闇紅の魔導師 发表于 2013-2-1 18:57:33

朝日新聞・天声人語 平成二十五年(二月)

2013年2月1日(金)付
 ある電力会社の不祥事についてこう書いた。「こんな会社からはもう買わないと、家中のコンセントを抜いて回るわけにもいかない」。ほどなく読者からご指摘を受けた。論旨にではなく、言葉遣いにである▼「ここで抜くべきはプラグです。コンセントは壁にある差し込み口の方で、抜いて回れば火事になる」。ちぎれた配線が火花を散らす図が浮かぶ。心の声は「コンセント抜くって言うよなあ」と強がるも、慣用は疑うべしと反省した▼なんとなく多用されてきた言葉が、誤用の色を帯びることがある。最近では「愛の鞭(むち)」だ。大阪でバスケ部主将が命を絶って以来、体罰への視線は厳しい。教え子を本気で愛するなら鞭など使えるかと▼柔道女子の日本代表監督が、選手への暴力や暴言を問われて辞める。日本オリンピック委員会に連名で直訴したのは、五輪メダリストら黒帯15人。余程の話に違いない▼こそこそ処理しようとした柔道連盟は、選手生命をかけた叫びを何と聞いたか。愛があろうがなかろうが、集団で反乱されるような監督は失格だろう。相手を敬うのが柔(やわら)の道。講道館による禁じ手は世界を巡り、五輪招致に水を差す▼「体罰に愛を感じたことは一度もありません」。野球で大成した桑田真澄さんの発言だ。叩(たた)く指導者は、叩かれた選手から生まれる。愛の鞭という幻想と、誤用のリレーをここで断たないと、栄光はいつまでも遠い。スポーツ衰退の回路につながるコンセント、いやプラグは抜いて回りたい。
2013年2月2日(土)付
 寒のゆるみがうれしいこの時期、小欄にも暖を求めるお便りが届く。心がほっこりする話をもっと読みたいと。百も承知ながら、読者に先を越されることがままある▼東京で広げた声欄に「ピザ屋さん、ごめんなさい」があった。首都圏が「大雪」にあわてた成人の日、さいたま市の山口ひかるさん(10)は宅配ピザを頼む。「時間は約束できません」と言われたが、お母さんに注文してもらった▼この少女を後悔させたのは、長針が二回りした待ち時間より、配達員の姿だった。全身びちょびちょ、震える赤い手でお釣りを数えている。母親は申し訳なさそうに缶ビールを手渡し、娘もとっておきの10円菓子を差し出した。投稿は「お兄さん、今度は天気のいい日にたのむからね」と結ばれる▼届けてなんぼの宅配サービスに、客の心遣いは無用かもしれない。それでも、女の子は少し大人になり、若者は時給を超えた出会いを得た。雪道がもたらした寒くて温かい話。冷えたピザは、オーブンでおいしく生き返ったそうだ▼〈クレヨンで描けば氷もあたたかい〉あべ和香(わこう)。寒いだけ、冷たいばかりの冬ではない。雪の夕、初対面の玄関にともった豆電球が、やがて投書欄を照らす。人が触れ合って生じる熱は長持ちだ。凍える記事が多い中、ほっとする話は胸に染み、内なるオーブンに火が入る▼春隣(はるとなり)の週末ではあるが、予報は気まぐれな三寒四温である。いましばらく、心の筆記具をクレヨンにして、季節のせめぎ合いを見守りたい。
2013年2月3日(日)付
 去年の秋、朝日歌壇に二つの歌が並んでいた。〈ごんぎつねも通ったはずの川堤(かわづつみ)燃えあがるようにヒガンバナ咲く〉中村桃子。〈名にし負わば違(たが)わず咲きし彼岸花ごんぎつねの里真赤に染めて〉伊東紀美子。どちらも愛知の方(かた)である▼その愛知県半田市に、童話「ごんぎつね」などを書いた新美南吉の生家や記念館がある。今年が生誕百年と聞いて訪ねてみた。朗読会や音楽祭といった多彩な催しが計画され、地元は四季を通して華やぎそうだ▼同時に没後70年でもあり、三十路(みそじ)に届かぬ夭折(ようせつ)が惜しい。国民的童話といえる「ごんぎつね」は18歳のとき世に出た。1956(昭和31)年から小学教科書に載り、教室で読んだ子は6千万人を超えるという▼この短い一話が、どれほどの幼い心に、やさしさや哀(かな)しさをそっと沈めてきたか。その広がりには大文豪もかなうまい。「ごん」に限らず、人生の初期に出会うすぐれた読み物には、たましいの故郷のような懐かしさが消え去らない▼記念館の学芸員遠山光嗣さんによれば、「ごん」の結末はなぜ悲しいの?という質問が時々あるそうだ。わかり合えないことやすれ違いがどうしようもなくあることを、南吉は言いたかったのでは、と答えることにしているという▼近年は、母子(ははこ)の狐(きつね)の「手袋を買いに」も「ごん」にならぶ人気があるそうだ。〈里にいでて手袋買ひし子狐の童話のあはれ雪降るゆふべ〉と皇后さまは詠まれている。南吉は古びることなく、人の心を洗い、ふくらます。
2013年2月4日(月)付
