朝日新聞・天声人語 平成二十四年(五月)
2012年5月1日(火)付バスにする理由は人それぞれだ。〈誕生日夫(つま)が忘れしこんな日はバス旅パンフレット一人眺むる〉田中洋子。憂さ晴らしの一人旅も、家族旅行もある。深夜便なら、誰もが夢の中、目的地の朝に自分を先回りさせていよう。夜行バスは、客の数だけ明日を乗せている▼関越道の惨事は、乗客の大型連休を暗転させた。未来ごと消えた人も多い。夜通し走った車は日の出前、時速100キロ近くで防音壁に突っ込んだらしい。鉄の壁は車体を切り裂き、左側の座席を破壊した▼金沢から富山、東京を経て東京ディズニーリゾートまで片道3500円。規制緩和で市場が膨らむ高速ツアーバスである。ツアーを企画した大阪の旅行業者は、稼ぎ時の増便を千葉のバス会社に頼んでいた▼価格を競う旅行業者は、安く運んでくれるバス会社を選ぶ。勢い、交代なしで走れる、無理が利く運転手を重用するバス会社も出てくる。かくして利用者が求める「格安」には、過労という危険が素知らぬ顔で同乗することがある▼陸海空とも、旅客業が張り合うのは価格とサービスだ。安全は譲りようのない聖域だが、その鉄則さえ崩してしまうほどの過当競争。総務省の調査では、貸し切りバス運転手の9割が睡魔を経験していた▼居眠りしたドライバーを責めるのはたやすいけれど、運転手の我慢比べで成り立つ競争は危うい。道中に不安なく、心穏やかに送り届けてこその安さ自慢だ。夜行の業界が競って眠らせるべきは、乗務員ではなく乗客である。
2012年5月2日(水)付
街宣車がずらりと並ぶ駐車場を抜けると、一転して森厳の領域だった。参道の杉並木の奥にはイロハモミジの若葉がきらめいている。先の「昭和の日」、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れた▼広い緑地に、昭和天皇と香淳皇后、大正天皇と貞明皇后の四つの陵(みささぎ)。それぞれに鳥居を配し、巨大なお椀(わん)を伏せたような上円下方墳が100メートルほどの間隔で並ぶ。江戸時代からの伝統にのっとり、いずれも土葬である▼天皇、皇后両陛下は、大がかりな土葬より、一般と同じ火葬をお望みだという。お二人の合葬も視野に、陵も葬儀も簡素に、とのお考えだ。即位時から「象徴」だった初の天皇らしく、お別れの様式も転換点になるかもしれない▼宮内庁の羽毛田長官が明かしたご意向は、「生前の遺言」といえる。お墓の用地に限りがあるうえ、国の台所が厳しい折、国民に負担をかけまいとの配慮らしい。歴代では41人の天皇が火葬され、夫妻の合葬も例がある▼「テニスコートの恋」に始まり、民間初の皇太子妃、同居での子育てと、新時代の皇室を体現してきたご夫妻だ。「薄葬」の思いは時宜にかなうし、仲むつまじいお二人には合葬がふさわしい▼世間一般に近い感覚に、改めて親しみを覚える。むろん、心臓手術を乗り越え、英国訪問を心待ちにされる陛下に、送りの話は少々早い。周囲が持ち出せないからこそ、自ら切り出されたのだろう。諸事万端への気遣いを知るほどに、その日が少しでも遅かれと願わずにはいられない。
2012年5月3日(木)付
小欄には多くのご意見をいただく。不完全な人間が限りある時間と紙幅で書く話だけに、どんなご指摘もありがたい。匿名の声ほど言葉は荒いが、いかに一方的でも、言論による訴えは歓迎だ▼朝日新聞阪神支局が散弾銃で襲われ、記者2人が問答無用で殺傷されて25年になる。脅迫文に「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」とあった。いきなり戦場に引き出された思いで、負けられぬと誓ったものだ▼同世代の小尻知博記者(享年29)とは家族の年齢もほぼ重なる。父上は昨夏、83歳で旅立った。妻裕子さん(52)はピアノ教師を続け、娘の美樹さん(27)はテレビ局で働く。かたや目出し帽の男は生死も不明、数ある未解決事件の中でも見たい顔の一つだ▼一連の襲撃で彼らが目の敵にしたのは、本紙の論調だった。この国の風土や文化を愛し、歴史のほとんどを誇り、日本語を相棒とする新聞が「反日」のはずもないのだが、ともあれ言論へのテロである▼この四半世紀、インターネットの登場で、表現の自由をめぐる環境は一変した。65歳の憲法21条に守られ、自由を謳歌(おうか)するネット世界。そこで言論テロといえば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい。新聞やテレビはすっかり敵役だ▼大手だろうが個人だろうが、異論を許さぬ言説は何も生まない。社会を貧しくする、言葉の浪費である。誰もが発信できる言論空間を守り育てるためにも、形を変えて横行する「覆面の暴力」に用心したい。
2012年5月4日(金)付
たとえば春から米、秋からは麦と、同じ田畑で二つの作物を育てる農法が二毛作(にもうさく)だ。毛(もう)には実りの意味があり、不毛といえば成果が出ないこと。ちなみに「不毛」を含む本紙記事を検索すると、昨今は国内政治の話ばかりである▼育毛剤や増毛術の広告を見ぬ日はない。あれこれ試し、「不毛の努力」に疲れた向きには朗報だろう。東京理科大の研究チームが、本人の「毛の元」からフサフサを実現する道を探っているそうだ▼毛を生やす毛包(もうほう)の細胞をマウスから取り出し、生まれつき毛のないマウスの皮膚に移植する。約3週間後、74%の率で毛が生えたという。体毛は体毛に、ヒゲはヒゲになり、ちゃんと生え替わる。ヒトの毛包細胞で試すとヒトの毛が生えた▼本数を稼ぐには細胞増殖の技術が要るが、わが遺伝子で荒野の「多毛作」に挑める日も夢ではない。地毛(じげ)が生やし放題となれば、カツラを潔しとしない人も捨て置けまい。担当の辻孝教授は「10年ほどで、一般の脱毛治療や増毛に役立てたい」という▼無論、加齢ゆえの薄毛なら流れに任せる手もある。「髪は滅んでも中身は成長するんだ、人間は」。コラムニストの神足裕司(こうたり・ゆうじ)さんが、薄毛仲間との対談集『誇大毛想』(扶桑社)で喝破していた▼頭髪の再生は、人目を気にせず前向きに生きる策には違いない。選択肢が多いのは結構だが、見た目より中身の戒めもある。頭上の異変は、ひょっとして自分を磨けというお告げかもしれない。内なる豊作を目ざすのもいい。
