朝日新聞・天声人語 平成二十四年(十二月)
2012年12月1日(土)付めくり忘れて痛い思いをしたわけではないが、日めくりの暦(こよみ)がどうも苦手である。馬齢のせいか、目に見えて「残り日」が減るのが面白くない。愛用者も多いけれど、24時間すごせる回数券を日々ちぎるような、デジタル的な喪失感がきつい▼他方、ひと月ごとのカレンダーは、きょうとあすの間の余白に味がある。アナログの安らぎとでもいおうか、消えていく時が見えにくいのがいい。ただし月の変わり目には、喪失感がまとめてやってくる▼壁のカレンダーがあと一枚になった。「師も走る」とされる月だから、我々がせわしいのは無理もない。賀状の準備に大掃除、忘年会。今年は選挙も重なり、ざわついた年の瀬になろう▼罪なのは年末ジャンボだ。1等4億円が68本、前後賞を合わせ6億円と史上最高の賞金である。その額に目がくらみ、買ってもいないのに胸が躍る自分がおかしい。かくして、自治体の台所はささやかに潤う▼鹿児島県に住む40代の女性が今年、「宝くじに当選させる」という電話を真に受け、何者かに計4千万円を振り込んだそうだ。だます方が悪いに決まっているが、うますぎる話を聞いた時は途中で耳を塞ぎたい▼見果てぬ夢を、くじではなく、真新しい手帳や日記に託す人もおられよう。365日分の回数券がそこにある。白いページの、なんとまぶしいことか――師走につられて先走りすぎたようだ。まずは残る31枚を惜しんで使いたい。「忙忙(ぼうぼう)」と吹きすさぶ北風に、心まで飛ばされぬよう。
2012年12月2日(日)付
すっかり冬になってしまえば腹も据(す)わるのだが、冬にさしかかる時期はどこか、太陽が遠くなった心細さがある。日ごとに寒く、夕暮れは早い。紅葉(もみじ)のあとの山野はすがれて、時雨(しぐれ)が通れば趣よりも寂しさがまさる▼冬の入り口は土地土地で違う。駆け出し記者時代に暮らした北陸は、鉛色の空から降る冷雨に雪がまじった。「いっそ早く真冬になってほしい」と仲間うちでぼやき合ったものだ。片や東京は、乾いた空から吹く季節風が、ビルの谷間でひゅうと鳴る▼その木枯らしに急(せ)かされるように、木々はいま落葉がしきりだ。風に散って舗道を這(は)う光景には落魄(らくはく)のイメージが重なる。しかしよく見ると、裸になったコブシなど、ビロードに包まれたような花芽をおびただしく光らせている▼秋の落葉こそが「始まり」だと、チェコの国民的な作家チャペックが書いていた。かんしゃく玉のような小さな新しい芽が、枝という枝にぎっしりばらまかれていて、あくる年、それらのはぜる爆音とともに春がおどり出るのだと▼「自然が休養をする、とわたしたちは言う。そのじつ、自然は死にもの狂いで突貫しているのだ」(『園芸家12カ月』中公文庫)。枯れて黙したような身の内に、木々は深く春を抱くのである▼この週末、天気図は冬の曲線を描いて、北日本は雪景色が広がった。〈寒波急日本は細くなりしまま〉阿波野青畝(あわのせいほ)。はしりから本番へ、今年の冬はきっぱりやって来たようだ。生姜湯(しょうがゆ)でもすすって、腹を据えるとする。
2012年12月3日(月)付
憂うべきか、当たり前と思うべきか、ある本によれば、外交では最後に軍事力がモノを言うというのが国際政治のイロハらしい。次に経済力だそうだ。だが、そればかりではなく国際世論というのがある。どんな国もこれを敵に回したくはない▼その国際世論が、武力も経済力もないパレスチナを後押しした。国連総会が先日、パレスチナの参加資格を、オブザーバーながら「国家」に格上げした。賛成138、反対9、棄権41は圧倒的な支持といえる。対立するイスラエルと、後ろ盾の米国には厳しい結果だ▼ふと浮かんだのが、戦前の日本をめぐるリットン報告書の国際連盟採択だった。満州国の不承認に日本だけが反対した決議は42対1。たとえるなら、それぐらい明らかな「世界の声」に思われる▼同じ国連でも、安保理は米英仏中ロが牛耳って、決議は大国の拒否権に左右される。だが総会はどの国も等しく一票を持つ。血で血を洗う情勢に多くの国が心を痛めている。ちなみに日本は賛成を投じて、米国とは一線を画した▼決議への報復に、イスラエルは占領地に3千戸の入植住宅の建設を決めたという。これは国際法に反するが、強面(こわもて)の国は頑(かたく)なさを崩そうとしない▼パレスチナの名高い詩人が「愛の詩でさえ、ここでは抵抗の詩になってしまう」と言って嘆いた悲劇の地に、和平が灯(とも)る見通しはまだない。その剣を鋤(すき)にうち変え、その槍(やり)を鎌に変える――旧約聖書の言葉に立ち戻っての和解と共存は、かなわないものか。
2012年12月4日(火)付
アルプス最高峰、モンブランのトンネルを車で走ったことがある。約4千円の通行料より、時速50~70キロ、車間150メートルという厳格な規制にたまげたものだ。1999年の火災事故(死者39人)の教訓と聞いた▼フランスとイタリアを結ぶ細穴は、12キロ弱の対面通行である。高速道から入るとノロノロ運転の感覚で、遠くのテールランプをにらんでの10分が長い。閉所に弱い当方、名峰の胎内に限らず、トンネル内ではあらぬ悪夢が胸をよぎるのが常だが、頭上を案じたことはついぞなかった▼中央自動車道笹子(ささご)トンネルの天井崩落は、3台を巻き込み、9人が亡くなる惨事となった。130メートルにわたり300枚ものコンクリート板が落ちる、前例のない事故である▼崩れたのは全長の3%。7秒で抜けられる距離で、ひと息の差が生と死を分けた。前触れもなく、前途を絶たれた人の絶望に胸が詰まる。渋滞していたらと思うと、なお恐ろしい▼開通以来35年、外は地圧と水、内は排ガスや振動にさらされてきた。老朽化という時限爆弾が、天井裏に埋め込まれていなかったか。秋に点検済みとはいえ、最上部のボルト周辺は目視のみ。打音検査なら劣化が分かったかもしれない▼「中高年」に入るインフラは、入念な手入れが欠かせない。悲劇を口実に、道路予算が野放図に復活しては困るが、命を守る策はむしろ「コンクリから人へ」だ。今の日本には、蓄えたものを細く長く使う、倹約の哲学がほしい。それを劣化とは呼ばない。