 中国で環境の問題を取材して「病む天地」と題する記事を書いたのは、かれこれ20年も前になる。経済発展の奔流がいよいよ急になった頃だが、すでに大都市や周縁では、空も河川も汚染にむしばまれていた。酸性雨が「空中鬼」と呼ばれるのもそのときに教わった▼環境保護の担当者は、経済との「板挟み」を嘆いていた。たとえば石炭火力発電所に、先進国では当たり前の脱硫装置をつけたい。だが、それより発電施設の増強が優先される、と。以来これまで中国は「環境より経済」で突っ走ってきた▼その因果と言うべきか。伝えられる北京の大気汚染がすさまじい。子どもらは咳(せ)き込んで病院に詰めかけている。一説では、汚染のひどい日に北京に一日いると、たばこを21本吸うのに等しいという▼北京駐在が2度目の同僚は、前回は帯同した妻と子が年中咳をしていた。それが帰国するとぴたりと止まった。いわゆる「北京咳」である。その同僚も、ここまでひどい空は初めて見るそうだ。マスクなど焼け石に水の感じだ、と不安がる▼経済発展に爆走する中国は、踊り続ける赤い靴をはいてしまったアンデルセン童話を思わせる。経済が「踊り」をやめれば、成長の果実を求める民衆の不満は噴出する。政府が一番恐れることらしい▼壊せば容易には戻らないのが自然環境であり、深刻な公害は人の命を無残に奪う。日本にも悔いがある。病んだ天地を癒やし、人命と人権を尊びたい。13億の国の舵取(かじと)りを、世界は見ている。
2013年2月5日(火)付
 勧進帳(かんじんちょう)の弁慶は、安宅(あたか)の関で機転を利かせて義経をまず逃がし、勇躍あとを追う。手足をはね上げる「飛び六方(ろっぽう)」で花道を急ぐ幕切れは、荒事(あらごと)らしい見せ場だ。市川団十郎さん66歳。弁慶の包容力で伝統芸を守り抜くも、早すぎる六方となった▼19の時に先代に逝かれた。家芸の「歌舞伎十八番」などを父からきちんと教われなかった苦労ゆえ、自らは持てる技と心のすべてを子に、まだ見ぬ孫に伝えたい。そんな思いは、晩年の闘病を支えもしただろう▼急性白血病で倒れたのは2004年、長男海老蔵さんの襲名披露のさなかだった。5カ月後のパリ公演が復帰の舞台となる。忘れがたいのは、海老蔵さんいわく「ふとんの中でも練習していた」仏語の口上だ。その誠意は客席の隅々にまで伝わり、一文ごとに拍手である▼若い世代の海外公演を、「役者には貴重な経験、お客さんには明日の歌舞伎を知ってもらう良い機会」と語っていた。名門成田屋の主(あるじ)は、一門より歌舞伎界の将来を見据えていたらしい▼やんちゃ息子が夜の街で殴られた時には、「人間修業が足らなかった」とわびた。自宅前で、遠慮のない取材にも律義に応じる姿が胸に残る。芸に劣らず、人間も大きかった▼歌舞伎の守り神は、昼寝でもしていたか。先の中村勘三郎さんに続いて伝統文化の損失である。立春の陽光の下で、建て替え工事をほぼ終えた歌舞伎座が2カ月先の初舞台を待つ。海老蔵さんら次世代の奮起を、天から大きな目が見守ることになる。
2013年2月6日(水)付
 60歳にして、なお若々しいのか成熟が遅いのか、日本のテレビ放送に還暦の言葉は似合わない。画面では昨日と同じ芸人やアイドルが、昨日と同じ笑顔ではじける▼NHKの放送開始は1953(昭和28)年2月、受信契約は866件だった。半年ほど遅れて民放の日本テレビが開業する。「宣伝の価値は受像機より視聴者の数」と、220台を街頭に配し、プロレスやプロ野球を中継した。皇太子ご成婚や東京五輪を経て、テレビは黄金期を迎える▼「指先からつま先まで、打席や捕球といったプレーの一挙手一投足は、常にテレビを意識していろいろ考えましたねえ」。ほかならぬ長嶋茂雄さんの述懐だ(『あの日、夢の箱を開けた!』小学館)。創(つく)る側、観(み)る側ともに熱かった▼夢の箱は薄くなり、オールドメディアになった。生活に溶け込む一方、見入るのは「同世代」の中高年らしい。視聴率に縛られた番組作りなど、とかくの批判も聞く。誰にも一家言と付き合い方がある▼故阿久悠(あくゆう)さんは、台本と首っ引きの進行ぶりを早くから難じていた。「命綱を十本もつけた空中サーカスを誰が見に行くだろう」と。なるほど、筋書きのないスポーツの生放送は人気を保っている▼片や黒柳徹子さんのように、「社会を良くする力」を信じて関わってきたテレビ人も多い。倍の齢(よわい)を重ねた新聞の目にも、できることはまだあるように見える。箱の夢は尽きたのか、それを大衆が共有する知恵はないのか。探るだけの価値はありそうだ。
**** Hidden Message *****
2013年2月8日(金)付