2012年5月5日(土)付
怪談をとことん味わう趣向に「百物語」がある。百本のロウソクを灯(とも)した部屋に好き者が集まり、それぞれが怖い話をするたびにロウソクを消す。最後の一本が消えたその時、本物の怪異が現れる運びだ▼重苦しく暗転する座敷に、日本の原子力発電が重なる。御(ぎょ)しがたいロウソクは福島でまとめて倒れ、浜岡では折られ、ついに本日、残る一本の泊(とまり)3号機が定期検査で消える。「原発ゼロ」は商業運転の初期、1970年以来という▼さて、どんな化け物が出るのやら。政府や業界は電力不足を案じる。停電という妖怪が怖いなら、大飯(おおい)に再び火を灯しましょうと言う。折しも立夏。予報では、そこそこ暑い夏になるらしい▼だが不気味さ、危うさで放射能をしのぐ怪はない。憂うべきは夏の不快ではなく、次世代のリスクである。原発を使い倒した大人の罪滅ぼしは、節電なりで時を稼ぎ、より安全な未来を手渡すこと。こどもの日に歴史が刻まれる因縁を、偶然で終わらすまい▼『福島の子どもたちからの手紙』(朝日新聞出版)で、高3女子が「思い続ける三つのこと」を書いている。「不安、悲しい、腹立たしい。体への影響の心配、何故(なぜ)こんなことが起きてしまったのか、何故ここなのか」と▼私たちはすでに、まだ見ぬ子孫にまで大借金をしている。このうえ不確かな技術を押しつけられようか。原発ゼロの闇にうごめく変化(へんげ)をしかと見届け、退治の策を練りたい。未来から投げかけられる、いくつもの「何故」に備えて。
2012年5月6日(日)付
「サザエさん症候群」なる言葉を初めて耳にしたのは随分前だが、今でも使われているらしい。日曜の夜6時半から人気アニメ「サザエさん」が放送される。その主題歌を聴くと翌日からの仕事を思って気分がふさぐ、という心理作用を言うそうだ▼実際にそんな現象があって、言葉が生まれたのかどうかは知らない。ただ、休みも終わりの「日曜の夜」に「月曜の朝」が忍び寄ってくるあの感覚は、勤め人の一人として分かる。淡水と海水の混じり合う、汽水域のような時間である▼さて、旗日の並びに恵まれた黄金週間も今日で終わる。深呼吸をして、明日からまた出社の新入社員もいるだろう。少しは慣れたか、まだ緊張がとけないか。ともあれオフからオンへ、上手に気分を切り替えてほしいものだ▼ひと頃の流行語だった「五月病」の影が、昨今は薄くなってきたという。結構なことと思ったら、そうでもない。5月に限らず通年化しているらしい。仕事の現実を前に、期待との落差にへこむ人は多いと聞く▼当たり前だが、授業料を払って学ぶのと、給料をもらって働くのは違う。いきなり面白く、「自分に合った」仕事などまずない。酸っぱいものがいつの間にか熟れるように、時間をかけて、仕事の味は深まっていくのだと思う▼〈麗しき春の七曜(しちよう)またはじまる〉山口誓子。暦はもう夏だが、週の始まりをフレッシュな気分で迎えられる人は幸いだ。名句の香を胸いっぱいに吸って、明日からの新人諸氏にエールを送る。
2012年5月8日(火)付
雨音の変調に振り向くと、ベランダで雹(ひょう)が踊っていた。白い粒の吹きだまりをすくい、はるか上空の寒気を想像する。しかし両手に山盛りの氷は、猛威の端で起きた異変にすぎなかった▼大型連休の最終日、関東地方を異常気象が見舞った。茨城県つくば市や栃木県真岡(もおか)市で竜巻が発生、1人が亡くなり、50人超が重軽傷を負った。建物の損壊は計1500棟を超す。最大級の竜巻被害である▼関東ではその時、湿気を含んだ南の暖気が低空に流れ込んでいた。上空との温度差は上昇気流を生み、巨大な積乱雲となる。その底から雹が降り、雷がとどろき、竜巻が起こる。神出鬼没の巨竜は悪意を宿したように、家財を巻き上げ、駆け抜けた▼世界的には米国の真ん中あたり、オクラホマ、カンザス、ミズーリ州などが「竜巻銀座」として知られる。逃げ込むための地下室を備えた住宅も多いそうだ。だが面積あたりの発生数では、関東平野も大して違わないらしい▼800年前に書かれた「方丈記」に、春の京を襲った「辻風」の記録が残る。〈三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも小さきも一つとして破れざるはなし〉。地震や津波と同様、竜巻は昔から人の都合にお構いなく暴れてきた。文明が巡り合わせ、被害が刻まれる▼連休中、中高年登山者の悲劇も相次いだ。季節が移ろうこの時期、天の気まぐれに山も里もない。ひとたび牙をむいた自然の前で、悔しいけれど、人は飛べず泳げずの、弱き生き物に返る。
2012年5月9日(水)付