2012年12月5日(水)付
勝ち負けにも、程度に応じて大中小がある。ワーテルローの戦いでナポレオンを退けた英軍の指揮官によれば、大敗の次に恐るべきは「中敗」ではなく、大勝だという。兵士らは望外の戦果に狂喜、陶酔、慢心し、戦いの目的までを忘れかねない▼あの夏、天下分け目の戦(いくさ)で政権交代を果たした民主党も、308議席の大勝に足をすくわれた。衆院での絶対優位で、選挙互助会の結束は緩み、寄り合い所帯は内紛に明け暮れることになる▼きのう公示された衆院選の勝ちっぷり負けっぷりも、次の政権の緊張感を左右するだろう。「ほどほど」に勝ったところが、知恵を絞り、妥協に備え、国を立て直す政策論争に臨む。そんな国会にならないものか▼何人かの党首が福島から第一声を上げた。原発ひとつとっても各党の公約は各様で、政治の過渡期らしい百家争鳴である。投票日までの論戦を通し、私たちは「正しそう」な人と党を選ぶだけだ▼群衆が勝たせるのは、「正しいことを言っている感じ感をもっとも演出できた人」らしい。作家の町田康(こう)さんが、そんな長文を本紙に寄せている。しかし「感じ感」では危うい。音楽のような喋(しゃべ)り言葉から、せめて「正しい感じ」を聞き取らなあかんと▼この国に、過渡期の人模様を楽しむゆとりはない。内外でわき上がる難題に、立ち向かう時間は乏しい。同好会のように新党が生まれ、幸い、選択肢だけは豊かな「感じ」である。争鳴から聞こえ来る処方のウソ、ホントを見きわめたい。
2012年12月6日(木)付
同世代の死はこたえるが、きのうは心底もったいないと沈んだ。歌舞伎の開拓者にして当代きってのエンターテイナー、中村勘三郎さんはまだ57歳。満席の客を残し、早すぎる幕である▼「あんた、渋谷で歌舞伎なんて都落ちだよ」。若者の街でコクーン歌舞伎を始めると、祖母に泣かれたそうだ。野田秀樹さんら、現代劇の異才とも組んだ。そして平成中村座。観衆を楽しませ、ファンの裾野を広げる熱と技は人一倍だった▼地方公演の楽屋で、女形の化粧を落としていると「拍手が鳴りやまない」という。コールドクリームまみれで舞台に戻ったサービス精神は語り草だ。おちゃめな人柄そのままに、時事のアドリブも交えた自在の芸である▼あるフラワーデザイナーが、「藤娘」の踊りには造花より生花がいいと持ちかける。勘三郎さんは「女形そのものが造花ですから」と拒んだ。攻めて崩すのみならず、守るべきものを知る人でもあった▼初舞台から40代まで名乗った勘九郎は長男に譲った。孫を加えた三代での共演を夢見て、来春の歌舞伎座こけら落としを心待ちにしていたという。十八代目の襲名にあたり「勘と嗅覚(きゅうかく)、あとは運」と語っていたが、最後の一つがままならなかった▼この日の東京は朝から日本晴れ。勘三郎さんが完成を待ちわびたその小屋も、同じ思いで中村屋の復帰を念じていたに違いない。仕上げに入った唐破風(からはふ)の屋根が、青藤(あおふじ)色の工事用シートから透ける。人目をはばかり、泣いているように見えた。
2012年12月7日(金)付
単身赴任した昔、駅前ビルに掲げられたその名に絶句した覚えがある。堂々の「大名古屋ビルヂング」。開業から半世紀、3年後には超高層に生まれ変わるが、その、八丁みそのように濃い名が継がれることになった。なるほど名古屋は、名が古いビル(屋)とほぐせる▼大の響きも、ビルヂングもやぼったい。だが、解体を控えた秋の回顧写真展では「名前だけでも残して」の声が相次いだという。かくて家主の三菱地所が思い切った▼「東京、大阪の陰に隠れていた都市が、自動車産業を軸に世界に飛躍した時代のシンボルです。屋上の看板とセットですごい存在感でした」。喜ぶのは『名古屋学』(経営書院)を書いた岩中祥史(よしふみ)さん(62)だ▼ヂという表記は、外来語のZIをジ、DIをヂと書き分けた頃の名残か。かつては後楽園スタヂアム、今でも日本ビルヂング協会連合会などがある。東京駅前の丸ノ内ビルヂングは、10年前の建て替えで丸の内ビルディングとあか抜けた▼同じ所有者が、東京で消した名を名古屋では残す。ヒルズやタウンなど、しゃれた名称の再開発が多い中、昔風のネーミングはそれだけで渋い輝きを放つだろう。お金をかけずに目立つなら、かの地らしい「お値打ち」となる▼洗練をよしとする江戸風に対し、わが道をゆく尾張流。みそカツや天むすなど、中京圏では食道楽も独自の進化を遂げてきた。街もいろんな味がするから面白い。地方の文化を尊ぶ意味でも「どえりゃあ決定」だと支持したい。
2012年12月8日(土)付
思えば、標語の技には進歩がない。「新体制で国を強く明るく」。どこかで見たような幟(のぼり)が大阪に現れたのは1941(昭和16)年初めだ。夏には優秀児を選び出して遺伝調査が始まる▼「云(い)うな不平。漏らすな秘密」。行楽先で軍港や駅をうっかり撮影し、捕まる人が続出した。「国が第一、私は第二」「聖戦へ、民(たみ)一億の体当(たいあた)り」と標語は熱くなり、71年前のきょう、日本軍は真珠湾を奇襲する。この痛恨の日を、各党のスローガンが飛び交う中で迎えた▼内外の流血を結晶させた平和憲法が、選挙の争点にされている。政権に戻る勢いの自民党は9条を変え、自衛隊を国防軍にするという。呼び替えだけでは済むまい。海外で米国と共に戦う集団的自衛権までが、景気や原発と並べて語られる▼戦争観は世代で違うが、国民の8割は戦後生まれ。悲惨を肌で知る人は少ない。核保有の利を唱える石原慎太郎氏にしても、終戦時は12歳だった。しかも、国防を声高に論じているのは、何かあっても銃を持たされる年齢層ではない。政治家も、我ら言論人も▼有名な「欲しがりません勝つまでは」は開戦の翌年、「国民決意の標語募集」の入選作である。主催は大政翼賛会と、朝日、毎日、読売の各紙だった。政治とメディアが単色になる危うさを思い起こしたい。右へ倣えを、他国も案じている▼〈この子らに戦(いくさ)はさせじ七五三〉水野李村(りそん)。国を守る決意もいいけれど、戦没者の悔しさを思い、孫子の顔を浮かべての一票も悪くない。