 命に軽重はないけれど、喪失感の大きい訃報(ふほう)が続いた。才を惜しむ言葉を連ねつつ、神も仏もあるものかと嘆くばかりの小欄だが、ようやく神仏の存在を感じている。この子を死なせるわけにいかない▼「女性にも教育を」と訴え、武装集団に襲われたパキスタンのマララ・ユスフザイさん(15)が、肉声のコメントを出すまでに回復した。銃撃から4カ月。砕けた頭蓋骨(ずがいこつ)の穴はチタンの板で覆われ、耳には聴力を取り戻す器具が埋め込まれた▼心にも鉄の衣を着せ、命がけで闘う決意とみえる。生死の境をさまよって、なお「神に授かった新たな命は、人助けに捧げたい」と気丈に語る姿は胸を打つ。ノーベル平和賞の候補とされるのも道理だろう▼彼女の信念はとりわけ、同世代の女性に響いたようだ。鳥取の高校生(18)は、大阪本社版の声欄に「学ぶ意味、マララさんに知る」を寄せた。「教育を受ける権利が保障され、勉強ができることにもっと感謝しなければ。目的を持ち、楽しんで学ばなければと思います」▼日本や欧米では、勉強は「させられるもの」かもしれない。マララさんの受難を知れば、男女を問わず、皆が恵まれた境遇に気づかされよう。女性差別が残る国では、目覚めた娘たちが立ち上がっている▼人間、だれにも役割がある。生まれながらに伝統文化を背負い、歌舞伎の舞台に立つ少年がいれば、立志により「同性の未来」を担う少女がいる。生かされし幸運までも糧にする闘いに、今はただ、エールを送る。
2013年2月9日(土)付
 6大都市の時代があった。東京、大阪……のあとが続く人は社会科が好きに違いない。経済が膨らみ続けたあの頃、都市の夢は人口を増やして「6大」に連なることだった▼北九州市の誕生から、あすで50年になる。八幡、小倉、門司、若松、戸畑の5市が対等合併し、百万都市に仲間入りした。なにしろ国連が調査団をよこす一大事。東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸の先輩都市からは、それぞれの「ミス」が着物姿でお祝いに駆けつけた▼新市名の最終選考には、西京、北九、昭和、九州も残ったが、各市にわたる工業地帯と同名に落ち着いた。小倉出身の作家、松本清張は「ズバリそのもので結構」と賛辞を寄せている▼明治期に7万あった集落は、昭和、平成の合併を経て1700ほどの市町村に再編された。自治体のムダを削ろうと、国が促した結果だ。北九州のように、行政区を持つ政令指定都市は20を数える▼「平成の大合併」は、地方議員を4割、2万人以上も減らした。とはいえ周縁部となった地域は衰退しがちで、住民サービスの低下も言われる。合併は地方分権に資するのかどうか、識者の見方は分かれる▼基幹産業を直撃した「鉄冷え」が響き、北九州市の人口は合併時の103万から97万に減った。往時の新聞には「広島も札幌も川崎も追い越し、福岡より大きい」とあるが、その後すべてに抜き返された。他市を含め、暮らしはその規模ほど「立派」になっていない。都市合併は、宿題を抱えて走る。
2013年2月10日(日)付
 昭和天皇が病に倒れた1988(昭和63)年、日本は息をひそめ、歌舞音曲(かぶおんぎょく)などの催しが相次ぎ自粛になった。疑獄史に残るリクルート事件はその年に発覚し、政官財界の大物を巻き込んで広がっていった▼世はバブル景気に踊っていた。土地長者が続出し、「財テク」時代の殿堂として東京証券取引所は修学旅行の新名所になった。賄賂(わいろ)に未公開株を大量譲渡した事件は、そんな世相を象徴していた。「ぬれ手で粟(あわ)」の言葉が事件を言い表したものだ▼それから25年、リクルートの創業者で贈賄側の中心人物だった江副(えぞえ)浩正氏の訃報(ふほう)が伝えられた。得意の絶頂から谷底へ。風雲児と呼ばれた起業家の起伏の人生には、毀誉褒貶(きよほうへん)が入り交じる▼一代で成功をつかんだ江副氏のカネに政官財のエリートが群がった、というのが事件の素描である。江副氏はのちに、当時の心境を「(成長しなければならないと)絶えず緊張し孤独だった。こわれるままに多額の政治献金を行い、心のバランスをとっていた」と明かしている▼事件は朝日新聞にとっても忘れがたい。横浜支局などの若い記者たちが、粘り強い独自取材で調べ上げて特報した。手前味噌(てまえみそ)ではあるが、調査報道の金字塔と讃(たた)えてもお叱りは受けまい▼明くる年、昭和は平成に変わる。バブルははじけ、日本は「失われた20年」と呼ばれる時代に入っていった。そして時は流れたが、政治とカネをめぐる負の遺産は今も戒めの鐘を鳴らし続ける。政界の「耳」に、その音よ届くべし。
2013年2月11日(月)付
 「悲別」と書いて「かなしべつ」と読む。閉山した炭鉱の町だが、実在はしない。脚本家の倉本聰さんがつくり出した架空の地である。まだ貧しかった戦後の時代、這(は)い上がる日本を地の底から支えたのがヤマの人たちだった▼国が豊かになるのと入れ違いに炭鉱はさびれていく。倉本さんが「悲別」を舞台に、失われゆく故郷(ふるさと)と人間模様をドラマにしたのは1984年のことだ。以来29年、今度は炭鉱に原発を重ねた劇をつくり、全国ツアーが始まった▼その「明日(あした)、悲別で」を見ると、国策に翻弄(ほんろう)されて悲哀をなめ、怒りにふるえる個々の存在がつきつけられる。国の舵取(かじと)りにもまれて、使い捨てにされる人間。名もない人々の一語一語が胸に刺さる▼閉山で去る労働者らは坑内に刻む。「我ラ世ニ遅レ不要ト言ハレタリヨッテ此処(ここ)ヲ去ル文明我ラヲ踏石(ふみいし)ニシ高所ニ登リテ踏石ヲ捨テル踏石ノ言葉既(すで)ニ聞クモノナシ」。誰にも起こりうる痛みを分かち持ってほしい、と倉本さんは言う▼現実に戻れば、原発事故で故郷を追われた多くの人は、帰るめどが今もたたない。なのに原発への関心や、痛みの共有は薄れてきたようだ。総選挙でも主役は経済が占め、原発は脇に追いやられた▼炭鉱や原発に限らず、人が軽くみられる社会で希望を探すのは難しい。足尾鉱毒を告発した田中正造をまねて言うなら「真の文明は人を棄(す)てざるべし」であろうと、舞台を見終えて考えた。もうひと月で、3・11から2年の日がめぐってくる。
