、話題性もある▼約7500万人の国民は大半がイスラム教徒ながら、宗教と政治は一線を画し、世情は穏やかだ。それゆえ中東の「安定装置」を期待され、外国からの投資と経済成長が続く▼高層ビルが日々増えるイスタンブールの街は、道路網が追いつかず、交通渋滞がひどい。クラクションの喧噪(けんそう)、バザールの混沌(こんとん)に、昭和30年代の東京が重なった。1年を切った開催地選びは、成熟と活力の綱引きになろう。なかなかの強敵、である。
2012年9月16日(日)付
 夏目漱石の「坊っちゃん」は教師で赴任した四国・松山の地を随分こき下ろす。ある日、宿直の部屋が西日で暑くてたまらない。「田舎だけあって秋がきても、気長に暑いもんだ」。悪態をつく江戸っ子の坊っちゃんだが、昨今の東京の残暑を知れば考えも変わろう▼列島の秋暑(しゅうしょ)は厳しく、東京も暑い。きのう仰いだ空は、まだ夏休みの絵日記のような雲を残していた。さすがに朝夕は涼気を含んできたが、日中(ひなか)に歩けば陰がうれしい。街のあちこちに、なお日傘の花が咲く▼今ごろの日傘は「秋日傘」という季語になっている。〈秋日傘別れの余情折りたたむ〉中村恭子。夏を見送った一抹の寂しさが言葉にある。だが、この残暑の下、日傘は真夏と変わらぬ活躍だ。秋の足を止めて晩夏が居座っている▼せめて秋らしい気分をと、花屋で芒(すすき)と吾亦紅(われもこう)を買い求めた。大きな花瓶に投げ込むと効果はてきめんで、たちまち部屋に秋がきた。月がほしいところだが今夜は新月。この月が満ちていって中秋の名月になる▼目を転じれば、猛烈な台風16号が沖縄付近を通過している。近年は海水温が上がって勢力が衰えず、発生から消えるまでの「寿命」が延びているという。九州地方も厳重な警戒がいる▼漱石に「二百十日」という中編があって、2人の男が風雨をついて阿蘇に登山して散々な目に遭う。その阿蘇のあたりは、今年7月の九州北部豪雨で大きな痛手を負った。早めの備えで守りを固め、少しの被害もなしに台風を去らせたい。
2012年9月17日(月)付
 植物の知恵はいじらしい。強風や雷、水不足のストレスにさらされた大木は、小さくなって出直そうとするそうだ。樹木医の石井誠治さんによると、太い枝を新たな幹にするなど、世代交代がうまくいけば、巨樹は同じ遺伝子を継いで生き続ける(岩波ジュニア新書『樹木ハカセになろう』)▼石井さんと木々を訪ねた。神奈川県の真鶴(まなづる)半島ではスダジイ、クスノキ、クロマツの大樹が江戸時代から年輪を刻む。仰ぐたびに気(け)圧(お)された。「これほどの密生は珍しい」という▼静岡県熱海市の来宮(きのみや)神社。屈指の大楠(おおくす)は瘤(こぶ)だらけで、もはや岩の趣である。その異形に、NHKの幼児劇で見た「かしの木おじさん」を思った。森の長老は物知りで、居眠りしながら主役の山猫たちを温かく見守る▼加齢の理想像だろうが、昨今のお年寄りはずっと行動的らしい。元気で財布のひもが緩い高齢者を、商いの世界ではグランドジェネレーション(大いなる世代=GG)などと呼ぶそうだ▼若いうちは金がなく、働き盛りは暇がない、待ちわびた定年後には気力体力が尽き、残るは人生訓と説教癖。そんな通説を覆し、旅行に音楽会、おしゃれにグルメと、自ら楽しめる幸せな人たちである▼オリックスのマネー川柳に〈かじられたスネ四本が行く足湯〉がある。GGの皆さま、どうか必要を超えて蓄えず、国内の温泉あたりで費やし、日本経済を回してほしい。それが、いわゆる世代間格差を和らげることにもなる。祝日に無粋な説法、お許しあれ。
2012年9月18日(火)付