2012年12月9日(日)付
赤シャツといえば、漱石の小説「坊っちゃん」に出てくる嫌みな中学教頭だ。赤シャツ氏は文学士で、作中、坊っちゃんは「文学士といえば大学の卒業生だからえらい人なんだろう」と言う。時は明治、学士様の値打ちは今と比べものにならない▼とはいっても、漱石の盟友だった子規は〈孑孑(ぼうふら)の蚊になる頃や何学士〉と揶揄(やゆ)したような一句を詠んでいる。大学を中退した頃の作というから、微妙な屈託もあるようだが、諧謔(かいぎゃく)のセンスはこの人らしい▼ところで昨今は、漱石らが聞いたら戸惑うような学士が急増しているそうだ。先の本紙記事によれば、50年ほど前には文、法、工、経済などおなじみの25種だったのが、今や何と700を超えた。何を学んだのか分かりにくいものも多い▼例えばデザインストラテジー、ホスピタリティ経営、人間文化共生……まだまだある。大学設置基準が変わって、自由に学位名をつけられるようになったためらしい▼右の例のことではないが、専門家は「日本の大学が変な学位を出して、世界から低く見られないよう自覚を促すほかない」と憂える。大学は乱立、学位は撩乱(りょうらん)。機会が広がる一方、首をかしげる向きが多いのも事実だ▼漱石が東京帝大講師の職をなげうったのはよく知られる。「大学屋も商売である」と言い、「大学は月給とりをこしらえて威張っている所」と嘆いた人だ。少子化の時代に最高学府はどうあるべきか。三途(さんず)の川に糸電話を張って尋ねてみたい、きょう漱石忌である。
2012年12月11日(火)付
小沢昭一さんは、変哲(へんてつ)の俳号で句作をたしなんだ。〈夕刊をかぶり小走り初時雨(しぐれ)〉。その夕刊の、雨よけに使えば真っ先にぬれる1面に、83歳の訃報(ふほう)が出た。怪しげな役で光る名優として、民衆芸能の語り部として、まさに変哲だらけの、代えの利かない才人だった▼〈竹とんぼ握りたるまま昼寝の子〉。永六輔さんや桂米朝さんらと楽しんだ作には、たくまざるユーモアの中に、小さきもの、弱きものへの優しさがにじんでいる。〈手のなかの散歩の土産てんとう虫〉▼40代から集めた大道芸や露天商、見せ物小屋などの記録もまた、消えゆくものへの惜別だろう。名も無い人々が放浪しながら、食べていくための「地べたの芸」だ。担い手と共に絶える間際、辛うじて映像や音声に拾われたものも多い▼研究者としての業績に、朝日賞が贈られた。2時間近い記念講演の終わり、都心の駅でハーモニカを吹く芸人を語ると自らも一曲。取り締まりに気づいて逃げ出す演技で舞台袖へと消え、喝采を浴びた▼TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は約40年、1万回を超えた。3年前、「ぼちぼち」のしゃれでお墓を取り上げた回に、「千の風」になるのは嫌だと語っている▼「ちっちゃい石ころ一つでもいいから、私の骨のある場所の目印、あってほしいな。そこから私ね、この世の行く末をじっと見てるんだ」。目印は大きめでお願いします。暖かくなったら、世相の笑い飛ばし方を教わりにお訪ねしたいのこころ、である。
2012年12月12日(水)付
決めたからには、急がば回れを実証しようじゃないか。米球界で活躍する夢をしばし封じ、日本ハムに入る花巻東高の大谷翔平投手にエールを送りたい。入団の利点を、情よりデータで説かれての翻意である▼地元岩手での記者会見。「日本で恩返しができれば」と語る18歳を、51歳の栗山英樹監督が神妙に引き取る。「驚くような成功をさせてあげたい」。打撃にも秀でた逸材を、投打の二刀流で育てるという。殺し文句は「誰も歩いたことのない道を歩いてほしい」だった▼大谷君の甲子園は、春夏とも1試合で終わっている。被災地の期待を背負った昨年夏の帝京戦。左足の痛みをおして投げたが7―8で散った。栗山氏は解説者として、震災後から彼を取材し、このゲームも間近で観(み)た▼「大谷君の足は悲鳴を上げている……初めての甲子園、思い切り投げたいだろうに、持っているすべての技術を使って必死に一つのアウトを取っていく」。大会を顧みる『2011年、特別な夏』(日刊スポーツ出版社)に非凡さを記した▼再会の場はなんと入団交渉。この奇遇、強運を生かした栗山氏の「好かれる力」は侮れない。不調でも4番で使い続けた中田翔選手がシーズン終盤に活躍するなど、選手との信頼関係は厚い▼大谷君はここまで良縁に恵まれた。北海道でも強打のエースとして「驚くような成功」を狙えばいい。どの道を行くにせよ、若さは「驚くような成長」を約束している。大丈夫、大リーグは逃げも隠れもしない。
2012年12月13日(木)付