2013年2月13日(水)付
 自前のロケットで猿が宇宙を旅したと、イランが自慢げに発表した。ところが「生還」した猿の顔が打ち上げ時と違う。無重力で膨らんだのでも、恐怖にゆがんだのでもなく、当局によれば写真を間違えたそうだ。古今東西、国威発揚にはウソが臭う▼イラン以上に「猿芝居」のお国柄ながら、北朝鮮の場合、良からぬことは有言実行らしい。予告通り、3度目の核実験である。かの国を戒める言葉は尽きたが、国際社会があきれるうちに、北の核は現実の脅威になりつつある▼弾頭を軽くして、先に人工衛星と称して打ち上げた弾道ミサイルにつければ、米国本土をも射程に収めかねない。試し打ちの時はロケットと衛星でも、実際に落ちてくるのはミサイルと核爆弾。イランの猿のように、別の顔となる▼東京の夕刊で、関西学院大を卒業する脱北女性(30)の話を読んだ。18歳で中国に逃れ、潜伏を経て日本にたどり着くまでの5年、自殺用のカミソリを手放さなかったという。北朝鮮への送還に備えてのことだ▼日本にいる約200人の脱北者で初めて大学を出ることになるが、「北生まれ」を言い出せない学生生活はつらかった。前回の核実験で、空気がさらに重くなったと顧みる▼脱北が決死行なら、恐怖政治と飢えの中に残るのも命がけだ。民の涙を尻目に、「金王朝」は体制を護持しようと核開発を急ぎ、孤立を深める。火遊びのたび、内外で泣く人がまた増える。横田早紀江さん(77)が嘆いた通り、「難儀な国」である。
2013年2月14日(木)付
 フランスの怖い童話「青髭(あおひげ)」に、秘密の小部屋が出てくる。夫の留守中、禁を犯して入った新妻が見たのは、先妻たちの死体だった。「開かずの間」にはえてして、宝ではなく家主の弱みが隠されている▼1年前、福島の原発に乗り込もうとした国会の事故調査委員会は、家主の東京電力に「今は真っ暗」と制された。実は1号機の覆いは光を通し、照明もあった。この状況で4カ月が過ぎた後の説明だ。勘違いとは思えない▼東電は同行を拒んで抵抗した。「恐ろしい高線量地域に出くわす」「転落が怖い」「がれきが散乱」と、「開かず」の理由を並べて立ち入りを断念させている▼事故調の関心は、建屋4階の非常用復水器にあった。電源が落ちても使える冷却の切り札はなぜ、肝心な時にしっかり働かなかったのか。地震の揺れで早々と壊れたのなら、事故は東電の言う「想定外の津波」だけが原因ではなくなる。原発の耐震性が問われ、再稼働は全国で滞るはずだ▼「説明者が暗いと思い込んでいた」。東電の社長は国会で、調査妨害を否定した。現地も知らぬ社員に任せていたのが事実なら、国政調査権もなめられたものだ。まず議員が怒るべきだろう▼原子力ムラは原発より政権の「復旧」で一息ついたようだが、最悪の災害は消しようもない。原因と対策を世界に報告するのが東電と日本の使命であり、臭い物にフタでは二重の背信だ。皆が、歴史に裁かれて恥じない言動を求められている。無論メディアも同じである。
2013年2月15日(金)付
 わが子のように、星にも名前がつく。彗星(すいせい)や小惑星を見つけた人の特権だ。まずは国際機関が仮符号を与え、彗星は本人の名に、小惑星は何なりと発見者が望む名になる。アマ天文家の血が騒ぐわけである▼「存在を主張するかのように太陽の光を反射し、かすかに輝く星たち。それを見つけ、想(おも)いを託した名前を付ける。その小惑星たちが宇宙空間を回り続けるとすれば、これほどのロマンはない」(渡辺和郎『小惑星ハンター』誠文堂新光社)▼あす未明、中層ビル大の小惑星が地球をかすめる。スペインの観測者が見つけて1年、名は仮符号2012DA14のままだ。最接近は日本時間4時24分、静止衛星の軌道のさらに内側を通る。観測史上、この規模では最も際どいニアミスらしい▼命中コースから、地球二つ分それる気まぐれに感謝したい。大は小惑星、小は流星となって消えるちりまで、突入してくる天体は多い。地球は大気に守られ、衝突跡は風化などで消えていくが、それがなければ月と同じあばた面である▼恐竜の絶滅も小惑星の仕業とする説がある。6500万年前に直径10キロ級が衝突、粉じんや煙が太陽を遮り、寒冷化で大型生物が死に絶えるシナリオだ。その点、こんどの訪問者は実に優しい▼それが観光船だったらと夢想する。闇の旅で、地球への接近は佳境である。遠ざかる青い惑星を目に焼きつけ、乗客は命名を競うだろう。しかし下方の世界はご覧の通り。離れるほどに美しい星、というのも悲しい。
2013年2月16日(土)付