この半世紀、フランスの大統領はドゴールから6人でつないできた。その間、米国大統領は10人、日本の首相は25人を数える。在任期間がすべてではないが、フランソワ・オランド氏を待つ地位はそれなりに重い▼6年前、仏社会党の夏季研修をのぞいた。女性党員の求めでサインに応じるオランド氏。勢いよく隣に座った彼女の尻の下で、氏が党首演説に用いた書類が悲鳴を上げている。それをさりげなく抜き取るしぐさがまた、好人物なのだ▼最大野党を長く率いた実力者だが、「いずれは」と思わせるオーラは薄かった。彼で勝てたのだから、華のある候補なら圧勝したかもしれない。サルコジ大統領の緊縮路線は、かくも不評だった▼欧州の主要政党は、いずれも欧州連合(EU)の味方である。野党の時は大衆迎合的でも、政権につくと「欧州の与党」として財政を絞り、国民の支持が離れる。オランド氏も、ドイツを筆頭にEU各国、市場、世論の顔色をうかがいながら、綱渡りを強いられよう▼フランスで、ギリシャで、EUの統治やユーロに背を向ける左右の両極が伸びた。失業に福祉後退と、グローバル化による国内の矛盾が深まり、民意の動揺を大政党が受け止めきれなくなっている▼財政難、限られた政策メニュー、大政党の不人気、懲らしめの投票、ポピュリズム台頭……。欧州の混迷に学ぶべきは多い、というより、彼我のなんと似ていることか。ただし、オランド氏には最短5年、絶大な権力が与えられる。
2012年5月10日(木)付
ベトナム戦争の取材体験に基づく開高健の小説「輝ける闇」は、表題から意表を突く。ドイツの哲学者、ハイデガーの評言を引いたそうだが、読まずして鮮烈な緊張感に包まれる。常識の裏をかいた「逆さまの形容」は、多用は禁物ながら便利な修辞である▼〈マイナス100度の太陽みたいに/身体(からだ)を湿らす恋をして……〉。桑田佳祐さんの佳曲「真夏の果実」の詞が胸に残るのも、灼熱(しゃくねつ)カラリであるべき日輪を、しっぽり冷涼に描いた技の冴(さ)えだろう▼「太陽まもなく冬眠?」の本紙記事に、ひんやりと不安を覚えた。国立天文台によると、太陽の活動に異変が生じ、地球が「低温期」に入るかもしれない。万物のエネルギー源だけに気がかりだ▼太陽には南北に磁場の極があり、ほぼ11年の周期で正負が同時に入れ替わる。ところが、北極の反転が1年ほど先行し、活動低下の兆しがあるそうだ。磁場に連動する黒点の現れ方も、17世紀後半に始まった低温期に似ているらしい▼往時の異変を、各国の古文書がとどめている。ロンドンのテムズ川が凍り、京都では桜の開花が遅れた。凶作や飢饉(ききん)の多発は、政治や経済を揺るがした。低温期は約70年続いたという▼過日の小欄で触れた氷河期に比べ、太陽活動の盛衰はずっと短い周期で繰り返す。前者を潮の満ち干とすれば、寄せては返す波だろうか。温暖化のさなか、「冷たい太陽」は「良い衰弱」かもしれない。だからといって、省エネの手を緩める「悪い安心」には浸れない。
2012年5月11日(金)付
神奈川県相模原市で、ペットのセキセイインコが逃げた。警察に保護された「ピーコ」はしゃべり始める。「サガミハラシミドリク……」と番地まで。万が一に備えて、飼い主の女性が住所その他を教え込んでいた▼何にせよ「再会」のストーリーには心が躍る。その感動は、募る思いと、両者を隔てた時空の掛け算。諦めていたなら歓喜はひとしおだろう、たとえモノでも▼北米大陸の太平洋側に、日本発の財物が流れ着いている。津波がさらい、偏西風が運んだあれこれは、粉々にされた「日常のかけら」である。まずは漁船、ボール、コンテナ入りの米国製高級オートバイ。秋には家屋の木材が加わり、来年2月までに4万トンに及ぶとの予測もある▼インコのように語れぬモノたちに代わって、発見者が手を尽くし、持ち主が次々と判明している。オートバイの主は家と身内3人を失っていた。さびた愛車は、抱きしめたい記憶と一体に違いない▼例のインコは2年前の母の日、息子さんから贈られた鳥だという。「漂着ごみ」と総称される品々にも、所有者との密(ひそ)やかな過去があろう。実際、ボールの手がかりは寄せ書きだった。波間で四季を越え、再び人前に現れたこと自体が、何かのメッセージに思えてくる▼不明者なお3千人。再会はかなわぬにしても、愛する人が愛したもの、生きた証しを求める関係者は多い。あの午後、ふるさとの海岸線から流れ出た記憶を取り戻すべく、しばらくは対岸からの報に耳を澄ましたい。
2012年5月12日(土)付
師弟の会話。「してもいない行為で罰せられることは……」「ないよ」「よかった、宿題やってません」。さるジョーク集から拝借した。やるべきことをしないのは不作為の罪。失火の放置などをいう▼インターネットの掲示板「2ちゃんねる」が去年、警察などに指摘された違法情報の大半、約5千件を放っていたそうだ。多くが禁止薬物の勧誘である。覚醒剤がアイス、大麻には野菜の隠語があると聞けば、商いの盛況がうかがえる▼掲示板にはよからぬ書き込みを消す係がいるが、警察側の要請にも反応は鈍い。他サイトがほとんどの削除に応じたのに、「2ちゃん」の削除率は3%。この緩さが重宝され、ますます売人が群がるらしい▼薬物の売買は口コミと手渡しが常道とされた。匿名掲示板と宅配便の悪用で、それがネット通販なみの手軽さになる。今や暴力団の金づるにして薬物中毒の始発駅だ。取引には、やはり掲示板で売買された口座や携帯電話も使われる▼ワルにも上があるもので、スーパーで買った調味料を「アイス」と偽り、9万円で売った人物が本紙に語っていた。「モノがモノだけに、警察に泣きつかれる心配はない」。百鬼夜行である▼警視庁は、薬物売買を助けた疑いで「2ちゃん」の関係先を捜索したが、管理の実態は定かでない。何でもありがネット文化とはいえ、怪情報の野放し、垂れ流しには自ら策を講じるしかない。「板」を掲げ続けるためにも、「やってません」では済まない宿題である。
2012年5月13日(日)付