きのう、2012年12月12日はいわば12の日だった。西暦の年月日が同じ数になる日はもう22世紀までない。この種の並びに無頓着な向きにはどうでもいい話だが、星占いの十二宮(きゅう)で知られる通り、12は「宇宙の秩序」を表す数でもある▼天空の秩序に一枚かもうと考えたのか、北朝鮮が人工衛星と称してミサイルを発射した。10分で沖縄県上空を通過し、ほどなくフィリピン沖に達したという。国営放送は、歓喜に震えるあの調子で「衛星は軌道に乗った」と伝えた▼10~29日と予告していた期間内では早めの打ち上げだ。自らの選挙に専心したいあまり、「さっさと上げてくれるといい」と放言した官房長官殿が、同じ口で「国民の皆さんは冷静に」と呼びかけた▼春と違い、まともに飛んだように見える。核開発を急ぐ独裁国家がミサイルの力もつけているとなれば、冷静になれる人ばかりではない。それぞれ衆院選、大統領選のさなかの日韓で強硬論が勢いづき、東アジア情勢は険しさを増すかもしれない▼北が軌道に乗せたと誇るモノは、目的で呼ぶなら「挑発衛星」でしかない。それは、国際社会の非難を連れて金王朝の空に戻って来よう。飢えて凍える民をよそに、なけなしの体力でとんがるハリネズミ国家。困ったものだ▼発射から4時間あまり、京都の清水寺で「今年の漢字」が墨書された。ロンドン五輪や金環日食にちなんで「金」だった。めでたく輝く色にすがりたい昨今ではあるが、「金」で曇る年の瀬もある。
2012年12月14日(金)付
住宅や工場を建てる前に行う儀式が地鎮祭だ。土地の神様をまつり、工事の無事、建造物の安全をお願いする。お米や酒を供えて、関係者がくわを入れる▼日本原子力発電も1966年春、敦賀原発(福井県)の着工時にお祓(はら)いをしたはずだ。なにしろ国内初の軽水炉、若狭湾を囲む「原発銀座」の先駆だった。供え物が足りなかったとは思わないが、鎮めがたい魔物が地に潜んでいた▼後年、敷地を走る浦底断層が、地震で暴れる活断層と判明する。先頃の調査によれば、2号機の下にも浦底に連動する活断層があるらしい。原子炉直下とあっては再稼働はかなわず、廃炉となる公算が大きい。存亡の危機に、同社は動揺を隠せない▼だが希望はある。原発の草分け企業は、廃炉でもパイオニアなのだ。日本初の商用炉、東海原発は98年に発電をやめ、解体作業が進んでいる。敦賀の1号機も運転が40年を超え、先が見えてきた▼2号機も動かせないのなら、経営の軸足を廃炉ビジネスに移してはどうだろう。一つで少なくとも数百億円、数十年もの大事業だ。しかも国内だけで膨大な需要が約束されている。業界が直面する課題に挑むうえで、電力各社が出資する原電は適役といえる ▼原発づくりは、地上のなんだかんだに精力を費やすせいか、地中への目配りが十分でなかったようだ。足元の怪しい施設は一つ二つにとどまらず、今さらながら、地震列島に原発大国を築いたことが悔やまれる。国土を守る、大地主神(おおとこぬしのかみ)の渋面を思う。
2012年12月15日(土)付
冬の味覚でもトラフグの白子(精巣)は別格だろう。塩をして焼けば、外は香ばしく中は濃厚、スダチを搾るだけで至福の味わいだ。財布と相談の上、早春までの旬にぜひ食したい。この白い宝石、大量生産で身近になるかもしれない▼東京海洋大などが先ごろ、トラフグのオスだけを殖やす技を開発したという。クサフグを代理親に、オスばかりできる精子を持った「超オス」を作った。「精巣工場」とでも呼ぶべき、究極の産み分けだ▼トラフグのオスがメスより3割ほど高いのは「白子代」。超オスが出回れば、白子の価格革命である。美食のために自然の摂理をいじることになるが、養殖場限りの営みなら天も許してくれよう▼ヒトに関わる摂理はより繊細で、男児の出生比率は女児を5%ほど上回る。病気や戦争など、男子には早世の理由が多い。ゆえに、婚期の男女を同数にする「神の配慮」が働くのか。フグと違い、これに障ると天罰が下りかねない▼米サイエンス誌の北京駐在記者、マーラ・ヴィステンドール氏は近著『女性のいない世界』(講談社)で、中国の若者が暴れるのは一人っ子政策の負の遺産と指摘する。「稼げる息子」を望んで女児の中絶が増え、あぶれた男子の心がすさむ結果だと。一般に、男の比率が高すぎる社会は暴力的になるらしい▼さて、性比の不均衡といえば、わが国会である。直近の衆院議員で女性は11%、主要国の最低レベルだ。候補者にもよるが、あすの一票で何とかできないものか。
2012年12月16日(日)付
大波のような毀誉褒貶(きよほうへん)の落差が、田中角栄元首相ほど激しい政治家もまれだ。金権政治の元凶のように見られながら、本紙別刷り「be」による戦後首相の人気投票では吉田茂を抑えて1位になった。その人の、きょうは命日だという▼先輩記者の著書によれば、あのだみ声で、よくこういう演説をしたそうだ。「政治はね、生活なんです。昨日より今日、今日より明日の生活が良くならなくちゃね。月給が倍増、3倍増、10倍増になったでしょ」。いい時代だった▼それから幾年月、この国はどんより雲に覆われ、政治の仕事は「富の分配」から「我慢の分配」に変わった。内外の難しい舵取(かじと)りを、どの政党、どの人物にゆだねるか。決めあぐねたまま投票日、という人も多いようだ▼思えば、東西冷戦や高度経済成長の時代は分かりやすかった。無関心でも政治はそこそこやってくれた。そうした「お任せ民主主義」からの覚醒を迫られる中で、迷いは募る。一票の意味はかつてなく複雑、かつ多様だ▼一昨日の紙面に、大学生が選んだ今年の漢字は「乱」という記事があった。政治は混乱し、政党は乱立。そして、次の政権に期待する漢字の1位には「信」がきた。乱から信へ。たとえ消去法でも腐らずに権利を行使したい▼あきらめと冷笑は何も生まない。「悪い政治家をワシントンへ送るのは、投票しない善良な市民たちだ」とある米国人が言った。永田町もおなじこと。明日をもっと悪くしないためにも、鉛筆に力をこめて。
2012年12月17日(月)付