 君主をはじめとし、亡くなるまで務める、いや、務めると信じられている地位がある。その一つだったローマ法王のベネディクト16世が、世界を驚かせて今月末に退位する。在位約8年の85歳は、心身ともにお疲れのご様子だ▼10億人を超えるカトリック信徒の頂(いただき)は265代を数える。存命中に退くのは、教会分裂の中で辞職を強いられたグレゴリウス12世以来、598年ぶり。自発的な退位となると、13世紀末のケレスティヌス5世以来719年ぶりという。小欄で世界史をひもとくポストはあまりない▼伝統こそが権威の組織は、おのずと保守的になる。今の法王も教義に厳しく、同性愛や中絶、神父の妻帯を認めなかった。他方、法王庁内外の醜聞に悩まされもした。異例の引き際に、古色に染まらぬ人臭さを見る▼注目は後任選びの集いコンクラーベだ。80歳未満の枢機卿(すうききょう)がバチカンにこもり、投票を重ねる。その紙を燃やす煙は、決まらねば黒、決まれば白で鐘も鳴る。久々の「前職」を含め、無数の目が礼拝堂の煙突を見守ることになる▼終身制や聖職には縁遠いわれら勤め人も、異動の季節を迎えた。上役らのコンクラーベを経て、辞令一枚で西へ東へ、得意と失意が行き来する。世には小さく、されど人生には大きい、春の泣き笑いである▼いずれにせよ、億単位ではなく、せいぜい身内が気にかける人事は罪がない。上り詰めて果てる道もあるけれど、先達が教える通り、冷や飯をおいしく食べて次に備えるのもいい。
2013年2月17日(日)付
 2人の女の子のあとに生まれる子は、「次は男の子」と待ち望まれた。ところが女の子だった。父親は名前の由来を、がっかりしないで喜ぼうと「悦子」と名づけたと、冗談まじりによく話していたそうだ▼家では活発なことが喜ばれ、自由にのびのびと育った。だが世間の風にあたると男社会の壁に阻まれた。ことあるごとにぶつかる壁が血を騒がせたという。岩波ホールを任されたときも「女が責任者だからつぶれる」と言われ、負けん気が燃えた▼ほぼ半世紀にわたってホールを率いてきた高野悦子さんの訃報(ふほう)を聞いて、そのスクリーンで見た映画を胸に浮かべた人もあろう。古書の町、東京・神保町にある小さな空間は、商業主義に敬遠された佳作の、いわば殿堂だった▼実は監督をめざしていたが、それも「壁」にはね返された。悶々(もんもん)とする時をへて、埋もれた映画を掘り起こして観客との懸け橋になる仕事に光を見いだす。「興行にも創造がある」と語っていた言葉が忘れがたい▼橋を架けた名作は、「大地のうた三部作」「家族の肖像」「旅芸人の記録」「芙蓉鎮(ふようちん)」「大理石の男」「八月の鯨」……まだまだある。映画文化の幅を広げ、奥行きを深めた仕事の、スケールの大きさをあらためて思う▼興行である以上、胃が痛むような「冒険」もあったろう。だが「これが人生最後の上映になっても悔いなし、と思う映画だけを紹介してきました」という信念に揺るぎはなかった。83歳の生涯に映画ファンの感謝は尽きない。
2013年2月18日(月)付
 いまの季節、「探梅にでかける」と書いたら、俳句好きの方からお叱りをいただくはめになる。さきがけの一輪二輪を、まだ風も冷たい野山に求める探梅は冬の季語だからだ。立春をすぎれば、色香を楽しむ観梅に季語は変わる。日本人の季節感は、実にこまやかだ▼今年の冬は寒い。毎年みごとな近所の寺の紅梅は、ようやく一つ二つ開き始めたばかりだ。駅への道にあるお宅は白梅がちらほら。東京の感覚では、いまが探梅から観梅への、ちょうど移行期らしい▼先日、静岡県熱海市の美術館で尾形光琳の「紅白梅図屏風(びょうぶ)」を見た。色のせいか、右の紅梅の咲き具合が心なしか早いように思われて、蕪村の〈二(ふた)もとの梅に遅速を愛す哉(かな)〉が胸に浮かんだ。光琳の画も蕪村の句も、気品の中をゆったりと時間が流れている▼一転、ユーモラスな梅の句が、これは一茶にある。〈紅梅にほしておく也(なり)洗ひ猫〉。春の泥に汚れた猫だろうか、洗って日なたで乾かしてやる。洗濯物のように猫が干される図を想像し、思わず頬がゆるくなる▼ついこのあいだ年を越したと思ったら、もう2月も半ば、きょうは二十四節気の雨水(うすい)になる。降る雪が雨に変わり、雪が解けて土が潤いだす。しかし北国はまだ冬のさなか、観梅どころか探梅も遠い雪の空が続く▼満開もみごとだが、「一輪ほどのあたたかさ」こそ梅の梅らしさだろう。寒さに向かって開く紅白は、どこか人を励ますところがある。まだ寒々と硬い大地から、春の足音が聞こえてくる。
2013年2月19日(火)付