母と子をうたった詩歌や物語は多いけれど、機微にふれてほろりとさせ、思い出させて郷愁を誘うのは、庶民派の川柳だろうか。〈添乳(そえぢ)したまゝだと気附(きづ)く明(あけ)の鐘〉麻生葭乃(よしの)。赤子に添い寝して、乳を飲ませながら眠ってしまった母の図である▼下の子が生まれて母さんを独り占めすると、まだ幼い兄や姉は少し寂しくなる。〈上の子は足だけ母にふれて寝る〉丸山弓削平(ゆげへい)。そっと伸ばした足に母の足。この場面、「父」では代用がきくまい▼そんな、もろもろへの感謝や追慕を届ける母の日である。ここ数日、花屋さんの軒先は道までカーネーションがあふれている。百花の咲き満ちる初夏(はつなつ)だが、きょうの日の、この花の役どころはゆるぎない▼昨年秋の声欄(名古屋本社版)に、70代の女性が寄せていた。小1だった娘さんが「おこづかいをつかってしまい、カーネーション1本しかかえなくてごめんなさい」とたどたどしい字で書いた手紙を宝物にしているそうだ。一輪のあたたかさが、胸の中に宿り続けたことだろう▼母の日の起源は100年余り前、米国のある女性が亡き母を偲(しの)んだ追悼会とされる。亡母の好んだ白いカーネーションを捧げ、参加者にも手渡したという。共感を呼んで全米に広がり、日本でも戦後、花の名とともに定着した▼人はいくつになっても親の子ども。歌壇の重鎮だった窪田空穂に一首ある。〈八十五の翁となれど母おもへばただになつかし今日は母の日〉。思い出の国にも、感謝は届くはずである。
2012年5月14日(月)付
今年は歌人斎藤茂吉の生誕130年にあたり、きょうが誕生の日になる。茂吉をよく知らなくても、教科書にも載るこの一首は多くがご存じだろう。〈のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり〉。その名を一躍高めた絶唱である▼郷里の山形で生母は5月に死去した。早苗のそよぐ田をツバメが飛び交うころだ。昔は当たり前のように家々に巣をかけていた。しかし今、天上の歌人は心配かもしれない。都会ばかりでなく田園でも、スマートな燕尾服(えんびふく)姿が減っているらしい▼最近ツバメを見ましたか――と日本野鳥の会が呼びかけている。全国から情報を募って実態を調べるのだという。農地の衰退や巣作りに適した家屋が減るなど、近年の受難は想像がつく。だが詳しいことはわかっていない▼ともに小さくて身近で、まとめて「燕雀(えんじゃく)」と呼ばれるスズメも減っている。こちらは「この20年で6割減」という推計があって深刻だ。この国の津々浦々で、ありふれた生き物が、ありふれて在る環境が損なわれている▼野鳥の会は、原発事故による放射性物質の影響も懸念する。子育て中のツバメはせわしない。1時間に何十回もエサの虫を運ぶと聞く。無心な親鳥と、「のど赤き」新しい命を思えば、罪の意識がチクリと痛い▼ツバメが巣をかける家は繁盛する、と俗説に言う。ツバメの巣くわぬ年は火災あり、とも言う。日本列島という大屋根に、末永く飛来してくれようか。今年まだ見ていないのが、気にかかる。
2012年5月15日(火)付
いわゆる「てにをは」の使い方で意味はがらりと変わる。沖縄の集会を取材して、あらためて距離を感じたのは13年前だった。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する1万2千人が「沖縄を返せ」を合唱した。かつて祖国復帰運動の際、沖縄と本土のへだてなく連帯を託して歌われた歌だ▼歌は末尾で「沖縄を返せ 沖縄を返せ」と繰り返す。ところが会場では「沖縄を返せ 沖縄に返せ」と歌われた。「を」が「に」に変わっただけだが、そこにはもう沖縄と本土の連帯感はない▼代わりに、島を自分たちに返せという、決然とした抗議があった。本土の記者として、歌声に縮こまった記憶は苦い。そして今、沖縄の不信は消えるどころか尖(とが)り、基地の押しつけを「差別」ととらえる意識が広まっているという▼本紙などの世論調査に、沖縄の2人に1人がそう答えていた。「いま沖縄は氷のように冷たい目で本土を見ている」と沖縄に住む作家仲村清司さんは言う。まなざしは「無関心という加担」への抗議にほかなるまい▼沖縄の本土復帰からきょうで40年になる。さる4月28日は、講和条約の発効で沖縄が日本から切り離されて60年の日でもあった。「屈辱の日」の呼び名が今も残るのを、どれだけの人が知っているだろう▼「押しつけ憲法とか言ってますがね、沖縄はその憲法、押しつけてももらえなかった」。旧コザ市の市長だった大山朝常(ちょうじょう)さんの怒りが耳によみがえる。誰もが無関係ではありえない、島の歴史と今がある。
2012年5月16日(水)付
戦後の日本経済は朝鮮戦争の特需で息を吹き返した。繊維などの業界で「ガチャ万」や「ガチャマン景気」と言われたのはそのころだ。機械をガチャと動かせば「万」のお金がもうかった。今は昔の糸偏(いとへん)産業の活気が、言葉の響きから伝わってくる▼時は流れて、新聞やテレビを新たな「ガチャ」がにぎわしている。携帯電話などで遊ぶゲームにある「コンプリートガチャ(コンプガチャ)」なる仕掛けだ。これに景品表示法違反の疑いが生じ、近く消えることになった ▼縁なき人も多いだろうが、つまりは何種類かの絵柄をそろえるために「ガチャ」と呼ばれるくじを引く。1回数百円だが、運営会社には大収益源で、まさに「ガチャ万」だった。一方で、子どもが月に数十万円もつぎ込むといった問題も起きていた▼ネットを使ったゲーム市場は広がり、プロ野球の球団を所有する企業もある。だが、こういう際(きわ)どさを聞くと、「なんだかなあ」である。中止は自主規制だが、消費者庁が動き出してからのことだ▼ややこしいコンプガチャの説明に、各紙は昔懐かしい「野球選手カード」を引き合いにした。菓子についていて、たとえばある球団の9人がそろうと景品がもらえる。なかなか出ない選手がいて少年らは小遣いをはたいたものだ▼やがて景表法で禁じられるが、度を超す子には駄菓子屋のおばちゃんが意見していた。それとなく見守る地域の目もあった。時は移って、独りで画面に投資する子を思うと、どこかしら寒い。