年の瀬の恒例、東京は浅草の羽子板市が今日から始まる。その羽子板を〈羽子板や裏絵さびしき夜の梅〉と詠んだ永井荷風の一句がある。絢爛豪華(けんらんごうか)に仕上がった表に比べて、裏は淋(さび)しいと。裏絵も味わい深いのだが、表との落差ゆえ、荷風の目には沈んで見えたのだろう▼さて年の瀬の総選挙は、羽子板ならぬ政治の裏表を、1日にして入れ替えた。裏絵にまわった民主党は民意の嵐になぎ倒され、表に出た自民党は、勝利の上に「大」をのせて千両役者の舞い姿である。小選挙区制の破壊力、いまさらながら恐ろしい▼19年前のカナダを思い出す。単純小選挙区制のもと、政権党が前回獲得の169議席を何と2議席に減らして敗れ、首相も落選した。今も語りぐさの選挙を彷彿(ほうふつ)とさせる、民主党の負けぶりだ▼期待に応えられなかった責任は重い。とはいえ、小選挙区制がうっぷん晴らしの装置になっているようでもあり悩ましい。破壊力を恐れた政党が、ますますその場しのぎの国民受けに流れないか心配になる▼「負けに不思議の負けなし」と言う。だが「勝ちに不思議の勝ちあり」なのだそうだ。民主が前者なら自民は後者ではないか。一度首相を辞めた人が新味の薄い党を率いての大勝は、敵失などの「賜(たまもの)」と割り引く謙虚さが必要になる▼老舗の党である。内外多難の時代に経験と円熟を頼む人は少なくあるまい。だが政治課題の追い羽根をつき損なえば、再び大きな×を顔に塗られよう。億の目が舵取(かじと)りを見つめている。
2012年12月18日(火)付
「もう一度チャレンジしてみろという、ファンの声を無にできない」。長嶋茂雄さんが巨人軍の監督に復帰したのは20年前である。久々のユニホーム姿にG党は燃えた▼新味こそないが経験は生きる。2度目とはそういうものだろう。スター選手からすぐ指揮官に転じ、最下位の屈辱までなめたミスターへの期待もそこにあった。片や5年ぶりに首相を務める安倍晋三氏の身辺に、そうした高ぶりはない▼新政権を見る目が熱狂から遠いのは、誰より氏がご存じだ。きのうの記者会見。「自民党への厳しい視線は続く」と語り、谷底からのスタート、危機突破内閣と、険しい言葉を連ねた。失敗は許されない、そんな緊張感がにじむ▼小選挙区制の下、民意の振り子は何度でも、時の政権を吹き飛ばすだろう。61%の議席を占めた自民党も、各党の人気を映す比例区の得票率では、大敗した前回とさして変わらぬ27%台にとどまった。ここはおごることなく、経済や外交に当たるのが得策だ▼一方、投票率は戦後最低の59.32%に沈んだ。明日の暮らしを脅かす難題に囲まれながら、政治に白けているかのような有権者は気になる。だが、リーダーが妙な熱狂から遠いのは悪いことではない▼首相への復帰は、戦後では吉田茂の例があるだけだ。日本の主権回復とも重なる吉田の2度目は、6年を超す長期政権となり、軽武装で復興と成長にひた走る路線が敷かれた。これぞ保守本流である。安倍氏には、そちらもまねしてほしいのだが。
2012年12月19日(水)付
投票用紙を前にしても迷った「紙前党多(しぜんとうた)」の衆院選。結果が「自公治得(じこうじとく)」「維新前進(いしんぜんしん)」だけに「翁政復古(おうせいふっこ)」が気にかかる。年末恒例、創作四字熟語の締め切りが11月と知り、続きを小欄で補ってみた。以下、住友生命が募った本物で一年を振り返る▼辺境の孤島をめぐり隣国と続く「島々発止(とうとうはっし)」。尖閣には中国の公船がわが物顔で出没し、防人(さきもり)たちは「船船境航(せんせんきょうこう)」の中で体を張る。内憂は消費増税に頼る財政。復興予算の流用がバレて「税途多難(ぜいとたなん)」だ▼レバ刺し好きを励ます言葉もない「肝臓断念(レバーギブアップ)」。ウナギは稚魚がとれずに高騰し、かば焼きを飽食する夢も「無理鰻代(むりまんだい)」に。上がる味あれば下がる足あり、「安価航路(あんかこうろ)」の格安航空が相次ぎ離陸した▼メダルに沸いたロンドン五輪。「(北島)康介さんを手ぶらで帰せない」とチームが結束した「共存競泳(きょうそんきょうえい)」、アーチェリー女子団体はほんわかと「三矢一体(さんしいったい)」の銅。レスリングの吉田沙保里選手は「史嬢最強(しじょうさいきょう)」を証明し、国民栄誉賞に輝く▼ノーベル賞の山中教授を世界が称(たた)えて「伸弥万称(しんやばんしょう)」。上方落語では「三枝襲名(さんししゅうめい)」で六代桂文枝が誕生し、芸人スギちゃんはワイルドな「野性自慢(やせいじまん)」で流行語大賞だぜぇ▼観測グッズが売り切れた「衆金環視(しゅうきんかんし)」の金環日食、「威風堂塔(いふうどうとう)」の東京スカイツリーは空二題。読書ならぬ「独唱三昧(どくしょうざんまい)」の一人カラオケが若者に人気を呼び、NHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」も「観梅御礼(かんばいおんれい)」の好評だった。続く桜の季節に、一陽来復の望みを託したい。
2012年12月20日(木)付
季節外れをお許し願い、夏の高校野球から書き出す。それぞれ代表を送る東東京、西東京の境が改まるという。東152に対し西は121と、参加校数の差が30を超えたため、来年から世田谷区(20校)を西、中野区(8校)を東に移す▼東には帝京、西には日大三や早稲田実などの強豪がいる。世田谷は16年前、同様の校数調整で東に編入された経緯があり、元に戻る格好。甲子園を狙う実力校は戦略を練り直すことになる▼都高野連は、せめて東京の東西ぐらいは公平にと、校数のバランスを気にかけてきた。今度の見直しには3年かけたそうだ。「違憲状態」の区割りで衆院選を強行した政治の厚顔を思えば、律義なことである▼衆院の一票の格差は今回、最高裁が異を唱えた3年前の最大2.30倍から2.42倍へと拡大、格差が2倍を超す選挙区も46から72に増えた。早速「違憲状態で選ばれた議員が国家権力を行使するのは不当だ」と、選挙のやり直しにつながる裁判が起きている▼参院も仲良く違憲状態である。両院の素性が怪しくては、何を決めるにせよケチがつこう。憲法違反が臭う選挙で議席を得た人たちに、改憲を論じる資格があるのか。衆院「0増5減」の区割り変更と抜本的な制度改革が急がれる▼立法府が腹をくくれば済む話だ。のほほんと「違憲国会」に通い、最低限の見直しさえ先送りしてきた解散前の議員に、恥じ入る様子はなかった。この上もたつくようなら、遠からず「無効試合」が宣言されよう。