 ロシアのウラル地方に飛来して爆発した隕石(いんせき)は世界を驚かせた。「鳥か!飛行機か!いや、隕石だ」。スーパーマンのフレーズをもじった見出しをつけて、はしゃいだ感じの英字紙もあった。被害は小さくないものの、死者が出なかったのは不幸中の幸いだった▼「好きなものいちご珈琲(コーヒー)花美人懐手(ふところで)して宇宙見物」は物理学者寺田寅彦のざれ歌だが、その場の人はとても「懐手で見物」の余裕などなかっただろう。流れ星ならともかく、大宇宙はときに、とんでもないものを我らが星に落としてよこす▼地球をかすめる小惑星の話を15日の小欄に書いた。その最接近が刻々と迫るなか、隕石は青い空を切り裂いた。双方に関連はないそうだが、それならそれで、計ったような偶然に宇宙の深遠感はいや増す▼音速の50倍という速度で飛んできた物体の持つ力も、想像を絶する。米航空宇宙局の推算によれば、長崎型原爆25個分のエネルギーで大気圏に突入したという。「もう一つの太陽のようだった」という目撃談は誇張ではあるまい▼天が落ちてくるのを心配する「杞憂(きゆう)」の故事を笑えなくなった、という人もおられよう。だが怖いのは自然より人間で、某国が血道を上げる弾道ミサイルの方が、このさき宇宙から降る脅威としてはむしろ現実的だろう▼天に星、地に花、人に愛という。されど天・地・人のうち、ひとり「人」だけが利害や欲で互いを痛め合っている。落ちてきた訪問者、人界を何と見ることだろうか。
2013年2月20日(水)付
 受験シーズンが大詰めになってきた。今年の国公立大の志望者には「安全・地元志向」がより強まっているそうだ。1次試験にあたるセンター試験が難しかったらしく、点数の伸びなかった受験生がやや弱気になっている。そんな分析を、先の本紙記事が伝えていた▼なかでも国語は、200点満点で平均が101・04点と過去最低に沈んだ。その「犯人」と目されるのが、批評家小林秀雄の難解な随想である。没後30年の年に、ひとしきり新聞各紙で話題になった▼筆者も挑戦してみたが、なかなか手ごわい。「鐔(つば)」という題からして凄(すご)みがある。刀の鐔をめぐる一文に、語句説明の「注」が21もつく。これを1問目に「配点50点」でドンと置かれて、焦る気持ちはよくわかる▼小林は、人を酔わせる文句の名人とされる。いたる所で繰り出されるが、たとえば手元の一冊にもこうある。「万人にとっては、時は経つのかも知れないが、私達めいめいは、蟇口(がまぐち)でも落(おと)すような具合に時を紛失する。紛失する上手下手が即(すなわ)ち時そのものだ」(随想「秋」から)▼一方で、絢爛(けんらん)華麗な殺し文句をちりばめるためには論理性に頓着しないところがある。名高い「批評の神様」も受験生には貧乏神だったかもしれない▼蛇足めくが、右の引用文はこう続く。「そして、どうやら上手に失った過去とは、上手に得る未来の事らしい」。分かるような分からぬような。ともあれ過ぎた試験は悔やまず未来を上手につかむよう、受験生にエールを送る。
2013年2月21日(木)付
 こうした事件が起きると、いまや伝説になったアメリカの一少年の叫びを思い起こす。「うそだと言ってよ、ジョー」。1919年の大リーグ八百長疑惑で、名選手ジョー・ジャクソンらが球界を追放された。裁判所で、無実を願う少年が言ったとされる、悲痛な呼びかけだ▼南アフリカの「義足のランナー」にも同じ言葉が飛んだだろうか。殺人容疑で逮捕されたオスカー・ピストリウス容疑者(26)が、保釈の審理のために法廷に立った。南アの国内は、墜(お)ちた英雄の話で持ちきりらしい▼故意か、過失か。検察と弁護側の言い分は異なる。ともあれ、彼の撃った銃弾が恋人の命を奪ったのは間違いないようだ。口論する声が聞こえたとの報道もある▼銃は護身用だったという。だが銃で身を守るどころか、家族や知人を殺してしまう悲劇は銃社会の米国でも多い。たとえば夫婦げんかで、日本なら茶碗(ちゃわん)を投げて収まるところを、かっとなってズドンと撃つ。我に返って泣き叫んでも、涙は弾(たま)に追いつかない▼それにしても、日本で世界で、この青年の不屈の魂を授業の素材にした学校もあったろうと想像する。小欄も昨夏に取り上げた。人とたばこの善(よ)し悪(あ)しは煙になるまでわからない、という。生きている人間とは、定まりのつかないものだ▼むろん障害者スポーツとは何の関係もない事件である。だがここに来てドーピングの疑惑まで浮上してきた。「不吉な道具」の罠(わな)に落ちたアスリートの転落を、いまはただ悲しむばかりだ。
2013年2月22日(金)付
 日本にやってきた異国の人の「発見」に教えられることは少なくない。明治時代に東大で教えた英国人チェンバレンは、日本語には火事をめぐる語彙(ごい)が多いのに驚いた。付け火や粗相(そそう)火(失火)、貰(もら)い火をはじめ火事見舞いまで多々あげて、「これでも半分にもならない」と記している▼多彩な語彙の背景を、木と紙でできた都市ゆえだろうと説いていた。火災の多発が風俗や習慣に深く根をおろしている、と。なるほどと思って読んだその著作を、東京の老舗そば店「かんだやぶそば」の火事で思い出した▼東京都の歴史的建造物でもあった木造の、残念な災難だった。大空襲にも焼けず、作家の池波正太郎が「むかしの町の香りを辛うじて残している」と懐かしんだ一角の店である。食通で鳴らした池波は、あの世で嘆息していることだろう▼人の被害のなかったのが救いだが、全国を見れば連日、火災で命が奪われている。犠牲者は毎年1~3月が図抜けて多い。炎の跳梁(ちょうりょう)を最も用心すべき季節である▼わけても高齢の人は細心を尽くしたい。長崎のグループホームで4人が亡くなったのは記憶に新しい。年間死者の6割強が65歳以上という現実は、誰にとってもひとごとではない▼この国では「火事はいつも恐れられている敵である」とチェンバレンは書いた。木と紙の家並みは変わったが、言葉は今も意味深い。時は流れても、燃えさかって生命財産をなめる炎は敵でしかない。折からの寒波、心の拍子木(ひょうしぎ)を忘れず鳴らしたい。