 通り過ぎた台風になぞらえれば、きょうは中国で暴風に大潮の重なる日である。尖閣諸島をめぐって反日の嵐が渦巻いている。そこへもって、18日は満州事変の発端となった柳条湖事件から81年になる。それでなくても反日感情の高まる日だ▼加えて、東シナ海の休漁期間が一昨日明けた。台風一過の尖閣周辺へ、中国漁船が大挙繰り出す情報もある。中国当局は「漁民の生命と安全を守る」と強硬だ。海保の巡視船に漁船が体当たりした、2年前のような「英雄気取り」が心配される▼デモの参加者にしても、このさい暴れ回っても大丈夫なことは計算済みだろう。「愛国無罪」の錦の御旗(みはた)があるうえ、規制は手ぬるい。民衆の猛威を日本への圧力にする政府の思惑も、承知しているふうである▼テレビを見ると、尖閣諸島を地図で指せない参加者がいる。反日スローガンだけ覚えれば事は足りるらしい。それを政府もメディアも煽(あお)る。腹に据えかねる図だが、同じ土俵で日本人が熱くなってもいいことはない▼歴史問題もあって、日中関係はなかなか安定しない。小泉政権下でも凍りついた。その後、温家宝(ウェンチアパオ)首相の「氷を溶かす旅」の訪日などで関係は良くなった。それが国交回復40年の節目に、この間で最悪とされる睨(にら)み合いである▼むろん主権は譲れない。だが挑発せず、挑発に乗らず。あおらず、そして決然と。官も民も、平和国家の矜持(きょうじ)を堅持しつつ事を運びたい。諸外国の日本への支持を膨らますよう、考えていくときだ。
2012年9月19日(水)付
 親離れと子離れ、どちらがむずかしいのだろう。今年2月の本紙歌壇に一首があった。〈どれだけの覚悟で言ったことなのか君は知らない「好きにしなさい」〉今村こず枝。「なかなか怖い歌。一語に籠(こ)めた母親の覚悟」は選者の永田和宏さんの評だ▼事情は想像するしかないが、へその緒を再び切るような思いの一時(いっとき)が、母親にはあるのかも知れない。作家の森崎和江さんが「母性とは、抱く強さと同じ強さで放つもの」と書いていたのを思い出す。抱くことだけに一途(いちず)では駄目らしい▼とはいえ、昨今は親がかりの期間が延びるばかりのようだ。ベネッセ教育研究開発センターが大学生の保護者に聞いたら、4年生の親の約4割が就職活動を助けていた。ネットや雑誌で情報を集めるなど、父親より母親の方が熱心だという▼調査の結果、就活だけでなく大学受験も含めて「高学歴の母親が自分で情報を集め、子の進路決定に関わっている姿」が浮かび上がるそうだ。ありがたい親心か、自立を妨げる干渉かは、その母、その子によるだろう▼何年か前、アメリカから「ヘリコプター・ペアレント」という言葉が入ってきた。頭上を旋回するヘリのように子を見守り、すぐ降りてきては指示や助け舟を出す親、という揶揄(やゆ)だ。日本の大学生の親にも多いらしい▼履修登録についてくる、授業の欠席連絡を親がよこす――など珍しくもないと聞く。となれば「へその緒」つきの社会人も結構いるのだろう。叱り方ひとつにも注意がいる。
2012年9月20日(木)付
 あいまいな約束を婉曲(えんきょく)な拒否に使うのは、人との関係をざらつかせない知恵だ。「食事でもどう?」と誘われ、「ええ、そのうち」と上手にしのぐ。若い人たちも友達関係には心を砕くようで、いまどきは「微妙」という語を使うそうだ▼「映画に行かない?」「びみょー」。留保のようでいて、やんわりと否定のニュアンスを伝えるらしい。若者のこうした言葉づかいを、井上ひさしさんが「曖昧模糊語(あいまいもこご)」と呼んでいたのを思い出す▼野田政権が打ち出したばかりの「2030年代に原発ゼロ」が、びみょーになってきた。ゼロ戦略の閣議決定が見送られたからだ。今後のエネルギー政策に関する方針のみ決定したが、原発ゼロの表現はない。目標は「あいまいな約束」に格落ちである▼玉虫色の方針は短文で、官僚的修辞の「霞が関文学」そのものだ。「国民の理解を得つつ、柔軟性を持って、不断の検証と見直しを行い……」。それぞれの立場で読みたいように読める。原発ゼロに反対する経団連の米倉会長は「一応は回避できたのかと思う」と語ったそうだ▼脱原発の世論は膨らんでいる。だが、こちらを立てればあちらから睨(にら)まれるのが民主党は苦手なようだ。鳩山元首相が典型だった。みんなにいい顔をしようとして、行き詰まって内閣が倒れた▼聞けば野田首相は、谷垣自民党総裁と交わした「近いうち」の衆院解散も、びみょーらしい。約束の是非はおいて、どうにも政治が陰(いん)にこもる。「信」はしおれるばかりである。