2012年12月21日(金)付
まず母を奪われた。父朴正熙(パクチョンヒ)大統領を狙った銃弾だった。留学先のフランスから戻り、ファーストレディー役を担ったのが22歳。5年後、父も側近に射殺される。韓国初の女性大統領となる朴槿恵(パククネ)さん(60)は、悲憤で心を研ぐように強くなった▼野党党首だった6年前、選挙応援中に右ほおを11センチ切り裂かれた。5ミリ深ければ動脈に達し、即死していたとされる。両親をテロで失い、自らも傷痕を背負う指導者は、荒れ放題の途上国でさえまれだ▼「まだ私にやることが残っているから(天は)命を残したのだろうと考えると、失うものも欲しいものもないという気持ちがおのずとわいてきた」。自伝『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす』(横川まみ訳、晩聲(ばんせい)社)にある▼父の時代は、「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済成長で再評価されている。娘は選挙中、軍政に虐げられた民主化運動の関係者にわびた。韓国版「三丁目の夕日」を慈しむ中高年の支持が勝因となった▼血に染まる肉親の着衣をすすぎながら、「一生分の涙」を流したその人が青瓦台(チョンワデ)に還(かえ)る。少女期から15年を過ごした大統領府、悲しみの地。父の暗殺を急報する高官には、北からの侵攻がないかをまず問うたという。「国と結婚して」独身を通す彼女は、どうやら筋金入りの愛国者らしい▼親の威光もあろうが、有数の男社会で選ばれた女性である。対立候補より親日だとしても、甘い友ではなさそうだ。幸か不幸か我が方には、これだけ泣いてきた政治家はいない。
2012年12月22日(土)付
寒風の中、幼子を連れたお母さんたちが談笑していた。「去年は抱っこしてたの。重いけど温かくて」。湯たんぽ代わりに連れ回す親はいまいが、乳児の体温は幼児より0.5度近く高いらしい▼この季節、子の「ぬくもり」には気をつけたい。流行期入りが発表されたインフルエンザだけではない。発熱は緩くても、嘔吐(おうと)と下痢がひどい感染性胃腸炎が暴れている。患者の6割が5歳以下、保育園や病院で集団感染が続き、お年寄りには死者も出た▼ここ10年では2006年に迫る大流行である。厄介なことに、原因のノロウイルスに変異型が現れ、免疫のない人が多い。感染を防ぐには、まめな手洗いと、汚物の処理を徹底するしかないという▼インフルと同じく、このウイルスも寒くて乾いた冬を好む。脱水症状に陥ると「おなかの風邪」では済まなくなる。さっきまで走り回っていた子がぐったりするさまは、はた目にもつらい▼かつて「子どもは風の子」だった。寒さに負けず外で遊ぼう、丈夫な体をつくれば病気のほうから逃げていくと。されど昨今、赤いほっぺで戯れる姿をめったに見ない。対をなす「大人は火の子」も怪しくなった。お出かけを楽しむ元気な中高年が増えている▼どんどん腰高になるわが人口ピラミッドの、下の方で縮こまる世代を思う。親にも国にも宝物である。あらぬウイルスにいじめられぬよう、いま一度、手洗いはしっかり。冬至を過ぎ、本日から昼は伸びるが、募る寒苦にはしかと備えたい。
2012年12月23日(日)付
チャールトン・ヘストンといえば、映画「ベン・ハー」などに主演した米国の名優だ。その人がライフル銃を頭上にかかげて「死んでも銃を放さない」と獅子吼(ししく)する姿をご記憶の人もあろう。映画の話ではない。筆者が在米していた頃、彼は全米ライフル協会の会長だった▼10年前、西部のアリゾナ州で大学生が教員ら3人を射殺する事件があった。すると協会は、ショックに滅入(めい)るその町であえて集会を開き、銃の擁護を力説した▼「車が歩行者に突っ込む事故が起きても、自動車愛好家の集会は中止されない」と協会幹部は語ったものだ。筋金入りの右派の圧力団体だが、今度ばかりは、少しは考え直したかと思っていた▼東部のコネティカット州で児童ら26人が射殺された事件に全米が沈む。さすがに協会も「意味のある貢献をする」としおらしかった。だが一昨日、規制よりも「すべての学校に武装警察官を配置すべきだ」と提言した。「銃を持つ悪い奴(やつ)を止められるのは、銃を持った良(い)い奴しかいない」という理屈らしい▼米国では銃を「平等をもたらすもの」とも呼ぶ。相手が何者でも銃を持てば対等になる、という考えに根ざしている。いきおい「撃たれる前に撃つ権利がある」となり、社会不安が募るたびに人々は銃を買って身構える▼その数は膨張を続け、いまや2億丁とも3億丁ともされる銃が市中に出回る。わが子を愛撫(あいぶ)する手で銃をなでる父母もあろう。ぞくりとするような横顔を、あの国は時おりのぞかせる。
2012年12月24日(月)付
数あるクリスマスソングの中でも「ホワイト・クリスマス」の人気はゆるぎない。え、知らない、とおっしゃる向きも、出だしを聴けば、ああこれか、と思うだろう。世界で一番多くレコードが売れた、という説もあるほどだ▼和製では山下達郎さんの「クリスマス・イブ」がゆるがぬ定番らしい。バブル経済真っ盛りのころ、新幹線のCMに流れた。♪きっと君は来ない……の詞と曲に、甘い思い出、切ない記憶が重なる中年世代もおられよう▼〈待つ人はつねに来る人より多くこの街にまた聖夜ちかづく〉。歌人小島ゆかりさんの一首に、待ち合わせスポットの人模様を想像してみる。来る人は一人ずつやってきて、待つ人とともに街に消える。年の瀬の雑踏には、あたたかさと、冷たい風が混じり合う▼白樺派の詩人だった千家元麿(せんげもとまろ)の「三人の親子」という一編がふと浮かぶ。大晦日(おおみそか)の晩、母子3人が往来から、ガラス戸の中の餅をじっと眺めている。10分ばかり立ち尽くして、買わずにそっと歩み去る。そんな詩だ▼人は誰も見ていなかったが、〈神だけはきつとそれを御覧(ごらん)になつたらう〉と詩は続く。店のウインドーにせよ家々の窓にせよ、ガラスの向こうの華やぎや幸せが、胸にしみ入る時節でもある▼天気予報は寒波を告げて、各地でホワイトクリスマスの光景が広がるという。しかし聖夜の団欒(だんらん)も、たしかな暮らしがあってこそ。広がる格差、進まぬ復興――。神ならぬ政治は、しかと「御覧」になっているであろうか。