2013年2月23日(土)付
 ことば遊びには、凝ったものがいろいろある。たとえば次の一句、〈昼からはちと影もあり雲の峰〉の17文字には7種の小さな生きものが隠れている。答えをすぐ言うのも何だが、順に「蛭(ひる)、蚊(か)、蜂(はち)、蜥蜴(とかげ)、蟻(あり)、蜘蛛(くも)、蚤(のみ)」とならぶ。うまく考えるものだ▼寒さの中にも、陽気に誘われて虫たちが穴を出る二十四節気の啓蟄(けいちつ)は近い。虫といってもいろいろで、もとより蚊や蚤は歓迎されまい。加えて今年は新たな心配が生じてきた。ダニの一種マダニが広める感染症で、国内で4人の死亡が確認されたという▼マダニは「真壁蝨(まだに)」などと書く。虫偏の生きものの漢字表記は“迫力”のあるものが多い。これも、見ただけでたじろいでしまう。室内のイエダニと違って野山などに潜み、人に食いついて血を吸う▼筆者も昔、山でやられた。ひざの横に黒いものを見つけたが、かさぶたと思って放置した。だが、むずむずと微(かす)かに痛く、日々膨らんでいくような気がしてよく見ると、虫の足がもぞもぞ動いていた▼こんなとき、無理に取るのはよくない。ダニではないがヤマビルをむしり取って、あとが化膿(かのう)した山仲間がいた。リアルな一句が歳時記にある。〈壁蝨(だに)の口肉に喰(く)い込み根づきおり〉北山河。取りにくいときは病院に行くのが賢明らしい▼駅売りの新聞に「殺人ダニ」と見出しが躍っていた。新型インフルエンザも地震もそうだが、むやみに恐れず「正しく怖がる」ことが大切だ。春の野を歩く前に、知識と予防策で身を固めて。
2013年2月24日(日)付
 かつて岸信介(のぶすけ)首相は、ワシントン入りしたその日にアイゼンハワー米大統領とゴルフを楽しみ、一緒にシャワーを浴びた。翌日からの会談で、両者は安保条約を改定する方向で合意、岸が「政治生命をかけた大事業」が動き出す。1957(昭和32)年6月のことだ▼首相になって4カ月、岸は対等な「日米新時代」を掲げていた。アイクは大戦の英雄、自らは元戦犯容疑者という仲ながら、「個人的信頼、友情関係」が力になったと回顧録にある。裸の付き合いが効いたと▼岸・アイク会談の重みは望めぬにせよ、安倍首相もオバマ大統領との顔合わせに期するところがあったのだろう。昼食を含め2時間。祖父が心血を注いだ日米同盟の「完全復活」を宣言してみせた▼もっとも、米側の関心は文言より実利とみえる。コメなどの関税を守りたい日本をTPP交渉に引き込むべく、「聖域」の余地を残した共同声明に応じた。回りくどい悪文は、交渉の結果によっては例外もあり得ると読める。これで日本の参加が固まった▼首相の記念講演の題は「ジャパン・イズ・バック」。強い日本が戻れば、東アジアの安定や日米関係に資するとの信念だ。アベノミクスへの自信ゆえか、おどおどした昔の面影はない▼アイクの時代、米国の懸念は東西冷戦だった。経済で独り立ちを図る日本を庇護(ひご)したのは、ソ連や中国への対抗策でもあった。安倍政権の幸先の良さを認めた上で思うのは、3世代を経ても変わらない、極東の冬景色である。
2013年2月25日(月)付
 快晴とはいえ気温5度。北国の人には笑われそうだが、氷で頬(ほお)をなでられるようなビル風である。超高層が青天を突く西新宿の都庁前から、3万6千人が街へと走り出す。震えながら思った。東京マラソンは、見るより出るに限ると▼きのうの大会は、7回目にして初めて「世界のメジャー」として催された。ボストンやロンドン、五輪など8レースの成績を2年ずつ集計、男女それぞれの首位に50万ドル(約4700万円)が贈られる▼賞金が全てではないにせよ、大会の魅力は増し、男子には2時間4分台の記録を持つ猛者4人が出た。結果は大会新記録にとどまったものの、生中継する国が増え、五輪招致に動く東京にはスポーツ都市を宣伝する機会ともなった▼地下鉄で銀座に先回りした。沿道の鳴り物と声援はひとしおだ。マラソン大会は、寒風を切り裂くランナーと、彼らに熱風を送る人垣の合作だと知る。東京の「もてなし心」は、柔道の暴力沙汰、五輪のレスリング外しに抗する一矢になるかもしれない。お家芸の暗雲はいくらか晴れようか▼晴れといえば、東京から富士山を望める日が半世紀で5倍に増え、ここ2年は130日前後に達しているそうだ。数々の公害対策や排ガス規制で大気が澄んだ上、乾燥が進んで霧が出にくくなったらしい▼都市の魅力は、積もる歴史と集う人々、そこに満ちる空気が醸し出す。一都民として、五輪に金を使うのなら……とも思うのだが、なるほど東京には、祝祭に足る器量はある。