2012年5月17日(木)付
ホームランの魅力に米国のファンを目覚めさせたのは、大打者ベーブ・ルースだという。生涯本塁打714本。群を抜く量産に人々は熱狂した。内田隆三著『ベースボールの夢』(岩波新書)によれば、彼の登場で、ホームランはめったに見られない偶然ではなくなった▼「あらゆる障害や抵抗を一挙に無化する、ホームへの魔術的な帰還」(同書)にファンは酔った。いきおい他の選手も飛距離を狙う。ゲームはスリリングになり大衆化したそうだ。日本では昭和の初めごろの話である▼そんな野球の華が、日本のプロ野球で激減している。統一球と呼ばれる「飛ばないボール」を去年から導入した影響とされる。今季ここまでの1試合平均は0.8本。貧打ぶりに「デフレ野球」の陰口も飛ぶ▼とはいえ「豪快」は往々に「大味」にすり替わるから、ファンも賛否があるようだ。ゲームの味わいは微妙なもので、貧打戦はお寒いが、投手戦なら引き締まる。快音響く打撃戦と、投手がへぼな乱打戦も似て非なるものだ▼いずれにしても、ボールをまた変えるのは愚だろう。打撃の成績が上がっても、選手ではなくボールの手柄になる。ここはプロらしく技と力で克服してほしい▼野球好きだった元米大統領F・ルーズベルトは、一番面白い試合は8対7だと言ったそうだ。私感では6対5ぐらいの方が締まっているように思うが、いかがだろう。昨日からセ・パの交流戦も始まった。ボールを恨まず、五月の風に球趣をのせてほしい。
2012年5月18日(金)付
「クイーン旋風」が日本に吹いたのは37年前の5月。初来日した英国のエリザベス女王の一挙一動は行く先々で衆目を集めた。迎賓館で畳を歩くと、公式の場で靴を脱いだのは初めてと英メディアも報じた。写真が残るが、美しいおみ足である▼日本人にも親しみ深い女王が、今年、即位60年を迎えた。英BBC放送によれば、父君ジョージ6世が亡くなった夜、彼女は旅先のケニアで大きな木の上に造られたキャビンに泊まっていた。「王女として木に登り、女王となって下りてきた」と伝説的に伝えられる。以来、英国の顔であり続けてきた▼しかし楽な時代ではなかった。戴冠式(たいかんしき)の女王のメッセージにこうある。「わたくしの戴冠式は過ぎし日の英帝国の権力と壮麗の象徴ではありません」「それは未来に対するわれわれの希望の表明なのです」▼かつての「日の沈まぬ帝国」は斜陽著しく、のちに経済は「英国病」と言われるほど停滞した。王室にも様々に波風が立った。幾山河、の感慨は深いものがおありだろう▼祝賀行事のために天皇、皇后両陛下が訪英されている。59年前の戴冠式には、当時皇太子だった陛下が参列した。英王室と皇室のゆかりは深い。心臓手術から間もないが、陛下の強い希望によるご訪問である▼時のチャーチル首相は「皇太子殿下は必ずや英国に友情を寄せられるでしょう」と歓迎会で挨拶(あいさつ)したそうだ。いま両陛下が寄せる思いは、女王にも英国民にも届くことだろう。時の流れに褪(あ)せることなく
2012年5月19日(土)付
伝言ゲームと同じ遊びが欧米にもあって、その英語名はまちまちらしい。米北部のある地域ではrumors(ルーマーズ、うわさ)と言い、南部ではsecrets(シークレッツ、秘密)と言うそうだ。詩人のアーサー・ビナードさんが本紙に寄せた随筆に書いていた▼なぜかRussian scandal(ロシアンスキャンダル、ロシアの醜聞)という呼び名もある。曖昧(あいまい)にして隠微な語感を、原発事故調査の参考人招致で思い出した。海江田元経産相によれば、発生当時の東電と首相官邸のやりとりは「伝言ゲーム」さながらの状況だったらしい▼伝言ゲームは正しく伝えようと懸命になる遊びだ。ひるがえって当時、能力不足に加え、隠蔽(いんぺい)も歪曲(わいきょく)もあったのは想像に難くない。事故現場からの「撤退」をめぐる言った言わないも、その辺の産物だろう▼海江田氏は「全員撤退と認識した」と述べ、東電は「言っていない」と言う。制御を放棄して逃げ、原子炉が爆発すれば被害は途方もない。不信をあおる水掛け論だが、突きつけるものは深い▼「十死一生」という言葉がある。「九死一生」を強め、まず助かる見込みのないことを言う。さらに「十死零生」と言われたのが特攻だった。万が一の時、自分は人に決死的行為を命じられるか。逆に、命じられたらどうか。原発というものの魔性が、そこにある▼官邸と東電の伝言ゲームには、なお何かが隠れていよう。事故全体に潜む不都合な真実は膨大だと誰でも思う。曖昧に包んだまま再稼働を急ぐ。愚というほかはない。
2012年5月20日(日)付
慣れ親しんだ字といえば、まずは自らの氏名、そして住所などの地名である。人名と地名は縁が深い。名字の研究で知られた丹羽基二(にわ・もとじ)氏によれば、世界最多、30万ともいわれる日本の姓の多くは地名に由来する▼プロ野球の楽天が、本拠地仙台でのセ・パ交流戦「がんばろう東北シリーズ」で、東北6県と同じ姓の人を無料にするという。あさっての中日戦から12試合、当日券に余裕があり、証明するものがあれば家族全員タダになる▼さて、東北各県と同姓のお客さんがどれほど来るか。普通にありそうで、筆者も毎日のように聞くのが「福島さん」である。宮城、秋田、山形さんも知っているが、青森さん、岩手さんとなると珍しい▼ちなみに各種の推計によると、姓に多い都道府県名は山口、石川、宮崎、千葉の順で、次に福島がくる。この五つ、どなたも著名人の一人や二人は思い浮かぶのではないか▼姓が出身県と同じ友人がいる。小学生の頃、社会科の先生に「わがG県のことはGに聞こう」といじられたそうだが、長じてからは得なことばかり。人前で話す身となり、筆名と間違われるほどのインパクトに感謝しているという。誰にも、こよなく愛する地名がある▼城の名に発するとされる「福島」は、もともと「よい土地」の意味らしい。今さらながら、それぞれに美しき地名の由来と、起きたことの落差が恨めしい。大熊、双葉、富岡、浪江(なみえ)、葛尾(かつらお)、飯舘(いいたて)……。出身者はもちろん、全国の同姓さんの思いも同じだろう。