2012年12月25日(火)付
仲間ぼめになるけれど、『よりぬきサザエさん』(朝日新聞出版)のシリーズがなかなか面白い。評判にたがわず郷愁と笑いで楽しませてくれる。しかし昭和は遠くなりにけりで、若い世代には解説が必要と思われるあれこれも多い▼ワカメがりんごの木箱に手を突っ込んで、「まだあったかな?」。これも分かりにくいだろう。昔は、傷まないようにもみ殻の中へりんごを詰めた。大人数の家では、箱ごと買って冷暗所に置き、中をまさぐって一つ一つ取り出したものだ▼2年前の本紙声欄で、青果店に育った女性が回想していた。木箱から売り物のりんごを取り出すのを手伝ったそうだ。もみ殻は近所の卵店にもらわれて卵のクッションになった。木箱は壊して風呂をわかしたという。ものの使い方に無駄のない時代だった▼りんごからの連想だが、女優の故沢村貞子さんが「あたりみかん」という短文を書いていた。箱の隅っこで傷んだのを、子ども時代に東京・下町の八百屋で安く売っていたそうだ▼今なら廃棄だろう。だが「ちょいと見場(みば)は悪いけど、おなかこわすわけじゃない」と、売る方も買う方もお値打ちな「当たりみかん」と呼んだ。サザエさんより昔の話だが、賞味期限を切らしては大量に捨てるばち当たりを、じんわり戒めてくる▼日本では年に500万トンを超す食料が、まだ食べられる状態で捨てられるそうだ。あれやこれやとご馳走(ちそう)の季節。ほんの昨日(きのう)までの丁寧さ、つつましさに、少し思いを致してみたい。
2012年12月26日(水)付
戦後しばらく、原爆をめぐる表現は占領軍にきびしく検閲された。そんな中でまっ先に、むごさを歌に詠んで発行した一人に正田篠枝さんがいた。〈大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり〉。自らも広島で被爆した歌人は1965年に他界している▼その翌年に、漫画家の中沢啓治さんの母親も亡くなった。やはり広島で被爆し、後遺症に苦しんだ母は、骨さえ残さなかった。火葬のあとは、白い破片と粉のようなものがあるだけだったという▼人が生きたことの、最も素朴な証しが骨だろう。「原爆は大事な大事なおふくろの骨まで奪っていくのか」。たぎる怒りが、被爆体験から逃げていた心を揺さぶる。自伝的漫画「はだしのゲン」はそうして生まれた▼小1だった中沢さんは爆心に近い校門前で炸裂(さくれつ)に遭った。「小さき骨」にならずにすんだのは奇跡でしかない。だが父、姉、弟を亡くし、妹も栄養失調で失った。自伝を描くのに絞った勇気と涙は、いかほどだったかと思う▼「ゲン」は絵本も含めて1千万部を超え、18カ国語に翻訳された。生前最後の本になった『はだしのゲンわたしの遺書』(朝日学生新聞社)でささやかな喜びを述べている。国内の図書館で、表紙が手垢(てあか)でぼろぼろになってベニヤ板で留めてある「ゲン」を見たそうだ▼「うれしくてね。作者冥利(みょうり)に尽きます」。73歳の訃報(ふほう)に、多くの読者が胸に刻み直すことだろう。原爆の悲惨と、それでも麦のように伸びて生きる少年の姿を。
2012年12月27日(木)付
野球の攻守交代をチェンジという。その昔、耳慣れない英語を少年たちが「天地」に聞き違え、攻守の入れ替わりを「天地交代」と称していたことがあったそうだ。『ことばの四季報』(中公文庫)という本にあったこぼれ話に、年の瀬の政権チェンジが重なり合う▼総選挙からこのかた、自民、民主両党の明暗は天地の一転を思わせる。ざんばら髪の落ち武者を思わせる風情で野田内閣は総辞職し、再登板の安倍首相と自民党に国政の主役を明け渡した▼もっとも実態は、〈「動静」はとっくに主役入れ替わり〉と朝日川柳が風刺するとおりだった。紙上の2人の動静欄のことだ。下野が決まれば、官僚は離れ、取り巻く人は雲散して、陳情の足もぱったりと絶える。「2位ではだめ」が身に染む世界だ▼さて新政権への大方の期待は、「まともな政治を見たい」に尽きよう。短命首相、お粗末大臣、内輪もめ、ねじれ国会の混乱、選挙目当ての支離滅裂……。これでもかと私たちを呆(あき)れさせ、意気まで消沈させてきた▼逆説めくが、消極的選択とされた返り咲きは、政権の強みではないか。期待値が低ければ、やるもんだね、のハードルも甘くなる。いま思えば民主党の大敵は、政権交代の熱狂そのものだったように思われる▼選挙では各党様々な言葉が飛び交った。だが、語られなかったことこそ真に重い課題であることぐらい、多くの人は知っている。党と取り巻く人のためではない、国民のための「天地交代」でなくては困る。
2012年12月28日(金)付
「火中の栗を拾う」という例えには、身を捨てて難儀を背負うイメージがある。だが、元になる話はだいぶ違う。猫が猿におだてられて、炉で焼けている栗を四苦八苦して拾わされる寓話(ぐうわ)だ。お人好(よ)しを戒めるお話にもなっている▼滋賀県知事にして日本未来の党を立ち上げた嘉田(かだ)由紀子さんは、火中の栗を拾ったのか、拾わされたのか。掲げた「卒原発」の志に偽りはなかったのだろうが、見る側は興ざめを通り越して呆(あき)れる。小沢一郎氏らのグループが、もう袂(たもと)を分かつのだという▼もともと不安視されていた。「小沢さんに口説かれた雇われ女将(おかみ)」。そんな陰口も聞こえ、党に合流した亀井静香氏など、選挙前に「ステキなおばさんのスカートの下にもぐり込む」と言っていた。その亀井氏も離党するそうだ▼嘉田さんは承知で清濁を併せ呑(の)んだのだろう。だが、あからさまな選挙互助会ぶりが透けて伸びを欠いた。とはいえ342万人が党名を書いたのだから、ひと月での仲間割れなど背信だ。小沢氏の責任も問われる▼阿部知子副代表が分裂を成田離婚に例えていた。恋愛を「美しい誤解」と言ったのは評論家の亀井勝一郎だった。結婚生活は「恋愛が美しき誤解であったということへの、惨憺(さんたん)たる理解」であると。やっぱりね、の声も聞こえてくる▼脱原発はとかく情緒的と蔑(さげす)まれがちだ。環境学者でもある嘉田さんに、情と理の整った主張を期待する人は少なくあるまい。倒れた党の切り株から、新しい芽は吹くだろうか。