2013年2月26日(火)付
 ひとつの花を眺める心も、国によって違う。朝に開いて夕方しおれる槿(むくげ)は、日本では儚(はかな)さの象徴とされる。だが、お隣の韓国の人々は、苦難をしのいで発展していく民族や国の姿をこの花に託した。知られるように国花である▼一輪一輪は短命でも、一つの木として見れば次々に咲いて秋まで果てることがない。だから韓国では無窮花(ムグンファ)と呼ぶ。かの国の朴正熙(パクチョンヒ)元大統領は、長女の名前にその「槿」を入れた。字典と首っ引きで選んだそうだ。きのう就任した朴槿恵(パククネ)大統領(61)である▼親子2代も女性も、韓国大統領で初になる。むろん七光り抜きには語れない。だが父母を殺され涙をからした半生は、乳母(おんば)日傘(ひがさ)のひ弱さとは無縁らしい。天下国家は男の仕事、とされがちな儒教文化圏で殻を破った強靱(きょうじん)さはなかなかのものだ▼世論調査の支持率はあまり高くないようだが、ものは考えようでもある。期待はいつも失望と道連れだ。前任の李明博(イミョンバク)氏は期待が大きかったぶん散々で、最後は竹島上陸の愚挙で存在を叫ぶしかなかった。貧して鈍した感が強い▼日韓関係は呪文のように「未来志向」が言われながら、思うように進まない。暖まったかと思えば、寒の戻りの冷え込みが繰り返されてきた。歴史と領土の問題で、新大統領も甘い友ではありえまい▼槿に戻れば、韓国の人は日本の植民地支配をしのいだ歴史を、この花に重ねたとも聞く。海峡の波は高い。行き交う言葉が日韓新政権のもとで未来に向くか、どうか。よく見守りたい。
2013年2月27日(水)付
 メンデルスゾーンの第4交響曲は、晴朗さにみちた旋律でファンが多い。「イタリア」と名づけられた曲の出だしは、あの国の紺碧(こんぺき)の海や、ぬけるような青空を思わせる。曲名を聞いてメロディーが口をつく方もおいでだろう▼作曲家はドイツ北部に生まれた。南欧を旅して光を浴び、情緒に心洗われるさまが曲から伝わる。その青空が、今はかき曇り、欧州に不安の雲をなびかせている。総選挙の結果、イタリア政治は袋小路に陥ったようだ▼財政危機を抱えて緊縮策を進めてきたが、失業や不況に国民はあえいだ。不満の海に、ベルルスコーニ前首相率いる勢力が「露骨なばらまき公約」を投げ込んだ。たちまち政情は混沌(こんとん)となり、選挙がすんでも新首相を選べない状態だという▼市場は即座に反応してユーロが売られ、円は大きく高値に振れた。グローバル時代の地球は狭い。アベノミクスがイタリアの暗雲でしぼむやもしれない。影響は真っすぐに海を越える▼思えば、おおらかで緩い南欧的な情緒とは対極の方向へ、世界は突っ走っている。ギリシャやイタリアを「キリギリス」にたとえながらも、では「アリ」がそんなに偉いのかと問うてみたい気持ちが、胸の内になくもない▼とはいえ、在日20年というイタリア人建築家グラッセッリ氏が本紙で述べていた。「『最後は何とかなるだろう』という根拠のない楽観主義もどこかにあって、危機に陥った」と。イタリアに限らない。生き方と気の持ちようの難しい時代である。
2013年2月28日(木)付
 通勤電車のマスク顔は、風邪か、花粉症か。一難去ればまた一難の季節の変わり目、潤む目鼻に春めく喜びも中ぐらいな2月の言葉から▼東日本大震災から2年の日が近づく。岩手県大槌町の寺に納められる梵鐘(ぼんしょう)の火入れ式が滋賀県のメーカーであった。住職の大萱生良寛(おおがゆうりょうかん)さんは「犠牲者を悼む鎮魂の鐘にと考えていたが、希望の見える鐘になればという気持ちが芽生えた」。3月11日の法要で被災した人たちが突き初(ぞ)めをする▼「原発さえなければ」「ごめんなさい」と書き残して命を絶った酪農家の家族が損害賠償の裁判を起こす。妻の菅野バネッサさん(34)が涙で言う。「お父さんは悪くないのに、何でごめんなさいなの」▼天井が崩落した山梨県の笹子トンネルが約2カ月で全面開通した。遺族のひとり石川信一さん(63)が「中央道は大動脈で、開通を急ぐのは十分わかる。ただ、あまりにも早い」。何ごともなかったかのように、9人死亡の現場を車が行き交う▼「これからの日本は、スピードの落とし方を本気で考えなければ」と言うのは藤本智士さん(38)。遅いことやミスをとがめ合う時代に一石をと、大阪のおおらかなニュースを集めた壁新聞を始めた。「『かまへん』というゆるさを取り戻したい」▼名古屋の街をSLが走った。機関士の青山智樹さん(34)の言葉がいい。「人間がつくった乗り物で、一番人間に近い。しんどそうに坂を上ったり、楽に走ったり」。人間らしくやりたいナ――古い妙句がふっと浮かぶ。
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查看完整版本: 朝日新聞・天声人語 平成二十五年(二月)