2012年5月21日(月)付
「親愛なるジェシー」で始まる米国大統領の祝辞を、駐日大使が土俵上で代読したのは40年前の名古屋場所。マイクの先にはハワイ出身の高見山がいた。外国人力士の優勝は、それほどの「事件」だった。昭和ではこれだけだ▼隔世の感があるが、昨日の千秋楽の焦点は37場所ぶりの「日本人の優勝」。制したのは、モンゴル生まれで日本国籍を持つ旭天鵬(きょくてんほう)だ。母国の後輩たちに慕われる37歳が、決定戦で25歳の栃煌山(とちおうざん)をはたき込んだ。懐の深さを生かす、見事な引き足だった▼前回の日本人、2006年初場所の栃東は、朝青龍の8連覇を阻んでの賜杯(しはい)である。この年から白鵬が台頭し、天下は青から白へ、モンゴル勢が継いだ。国技館を飾る直近32場所の優勝額からも、日本人は消えた▼ウィンブルドン現象という経済用語がある。市場開放の結果、国内企業が外資系に食われる様を、地元勢が活躍できない英国のテニス大会になぞらえていう。国技を自負する大相撲も似たような「場所貸し」状態である▼旭天鵬を内外どちらと見るかはさておき、モンゴル出身者の優勝はこれで50回。けがで5敗した白鵬も喜び、優勝パレードの旗手を買って出た。栃煌山も稀勢の里(きせのさと)も、ほろ苦い日食前夜を忘れまい▼今場所、序ノ口で優勝した20歳のエジプト人、大砂嵐が注目された。初のアフリカ力士は、達者な日本語で「夢は横綱」と語る。こうした挑戦はうれしいが、内外入り乱れてこその国際化、外だけでは「コクギカン現象」になる
2012年5月22日(火)付
「太陽と月とどちらが大切でしょう」と聞く先生に生徒が答えていわく。「月です。月は闇夜を照らしてくれますが、太陽はもともと明るいところを照らすだけです」。『世界のジョーク事典』に見つけた笑話だが、この生徒も昨日の天体ショーを見たら感動したことだろう▼列島各地で金環日食が観察された。皆既日食のように「天の消灯」ではなく、輪となって神々しく光った。拙宅では、観葉植物の木漏れ日が、床(ゆか)にいくつもリングの影を落として幻想的に揺れていた▼古代の人たちは日食を様々に説明しようとした。天の怪物が太陽を食べているとか、太陽の神と月の神が争っているとか、色々ある。いまや奇怪な現象ではないが、それでも深遠な思いにとらわれる▼太陽の直径は月より400倍大きい。だが400倍の彼方(かなた)にある。この偶然が双方の大きさをほぼ同じに見せて、皆既や金環日食が起きる。見えた人は、太陽と月と自分が一直線になったのを実感したことだろう▼天気に泣かされた人は残念だが、雲が湧き、雨が降る大気の層がなければ人も動物も生きていけない。先日97歳で亡くなった詩人杉山平一さんが書いている。〈地球を包む空気の皮のなかに/生きているのに/林檎(りんご)の皮をむいて捨てている〉▼これが全文の詩は色々に読める。自然への慎みを欠く時代への警鐘にもとれるだろう。太陽と月を大切にするのは人知を超えるけれど、地球は人間しだい。もっと顧みたい。感動の余韻を、足元にも向けて。
2012年5月23日(水)付
幸田露伴の「五重塔」は、名人気質の頑固な大工が五重塔を独力で建てる物語。心魂を傾けた塔は落成式を前に大暴風雨に見舞われるが、嵐が去ると「一寸一分(いちぶ)歪(ゆが)みもせず」に見事に立っていた。工事中に東日本大震災に耐えた東京スカイツリーと、どこか重なり合う▼地震の1週間後には高さが634メートルに届いた。日本中が騒然、暗然となるなかで、ともしびのような話題だった。聞けば耐震性を高める設計は、伝統建築の五重塔の知恵を生かしているのだという▼「心柱(しんばしら)」と呼ばれる柱が、五重塔の中心を貫いている。似た構造をツリーも持つ。地震だけでなく、瞬間風速が毎秒110メートルという超暴風も想定しているそうだ。ツリーの地元で長く暮らした露伴翁は、天上でご満悦なことだろう▼着工から完成へ、淡々かつ黙々と空へ伸びていった。爪の垢(あか)を煎じて政治家に飲ませたくなるようなプロの仕事師ぶりだ。基礎工事をはじめ照明や塗装、アンテナなどまで、総身が日本の最新技術の結晶という。ものづくりの底力を思うと、じんとくる▼設計に際しては「威圧感を持たせないようにした」そうだ。巨大建築は往々に国威や権勢を誇り、象徴する。それをすらりと脱ぎ捨てた「雅(みやび)」と「粋(いき)」は江戸の下町によく似合う▼きのうの開業初日。前の日の天体ショーに晴れ間を譲ったのか、東京は雨になった。だが樹下から仰ぐと、上半分を雲が流れてなかなか幻想的だった。雨のち晴れの日本の明日を、ツリーとともに歩みたい。
2012年5月24日(木)付
政治家はたとえ話がうまい。田中角栄元首相がこんな人物評を語ったそうだ。「大平は一刀流、福田は長ドス、三木はくさりがま、宮沢は小太刀」。(稲垣吉彦著『ことばの四季報』から)。いずれも自民党の大物だが、往年の政界図を彷彿(ほうふつ)とさせて面白い▼時は移って、すっかり「決められない首相」の印象に染まる野田さんである。失礼ながら、思い浮かぶのは「鉛刀(えんとう)」だ。つまり「なまくら刀」。といっても悪い意味ばかりではない。「鉛刀は一割(いっかつ)を貴(たっと)ぶ」と中国の詩句に言うそうだ▼鉛の刀は一撃すれば折れ曲がってしまう。だから一度きりの機をねらい、邪念も色気も捨てて無念無想、全力を絞れと説く。二度目はない。税と社会保障の改革で「不退転」を繰り返す首相に、さて、その気概はあるのだろうか▼答弁はよどみないが、紋切り型だ。身内の融和が何より大事な輿石幹事長をどうにもできない。そうこうするうちに、小沢元代表が勿体(もったい)顔でまた登場である。堂々巡りにうんざりとなる▼今や常套句(じょうとうく)の首相の決意を、〈幾つあるのか政治生命〉と川柳欄が一刺ししていた。自民党に秋波を送り、元代表にも流し目を使う。駆け引きをすべて否定はしないが、「保険」を捨ててこそ浮かぶ瀬もある、だろう▼中曽根内閣時代の後藤田官房長官はかつてカミソリや懐刀(ふところがたな)にたとえられた。今の藤村官房長官は「こんなに物を決めなくていいんでしょうか」と自民のベテランにこぼしたそうだ。内閣の要(かなめ)に焼きが回っては困る。