2012年9月21日(金)付
 東京の多摩動物公園でユキヒョウ(雪豹)の母が死んだという記事に、いささか感じるものがあった。3頭の子を去年産んで育てていた。エサの時間だけは、一緒にしておくとすべて子に与えて食べないため、部屋を分けていたそうだ▼その日も子を別の部屋に移した。油圧扉を閉めているときに子が鳴きだし、母豹は飛び込もうとして扉に挟まれたという。〈物いはぬ四方(よも)の獣(けだもの)すらだにもあはれなるかな親の子を思ふ〉。源実朝の一首が胸に浮かんだのは、人間の感傷だろうか▼動物にも、親から愛情を受ける大切な時期がある。子猫や子犬がかわいいといって、生後すぐに売り買いするのは酷だと、動物愛護法が改正された。まず生後45日までは親から引き離すのを禁じた▼離すのが早すぎると、成長してから、吠(ほ)える、噛(か)むなどの問題行動を起こしやすいという。その結果飼い主に捨てられ、殺処分につながる。人間の欲と身勝手に翻弄(ほんろう)される命は少なくない▼ひどい話もある。ある本によれば、飼い犬を処分するよう自治体の施設に連れてきて、帰りに子犬を「譲ってくれ」と言った男がいたそうだ。犬、猫の処分は減ってはきたが、それでも年に約20万匹にのぼる▼コンパニオンアニマルという言葉はうるわしい。ペットとして飼うイメージを超えた、伴侶としての動物を言う。愛情を注いで、癒やされる。その情けをかりそめに終わらせないのが人の道だろう。使い捨てではない命。きのうから動物愛護週間が始まっている。
2012年9月22日(土)付
 童謡の「どんぐりころころ」にもたとえられる民主党の代表選だった。三つのどんぐりがお池にころがり、どじょうと戯(たわむ)れた。そんな印象だ。消化試合とされた選挙での、番狂わせの匂いさえない野田首相の圧勝、再選である▼といっても、しょせんはお池の中の争い。外に出れば、世間の風当たりはいまや暴風なみだ。19日に東京であった街頭演説会は激しいヤジに見舞われた。「帰れ」「うそつき」の怒号もわき、辻立ちで鍛えた首相もだいぶ参ったように聞く▼それにしても、迫力と盛り上がりを欠く代表選だった。自民党の総裁選が同時進行して「ダブル党首選」とも言われたが、レコードでいえばこちらがB面だろう。針を落とせば流れる童謡に、政権党の孤城落日はきわだつ▼もっともA面の歌も歌手も、さして新味があるわけではない。総裁選の5人は「七光り」の二世らばかりで、風を読んだようなタカ派的発言がもっぱらだ。下野して3年、党を変え、出直しを図ったという実態はよく見えてこない▼落ち目というのは自分で気づくより早く他人の態度が教えてくれる、とシェークスピア劇にある。日本の国力低下を国民は感じてはいた。だが今回、領土をめぐる近隣2国の態度に、その思いをいっそう強くした人は多かろう▼腰の定まらぬ政治の責任は大きい。外から敬意を持たれ、信頼される政府を持てないものか。高望みなら、せめて平均点で機能する政治がほしい。民主にせよ自民にせよ、それとも他にせよ。
2012年9月23日(日)付
 秋分の昼下がり、久しぶりにいわし雲を見た。うろこ雲とも呼ばれる巻積雲(けんせきうん)の正体は、高い空に薄く広がる氷の結晶だという。知れば涼しい豆知識である▼子規は「春雲は綿の如(ごと)く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如く」と、四季の空を例え分けた。そそり立つ入道雲の巨岩が崩れ、白い砂石を散らした空が列島を覆う季節。熱帯夜から解放され、うだる日々を過去形で語れる喜びを思う▼先ごろの朝日川柳が嘆いた通り、まるで「春夏夏冬」の残暑だった。