2012年12月29日(土)付
松井秀喜選手は日本で332本の本塁打を打った。渡米して初のアーチは本拠地ヤンキースタジアムでの顔見せの初戦、しかも満塁弾だった。試合後の言葉がよかった。「333本目ではなく、1本目です」。ニューヨークに住む日本人が大いに沸いたのが記憶に新しい▼その年、大リーグの開幕を前にイラク戦争が始まった。兵士の無事帰還を願う黄色いリボンが全米にあふれ、日本人社会も空気は重かった。「マツイ、すごいね」。ニューヨーカーの賛辞を、我がことのように聞いたものだ▼あれから10シーズン、松井選手の引退会見をテレビで見た。口を一文字に結ぶ表情で、言葉をさぐるように話す。「結果が出なくなった。命がけのプレーも終わりを迎えた」。38歳。万感を押し殺すような、男の顔だった▼大リーグではホームランを175本放った。その記録以上に、存在感は記憶に残る。3年前のワールドシリーズ制覇のときは、日本人初の最優秀選手(MVP)に輝いた▼日本球界に戻る選択もあっただろう。だが「10年前の姿に戻る自信が強く持てなかった」と語った。「巨人の4番」の伝統に、自らの誇りを重ねた胸の内にうなずく。たとえばの話、6番を打つ松井秀喜は、もうゴジラではない▼大リーグのある監督が言ったそうだ。「野球には五つしかない。走る、投げる、捕る、打つ、そして力いっぱい打つことだ」。ただ打つのではない。巨漢に伍(ご)して力いっぱい打ち続けた「挑戦の人」に、拍手を送りたい。
2012年12月30日(日)付
空前の434万票で東京都知事に選ばれた猪瀬直樹氏は、その地位を「4年間安定した総理大臣のようなもの」と語る。首相が7年続けて代わった師走の言葉から▼東大教授の森政稔(まさとし)さん(53)は、戦後最低の投票率に無言の政治不信を見た。「正義や公平が著しく損なわれれば、まじめに働くことがばからしくなる。人々がそれぞれの持ち場を放棄するようになり、この国に本当の危機がやってくる」▼「変化する社会と、選ばれた代表との距離がさらに開き、政治が遠いと感じる人が増える」。脱原発デモに加わる社会学者、小熊英二(おぐまえいじ)さん(50)の心配だ。「代議制とは別の参加回路を作らないと、無限に金をばらまくか、不満がたまり治安が悪化するか」▼西宮市の無職田中康次さん(65)はかつて、護憲のシンボル土井たか子氏の支持者だったが、今回は自民党に入れた。「この選挙がきっかけで危うい道へ進んだら、私たちの責任や」▼「肩ひじ張った外交は自信喪失と劣等感の表れ」。前中国大使の丹羽宇一郎氏が日中双方を戒める。「日本人を嫌う中国人には、日本の商品は素晴らしいという嫉妬、裏を返せば尊敬の念がある。こちらまで感情を爆発させる必要はありません」▼大阪で天津甘栗を商う藤田輝貴さん(61)はこの秋、新栗を仕入れに訪れた中国の河北省で、公安警察に「あまり出歩くな」と警告された。「甘栗は日中友好の象徴。歴史に思いをはせながら味わってほしい」。甘くない時こそ、草の根の絆が物を言う。
2012年12月31日(月)付
オランダに長く暮らすモーレンカンプふゆこさんから、句集『風鈴白夜(ふうりんびゃくや)』(冬花〈とうか〉社)をいただいた。かつて小欄で、遠き日本を思う〈手の中に団栗(どんぐり)という故国あり〉を引いた作家だ。趣を異にする句が目に留まった。〈寒灯下(かんとうか)曲がってしまった曲(まが)り角〉▼仕事帰りの石畳、ふと街灯の下に佇(たたず)み、輝く粉雪を仰いでの詠である。寒灯とは、身も心も凍る夜、灯(ともしび)までが寒々しい様をいう。異国で離婚し、身の振り方を思案していた作者は、その凜々(りり)しさに背を押されたという▼人生の岐路や曲がり角は、通り過ぎて分かることがある。それは出会いであり、別れであり、回想の森で行き着く誰かの言葉かもしれない。時代にも曲がり角らしきものがあるが、こちらはさらに漠としている▼開国や敗戦といった節目はさておき、世相は緩いカーブを描いて変容する。例えれば、巨大な円周上を走る車だろうか。直線に見える道はどちらかに曲がっていて、半周すると鼻先は逆の方角を向く。鳥の目がとらえる現実だ▼2012年、隣国との仲はこじれ、民主党は愛想を尽かされた。国防軍を公約に掲げた自民党が政権に戻って、衆院の9割が改憲派となった。原発や公共事業の方針転換を見るにつけ、車窓からもそれと分かる急カーブである▼この冬の曲がりっぷりは後の歴史家が検証するとして、昭和の苦い経験は、最後に国を救うのはアクセルではなくブレーキだと教えている。ゆく年のご愛読に感謝しながら、鳥の目を凝らしておきたい 年末ときたら、商戦だよね、ゲームとかいろいろ、ってかゲームにしか関心持たない。でもまあ、感慨深いのはたしか、なんか、もう一年か、って感じ
どうも、久しぶりね、文章は毎回スキップみたいに拝見いただいたけれど、ってちゃんと読んでよ、今回は応援の意味も含めて、ちょこっとレスを ```````````````````````` 全部尼瓦格拉哪一!
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