2012年5月25日(金)付
人は一生の間にどれぐらい罪を犯すものだろう――と故・井上ひさしさんがユーモラスな随筆を書いていた。幼いころ、隣家の猫のひげをちょん切ったそうだ。これは立派な犯罪になるらしい▼他にもスカートめくりやキセル乗車など、あれやこれやで「総刑期」は50年を超すと、書きながらご本人が驚いている。そんな一文を、米大統領選をめぐる報道で思い出した。共和党候補に事実上決まったロムニー氏が、30年ほど前に愛犬を「虐待」したとメディアにやられた▼カナダまでの約12時間、犬をかごごと車の屋根にのせて走ったという。愛犬家たちの猛反発を受けて釈明に追われた。片や現職のオバマ氏も、自伝の中にある「インドネシアで幼少期に犬を食べた」を敵陣営に突かれた。あばき立てに時効はない▼ロムニー氏は、高校時代に同性愛者の下級生をいじめたとも報じられた。これはより深刻で、謝罪して火消しをした。信条や政策はもとより、配偶者の人柄や過去の言動まで、候補者は公私にわたって徹底した吟味にさらされる▼長丁場の総力戦は、11月の投票まで半年を切った。その「民主主義の祭り」はしかし、いつになく中傷合戦が激しいと伝えられる。醜聞を掘り起こしては煙を立てる工作員のオフィスもあるのが、あの国らしい▼肉食系のタフな戦いに勝つのはどちらか。そして、国民の投票で選ばれた正統性に4年の任期は保証される。あっさり系、すげかえ自在の日本の首相選びとはだいぶ味わいが違う。
2012年5月26日(土)付
漢字の多くは、一字の成り立ちに濃密な事柄を秘める。たとえば「民」の字は、目を突き刺している形だという。漢字学者の故・白川静さんによれば、視力を失った人を民と言い、神への奉仕者とされた。それがいつしか「たみ、ひと」の意味で使われるようになったそうだ▼意味の変化には「知らしむべからず」の臭いがする。おとなしく権力に従わせる対象を「民」と呼んだのではないか――。そんなことを、「原子力ムラ」の伏魔殿ぶりから連想した。民に目隠しをし、民を侮る、思い上がった人たちである▼ムラで重きをなす原子力委員会は国の原子力政策の基本を決める。そこで内々の「勉強会」を重ね、電力業界とのなれ合いの末、推進派に有利なように報告書案が書き換えられていたという▼この期に及んでの無反省に驚くほかない。そういえば専門委員の中には、原発関連企業などから寄付を受けていた人もいる。この組織、壊して更地にして作り直す必要がある。古い革袋に新しい酒は入れられない▼事故のあとも、必要かつ正しい情報が様々に遮断されているようだ。脱原発を訴えれば、「情緒的」「感傷」といった蔑(さげす)みが産・官・学から返ってくる。夏場の電力が足りないと迫られる。これでは今日より良い明日は見えてこない▼原発を知らなかったこと、知ろうとしなかったことを、多くの人が誠実に悔いている。欺き隠して知らせなかった罪を、ムラは心底自省するべきなのだ。欺瞞(ぎまん)の上塗りはごめんである。
2012年5月27日(日)付
「美しさ」の尺度が今度こそ変わるかもしれない。世界的ファッション誌「ヴォーグ」が、やせすぎたモデルは使わないと宣言した。誌上にあふれる「偏った体形」に憧れ、過激なダイエットに走る読者がいるためだ▼「女性のボディーの理想を、より健康的なものにしたい」。ニューヨークの発行元は、モデル業界やデザイナーにも意識改革を呼びかけた。日本版はあす発売の7月号から、健康美を尊ぶ新方針で編集されている▼医療関係者や女性団体に促され、ファッション業界はこの種の自省を繰り返してきた。いよいよ大御所の決断である。影響力はさぞやと思うけれど、日本女性のやせ願望たるや、欧米以上らしい▼2010年の国民健康・栄養調査によると、20代の女性の29%がやせすぎだった。やせすぎとは、体格指数(BMI)が18.5に満たない体形をいう。背丈が160センチなら、体重47~48キロあたりが境界だ。近頃の若い女性は、食糧難の終戦直後と比べても細めというからたまげる▼5~17歳が対象の政府統計では、昨年度の女子の平均体重が全年齢で前年を下回った。1世紀を超す統計史上で例のない、先進諸国でもまれな現象だ。妊婦のスリム化もあって、新生児の目方までが減り続けている▼肥満は万病の元だが、やせすぎも総身をむしばむ。食べたいのに食べられず、太りたくても太れぬ人がいるのに、あえてガリガリを目指す修行はなんとも美しくない。「教本」が改まったところで考え直しませんか。
2012年5月28日(月)付