8月下旬から9月中旬、北日本の平均気温は統計史上の最高を記録したという。遅れがちな秋とは別に、10年の単位でみても温暖化は確実に進んでいる▼北極海を覆う氷が、過去最小になったそうだ。観測衛星「しずく」によると、今月16日の時点で349万平方キロ。9月は氷が小さくなる時期だが、1980年代には平均700万平方キロあったから半減である。わが国土の10倍が水と消えた計算だ▼陸地に恵まれ、人類の9割が暮らす北半球では、生産と消費が大量の二酸化炭素を吐く。温室効果で北極の氷は薄くなり、わずかな環境の揺らぎで解けてしまう。遠からず、極点を航行できるようになるかもしれない。悲しい新航路である▼午後の空に舞ういわしの群れは見る間に姿を変えていく。遅れても回る四季の繊細な歯車と、それを乗せてきしむ温暖化の巨大な歯車。小さい方が動いているうちに、大きいのを止める策を講じたい。むろん原発に頼らずに。
2012年9月24日(月)付
 「大鵬があったのは、柏戸がいたからこそなんだ」。盟友を悼む納谷幸喜(なやこうき)さん(元大鵬)の言葉である。柏鵬時代ならずとも、拮抗(きっこう)する横綱が東西にでんと座らないと大相撲は締まらない▼これで番付が落ち着こう。日馬富士が2場所続けて全勝優勝し、5年ぶりに新横綱が生まれる。結びの一番、朝青龍が去った角界を背負う白鵬を、しかと組み止め、渾身(こんしん)の投げで転がした。心がけている「お客さんが喜ぶ激しい相撲」だった▼68、69、70代と最高位を占めるモンゴル勢。朝青龍が剛なら、白鵬は柔、反射神経に秀でた日馬富士には鋭の字が合う。剛柔を自在に行き来するスピードと、技のキレが身上だろう▼立ち合いは低く、鋭く、コオロギのごとく突きかかる。動きは時に軽業師を思わせ、押し込まれても土俵際で捨て身の大技が出る。向こう気が強く、受けてさばく横綱相撲ではないけれど、すでに28歳、魅力的な取り口を、地位ゆえに改めることはない▼横綱は、大負けが許されぬ重圧の下で心身を削る職である。戦後は平均26歳で昇進し、31歳で引退している。50場所以上の在位は北の湖、千代の富士、大鵬、40場所でも貴乃花、曙、柏戸、輪島、朝青龍が加わるのみだ▼「名を汚さないよう、いい生き方をしたい」。4年前、大関になった日馬富士の言に小欄は大器を予感した。やや晩成となったが、名だたる先達を変に意識することなく、変わらぬ野性味で暴れ続けてほしい。「楽しませる横綱」という生き方もある。
2012年9月25日(火)付
 40年前のきょう、当時の田中角栄首相は北京へ発った。毛沢東主席、周恩来首相と会談をこなし、中国との国交関係を回復したのは9月29日のことだ。歴史的な訪中の前日、田中は東京西郊にある高碕(たかさき)達之助の墓前に参じている▼日中友好の井戸を掘った日本人として、真っ先に名前のあがる人物だ。実業家にして政治家で、周恩来との間に信頼と友情を育み、国交正常化への道をつけた。いま泉下(せんか)で、角突き合わせる両国を何と見ていよう▼北京で開催予定だった国交40年の記念式典が事実上中止になった。節目節目に開かれてきたが、取りやめは初めてだ。他の交流事業や催しも相次いで中止、延期になっている。先人が掘り、後続が深めた井戸の水位が、みるみる下がりつつある▼本紙が両国で行った世論調査で、日本の9割、中国の8割が「日中はうまくいっていない」と答えた。中国での調査は尖閣諸島の国有化前だから、今はさらに悪化していよう。どちらの政府も弱腰批判が痛手になりかねない▼きょうは中国の文豪、魯迅(ろじん)が生まれた日でもある。魯迅といえば「もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」の一節が名高い。日中の井戸も、戦後の荒野についた道のようなものだ。営々と時をかけて太くなってきた▼すぐ指をポキポキ鳴らしたがる大国は厄介だが、平和国家は「柳に雪折れなし」の外交で、譲らず、理を説いてほしい。勇ましい声に引きずられると、井戸は涸(か)れて火柱が立つ。
