朝日新聞・天声人語 平成二十五年(四月)
2013年4月1日(月)付360万年も前の家族の姿が復元されている。タンザニアの遺跡で見つかった猿人の足跡の化石をもとに、父母と子の3人が歩く様子を造形した。表情のモデルには、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史さんがなった▼東京・上野の国立科学博物館で開かれている特別展「グレートジャーニー人類の旅」の呼び物の一つである。猿人から進化したホモ・サピエンスは、約6万年前にアフリカから世界に散り、約1万年前に南米の最南端に到達した。その遥(はる)かな旅路を会場で追っていると、粛然とさせられる▼砂塵(さじん)舞う乾燥地帯にも、零下40度の極北の地にも、人類は進出した。標高3千~4千メートルの高地にも熱帯雨林にも。長い時間をかけて肌の色や体形を変えたり、その風土ならではの暮らしぶりを編み出したりしながら、過酷な環境に適応していった▼展示の監修者の一人、探検家の関野吉晴さん(64)はかつて、南米からアフリカへと先人の偉業を逆の方向で追体験した。各地で出会った先住民は、自然の恵みに包まれつつ自然を畏(おそ)れながら生きていた▼傲(おご)りにとらわれた現代文明は危機にあるかにみえる。いまさらまねはできなくても、先住民の知恵は私たちを深い省察に誘う。その一端も伝える展示の副題は「この星に、生き残るための物語。」という▼きょう、若い人々が門出を迎える。皆さん、どうかよい旅を。思い通りにならないことも多いだろうが、関野さんは書いている。「一歩一歩ってすごいなと思う」
2013年4月2日(火)付
春を彩る黄色い花、レンギョウの名をもらった「連翹忌(れんぎょうき)」はきょう、高村光太郎の命日をいう。彫刻家で詩人の光太郎は九代目市川団十郎にほれ込んでいた。「明治の劇聖」と呼ばれた人で、東京の歌舞伎座をゆるがぬ存在にした立役者である▼「団十郎は決して力まない。力まないで大きい」と光太郎は称賛した。若い頃、団十郎の舞台に入りびたったというから、初代の歌舞伎座に通ったのかもしれない。時は流れて、五代目となる歌舞伎座がきょう、こけら落としの幕を開ける。光太郎も喜んでいよう▼光る黒屋根から「二日初日」の赤幕が垂れる。わが職場とはご近所だが、見慣れた四代目の面影とほとんど変わらない。歌舞伎の殿堂、象徴としての先代の踏襲が、根っこの考え方にあったそうだ▼設計した建築家の隈研吾(くまけんご)さんは、完成した建物を「役者と観客に生命を授けられ、ずっと生きてきた存在のよう」と言う。三つの世紀をまたいで、幾多の名演が客を歓呼させ、客もまた役者を育ててきた▼建て替えの3年間に、歌舞伎界は悲報に揺れた。人間国宝3人が相次いで他界し、脂の乗り切った中村勘三郎さんや十二代団十郎さんという大看板まで欠けた。涙をぬぐい、底力が試されるときだろう▼江戸の昔には、観客の熱狂ぶりを「小屋も崩るゝばかり」と表したそうだ。折しも東京は花の季節。新しい舞台に立つ老練円熟の芸と、若い瑞々(みずみず)しさで、歌舞伎座も崩るるばかりに酔わせてほしい。一番の供養になるはずだ。
2013年4月3日(水)付
調べてみると、1947(昭和22)年のきょう、プロ野球に初めて女性の場内放送が登場した。やがてテレビでも美声を聞けるようになる。「4番・サード・長嶋」――このアナウンスほど、時代の記憶とともに、今も残響を放つ声はあるまい▼長嶋選手が引退するとき、小欄は書いている。「だれにでも愛される、幸福な人だ。子供たちの憧れになり……若い娘さんにも中年の女性にも好かれる。その女たちより、男たちにもっとほれられる」。世間には「巨人ぎらい」も少なくないが、背番号「3」は誰にも惜しまれた▼それから39年、長嶋茂雄さんに国民栄誉賞が贈られる。松井秀喜さんと2人、元巨人の監督と選手の師弟受賞である。弟子は師を慕い、師は弟子をいとおしむ、互いの喜びの弁がいい▼松井さんの好漢ぶりは、在米中に同僚の運動記者からよく聞かされた。個人よりチームを第一にする姿勢を、「背中の名前より、胸の名前のためにプレーする選手だ」とほめていた。その真摯(しんし)さは大リーグのファンも引きつけた▼なぜ今か、なぜ2人か、などといぶかる声もあるという。だが長嶋さんは、まだ貰(もら)っていなかったのを驚く人もいる。そんな師に、育てた愛弟子(まなでし)の引退がまたとない機をもたらした。人は一人で生きるにあらず、である▼貰った人は偉いにせよ、貰わない人がダメなわけではない。あれやこれやと話題にして、皆で楽しめばいいと思う。授与する側には思惑もあろうから、それとは一線を画しながら。
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