東京ぐらしで忘れそうなものに、潮の香がある。生臭さとはまた違う、むせ返るほどの海の息吹だ。わりと近いのは生きのよい海鮮丼ぐらいと思っていたが、さすがに「においのプロ」は鋭い▼京都に本店があるお香(こう)の老舗、松栄堂(しょうえいどう)の畑正高(はた・まさたか)社長が、情報誌「銀座百点」の座談会で、東京に出向いた折のにおいに触れている。「駅におりると、まず海の風があって、ああうらやましいなあと感じます」。うかつにも当方、魚市場の隣で書いていながら、海辺にいる意識は乏しかった▼それではと潮の香を求め、2月に開通した東京ゲートブリッジを目ざした。空路と海路の邪魔にならないよう、上下に気兼ねして「向かい合う恐竜」のシルエットに落ち着いた新名所だ▼入り組んだ岸壁をたどり、恐竜の尻尾から橋の中央へ。そこは埋め立て地の果て、トラックと貨物船が行き交う貿易立国の最前線である。海面から約50メートルでは無理もないが、かすかに排ガスが臭うのみで潮は香らない。羽田へと降下する旅客機が大きかった▼座談会の畑社長は「日本人は無臭の時代に生きている」とも説く。地球上の大多数は、芳香にせよ悪臭にせよ強烈なにおいの中で暮らす。だがこの国では、生活臭がまるで除かれていると▼都会の雑踏は「地球の体臭」までも吸ってしまうのか。潮の香を含んだ海からの風は、ゲートブリッジを越えたあたりで、鼻が利く人だけが気づく程度に薄まるらしい。鉄骨の恐竜たちが「無香社会」の門番に見えてくる。
2012年5月29日(火)付
吉田秀和さんは9年前に妻のバルバラさんを喪(うしな)った。悲しみは深く、心の空白を埋められないまま本紙連載「音楽展望」も休筆が続いた。「黄泉(よみ)の国に行って妻を連れ戻せればと、本当に思う」――本紙に語った悲痛に胸を突かれたものだ▼奥さんは日本文学を研究し、死の床で永井荷風をドイツ語に訳していた。吉田さんは遺作を本に編み、やがて深い痛手から立ち直る。「やっとまた身体に暖かいものが流れだし、音楽がきこえてきた感じ」と、3年後に再開した「音楽展望」に書いている▼幾多の音楽評論は、それ自体が音楽を聴いているような名文でつづられた。一編一編を読みながら、勘所(かんどころ)にすっとおりていく刃を見るような快感があった。しかも森羅万象への知見が深かった▼音楽という芸術の深淵(しんえん)には、なかなか触れにくい。だが吉田さんは、音楽の奥庭に咲く花を、そっと剪(き)って素人にも手渡してくれた。ご本人のめざした「想像力の引き出し役になる批評」に魅せられた人は、わが周囲にも少なくない▼世界屈指のピアニストだったホロビッツの来日公演を「ひびの入った骨董品(こっとうひん)」と評したのはよく知られる。一方、奇人扱いされていたピアニスト、グールドの天才を早くから買っていた。権威に曇らぬ批評眼のゆえだったろう▼昔のエッセーに、妻の祖国ドイツの詩句を引いていた。〈眼をとじてみたまえ その時、きみに見えるもの きみのものはそれだ〉。享年98。閉じた目の内に何を見て、旅立たれただろう。
2012年5月30日(水)付
「世界の屋根」と呼ばれるヒマラヤの山々は、畏怖(いふ)をこめて「神々の座」とも称される。明治時代に秘境に潜入した日本人僧、河口慧海(えかい)は8千メートル峰のひとつダウラギリを間近に仰いで、そこに仏の姿を見た▼「あたかも毘盧遮那(びるしゃな)大仏が虚空にわだかまっているような雪峰」と感じ入った。荘厳な山容に、あの「奈良の大仏」が天を突く姿を思い描いたのだろうか。実際、8千メートルの峰を仰ぐと、高さというより大きさに圧倒される▼112年も前に慧海が「仏」を見たダウラギリに、先週、登山家の竹内洋岳(ひろたか)さん(41)が登頂した。ただの成功ではない。世界に14ある8千メートル峰すべての登頂を、これで成し遂げた。17年をかけた日本人初の快挙である▼近年、ヒマラヤの大衆化は著しい。エベレストには富士山顔負けの行列ができるほどだ。だが14座の登頂には、掛け値なしの困難がある。これまでに日本の登山家3人が、9座まで登ったものの落命している▼自然が人間を拒絶している超高所へ、意志と体だけで切り込む。達成まで生き延びることが目標になる、厳しい挑戦である。「冒険とは生きて帰ること」。植村直己さんの至言を胸に畳んでの長い道だったろう▼一流の登山家ほど「命知らず」の行動から遠いものだ。ひるがえって国内を見れば、「14座」ならぬ「百名山」をめざす中高年の登山者が列をなす。だが、百の頂上を踏むためには毎回無事で帰る必要がある。快挙から汲(く)みたい、登山の心構えである
2012年5月31日(木)付
風薫る季節ながら天は乱調が続く。竜巻がまい上がり、雷はとどろいて、雹(ひょう)が屋根をたたいた。膨らむアジサイの毬(まり)が雨季の間近を告げる5月の言葉から▼こどもの日、稼働する原発がゼロになった。九州の玄海原発の地元で半世紀近く危険性を訴えてきた仲秋喜道(なかあき・きどう)さん(82)が言う。「広島、長崎の原爆を体験した国民。敏感になるのは当たり前だ。事故で気づいたのは最悪だが、安全神話は崩壊した。もう新しい原発は造らせない」▼本土復帰から40年の沖縄。爆音の下で小さな食堂を営む仲宗根千代さん(88)は沖縄戦を生き延びた。「音を聞くと、いくさの哀れを思い出す」。そして「何でも自分が嫌なことを人にやったらいけないさーねー」。基地を押しつける本土への抗議がにじむ▼本社の阪神支局襲撃事件から25年が過ぎた。自らも何者かに襲われた経験のあるノンフィクション作家の溝口敦さん(69)は「おびえたら相手に暴力は効果があると思わせてしまう。言い続けることが、被害を受けた者の責任と思った」▼電車と接触して大けがをした全盲の落語家笑福亭伯鶴(はっかく)さん(55)が3年半ぶりに寄席を開く。まだ後遺症は残るが「左手が動かなきゃ右手を使い、パピプペポが言いづらかったら別の言葉に置き換えるだけ」。のんびり笑いにきてください、と▼2千安打達成のヤクルト宮本慎也選手(41)。過去の達成者の中でホームランは最少、犠打は最多。「脇役の一流にはなれたかなと思う」。磨き抜いた「銀」の美しさよ。 学习了!
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