2012年9月26日(水)付
 たとえば結婚式。スピーチで年配のおじさんが「人生で大切な10の心構え」などと話しだすと3分では終わらない。この手の話は長びくのが相場。終わるとやれやれで、一息つきながら拍手と相成る▼退屈な冗舌もやりきれない。英国の作家モームの短編にそんな女性が出てくる。周りの辟易(へきえき)には気がつかない。「平凡きわまることを、釘を壁にハンマーで打ち込むように、他人の耳の中へと押し込んだ」(行方〈なめかた〉昭夫訳)。知り合いの顔が浮かんだ方(かた)も、おいでだろうか▼あれこれ思いながら、先日の記事を読んだ。人を笑わせ、考えさせる科学研究などに贈られる恒例の「イグ・ノーベル賞」を日本人の研究者2人が受賞した。発明したのはおしゃべりを黙らせる装置。一台ほしい、という声があちこちから聞こえそうだ▼話している人に向けて、0.2秒ほど遅れてその声を送り返す。すると混乱して話し続けられなくなるらしい。長話を黙らせたいという「人類の根源的問題」に応えようとした。そんな評価もあるそうで、ユーモアの味わいがいい▼思えば、目は閉じたいときにすぐ閉じられる。しかし耳は同じようには閉じられない。だから携帯電話の話し声やら、聞きたくないのに聞こえてしまう▼一方で、退屈な講演などを「最高の子守歌」と言う人もいる。耳が閉じられないゆえの余得だろう。うつらうつらの船漕(こ)ぎは、なかなか幸せな一時(ひととき)でもある。ユニークな賞に誘われて、秋の一日、連想があちらこちらへ広がった。
2012年9月27日(木)付
 3年前の秋、自民党は落ち武者集団を見るようだった。政権を明け渡し、「自民党という名が国民に嫌われている」と党名を変える動きもあった。「和魂党」やら「自由新党」やら、まじめに考えていたらしい▼支援団体は離れ、陳情は減り、食い慣れぬ冷や飯のせいか無気力と自嘲さえ漂った。その斜陽から、新総裁が次期首相と目される党勢の復活である。「ある者の愚行は、他の者の財産である」と古人は言ったが、民主党の重ねる愚行(拙政)で、自民は財産(支持)を積み直した▼とはいえ総裁に安倍晋三元首相が返り咲いたのは、どこか「なつメロ」を聴く思いがする。セピアがかった旋律だ。当初は劣勢と見られたが、尖閣諸島や竹島から吹くナショナリズムの風に、うまく乗ったようである▼1回目の投票で2位だった候補が決選投票で逆転したのは、1956年の石橋湛山以来になる。その決選で敗れたのが安倍氏の祖父の岸信介だったのは因縁めく。「もはや戦後ではない」と経済白書がうたった年のことだ▼以降の自民党は、国民に潜在する現状維持意識に根を張って長期政権を保ってきた。人心を逸(そ)らさぬ程度に首相交代を繰り返してきたが、3年前に賞味期限が切れた▼思えば自民は、原発を推し進め、安全神話を作り上げ、尖閣や竹島では無為を続け、国の借金を膨らませてきた。景気よく民主党を罵倒するだけで済まないのは、よくお分かりだと思う。たまさかの上げ潮に浮かれず、責任を省みてほしい。
2012年9月28日(金)付
 「昭和二十二年の井伏さん」という短い一文が井上ひさしさんにある。作家の井伏鱒二がその年に井上さんの本家筋の造り酒屋にやってきた。のぞき見ると「丸顔の人がにこにこしながら盃(さかずき)を口に運んでいた」そうだ▼お酒を傍らに、土地の文学青年らが持ち込んだ原稿にすこぶる的確な評を与えて、宵の口に別の町へ発ったという。だが、その井伏さんは真っ赤な偽者(にせもの)だった。白いご飯とお酒を目当てに「偉い先生」になりすまし、田舎に出没する者が当時は珍しくなかったらしい▼どこか憎めない「にせ文士」と違い、警視庁などが逮捕したニセ医師(43)は深刻だ。東京や長野、神奈川の医療機関で1万人以上がこの人物の健康診断を受けたと見られる。命にかかわる見落としがなかったか心配になる▼同姓の医師になりすました男は、独学で知識をかじったそうだ。長野では企業に出向く形で健診をこなし、問診や触診もした。明るくて好評だったというから皮肉である▼なりすましといえば、イラストレーターの南伸坊さんは有名人に顔を似せるのを得意技(わざ)にする。その写真を集めた『本人伝説』(文芸春秋)の宣伝文句は言う。「自分ひとりが本人と思い込んでいる虚をついて、著者が本人になりすます」▼伸坊さんなら光栄だが、どこでもう一人の自分が大手を振っているか、悪事を働いているか分からない。オウム逃亡犯もそうだった。その危うさをネットが増幅する。有名無名を問わず、虚をつかれやすい時代になった。
2012年9月29日(土)付
 生まれては消え、消えては生まれ。うたかたのような言葉の中にも、生き延びて市民権を得るものがある。腹が立つ意味の「むかつく」もどうやら根を張ったらしい。日常会話で使う人が全体の約半数、30代までに限れば4分の3を超えるそうだ▼文化庁の国語世論調査は毎年、ひとしきりの話題を提供してくれる。今年の調べでは、「なにげなく」を「なにげに」と言う人が約3割いた。「正反対」を「真逆(まぎゃく)」、「中途半端でない」を「半端ない」がともに2割強と聞けば、言葉は生きものだと痛感する▼この手の言葉は、若者の間から生まれて、年かさの世代へ攻め上がる。年配層は眉間(みけん)にしわが寄るが、「真逆」も「半端ない」も16〜19歳では6割以上が使っている。遠からず定着と相成るのだろう▼これを乱れと見るか、言葉の賑(にぎ)わいと見るか。茨木のり子さんに「日本語」と題する詩がある。〈制御しがたい奔流は/濁りに濁り/溌剌(はつらつ)と流れてゆくがいい/決壊を防ごうとたとえ百万人/力を併せて清潔なダムを作ってみても/そこに魚は住まないだろう〉▼茨木さんは別の随筆で、聞き苦しい言葉は無数にあると言いつつ、「いやな日本語を叩(たた)きつぶせば、美しい日本語が蘇(よみがえ)るというものでもないだろう」と書いていた▼曖昧模糊(あいまいもこ)を「あいもこ」、かくかくしかじかでを「かくしかで」――などと若者言葉は多彩だ。眉が八の字になりかけるが造語の才には脱帽する。頑迷にならず、迎合もせず、生きた濁流を眺めようか。
2012年9月30日(日)付
 無人島のために戦争なんて、とつぶやける国がいい。隣国の無法に呆(あき)れ、国境の荒波にもまれる海保の精鋭たちに低頭しつつ、小欄、間違っても煽(あお)る側には回るまいと思う。立ち止まらせる9月の言葉から▼竹島は日本領と発言したら、韓国紙に極右作家と書かれた岩井志麻子さん(47)。韓国人の夫は愛犬を独島(トクト)と呼び、妻は竹島と呼ぶ。「痴話げんかはするけど本気ではやらない。夫婦関係も隣国との関係も、そういう約束の上で成立している」▼「日本だけが素晴らしいという考えは、思い上がった自国愛にすぎない。ただの排外主義。愛国とは最も遠いものです」。新右翼の一水会顧問、鈴木邦男さん(69)だ▼「福島で失われようとしている国力の問題は、その価値において領土問題の比ではない」と作家の池澤夏樹さん。「領土は隣国との意地のゲームだが、福島は現実。住む土地を追われた人々がいる」▼節電で猛暑を乗り切った大阪府豊中市の上田照子さん(70)が語る。「今ある電気で間に合う生活にしていく。夏も冬も、電気を大切にする意識はもう変わらないと思う」▼パラリンピックの旗手を務めた全盲の木村敬一さん(22)が、100メートル平泳ぎで銀メダルに輝いた。「世界にもっと飛び出したい。行った国や知り合った人が多いほど、僕の地球は広がる」▼国民感情を煽る言動、村上春樹さん言うところの「安酒の酔い」に溺れず、ここは心に一拍おいて国柄を示したい。台風が恨めしいが、今宵(こよい)は中秋の名月である。
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查看完整版本: 朝日新聞・天声人語 平成二十四年(九月)