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朝日新聞・天声人語 平成二十五年(三月)

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发表于 2013-3-1 15:52:01 | 显示全部楼层 |阅读模式
2013年3月1日(金)付
 2月生まれの人には申し訳ないが、この月が短いのを喜ぶ人が寒地には多いようだ。新潟育ちの詩人堀口大学もそのひとりで、「太陽暦の作者は雪国に親切だった」と言っていたのを前にも書いた。2月が尽きれば、「待ちに待たれた3月が来る」と▼東京あたりでも、今年はその感が強い。雪国はひとしおだろう。青森の酸ケ湯(すかゆ)では積雪が566センチを記録した。走り高跳びの世界記録はとうに超えて、棒高跳びのそれに迫る。だが、きょうから3月、弥生(やよい)である▼〈カレンダーめくると春が迸(ほとばし)り〉ときのうの朝日川柳にあった。そのとおりに暦の写真は一気に春めく。菜の花が揺れ、桃が咲いて、遠くには雪解けの山なみ。定番の春景色が、冬のモノトーンの殻を割る▼雪深い地方でも3月の声を聞けば、きょうはきのうの冬ならず、の気分になることだろう。幼い春に、老いる冬が少しずつ道をあけていく。雪崩や落雪への警戒は怠れまいが、つららが日差しにとけて、きらきら滴(したた)る明るさはいい▼〈弥生ついたち、はつ燕(つばめ)海のあなたの静けき国の便(たより)もてきぬ、うれしき文(ふみ)を……〉とイタリアの詩人ダヌンツィオはうたう(「燕の歌」上田敏訳)。春を迎える喜びは、いずこの国も変わらない▼だが、そのあとに〈弥生来にけり、如月(きさらぎ)は風もろともに、けふ去りぬ〉という一節があって、2月はどうも不遇である。浅い浅い春を、冬の底から育ててくれた月である。その背中を見送りながら、人と自然は新たな時へと歩む。
2013年3月2日(土)付
 「五里霧中」はよく知られた四字の熟語で、親切な辞書には「五里夢中は誤り」と注意書きがある。さらに丁寧な辞典には「ごり・むちゅう」と区切って読むのは誤り、とある。正しくは「ごりむ・ちゅう」だと。中国の「後漢書」に、その五里霧なるものは出てくる▼張楷(ちょうかい)という在野の学者は、道術を使って五里四方に濃霧を発生させた。人を避けたいときは霧の中に姿を隠したそうだ。時は流れて、その張楷も驚くような中国の大気汚染である。一昨日は今季初の黄砂も加わり、北京の街は黄色く沈んだ▼視界不良で高速道路が閉鎖され、屋外の活動を控える指示も出された。北京だけでなく、汚染の深刻なエリアは日本の面積の数倍におよぶとも聞く。現代の公害の脅威は、五里霧の故事の比ではない▼風に乗って、とばっちりは東へ進路をとる。汚染物質に黄砂がまじり、迷惑の二重奏に韓国も戦々恐々らしい。スギ花粉に作用して症状がひどくなる恐れもあるそうだ▼終戦の2年後、中秋の名月を眺めて、小欄は「来年の今月今夜はモクモクと出る煙突の煙で思いきり曇らせてみたい」と書いた。焦土からの復興を願ってのことだ。どの国にも、昇る煙が繁栄の証しのような発展途上の時期はある▼その後の日本の公害と反省は、説明不要だろう。中国は世界第2の経済大国になった。自他の国の環境と健康への責任を、五里霧に隠れて頬被(ほおかむ)りでは許されない。藍天(らんてん、青空)を守るべし。なりふり構わぬ発展から、舵(かじ)を切って。
2013年3月3日(日)付
 この朝を、ひな人形と迎えたお宅も多かろう。女の子の幸せを祈る桃の節句は、公家から武家、庶民へと広がったという。東京・三井記念美術館の「三井家のおひなさま」展で、豪商の家系に伝わるひな飾りを見た▼17世紀の伊勢商人を祖とする三井家は、江戸に出した呉服店と両替商から財閥を築き上げた。代々の夫人や娘たちが愛(め)でた段飾りには、四畳半を埋めるほどのものもある▼名のある家から三井各家に嫁ぎ、母となり、娘たちを名家に嫁がせる。一族内での婚姻も少なくない。始終を見守った人形の、雅(みやび)だがどこか悲しげな白面(はくめん)に向かい、ふと思った。今どき女性の幸せとは何だろう▼内閣府によると、「夫は外で働き、妻は家を守るべし」と考える人が全年代で増えている。特に20代は男が3年前より21ポイント増の56%、女も16ポイント増の44%と、30~50代を上回る支持率だ。若者の保守化というより、妻も働かないと暮らせない現実の下で、漠たる憧れが表れたらしい▼フルタイム労働の給与差は縮まったとはいえ、いまだ女性は男性の7割。昇進などで壁を感じ、専業主婦に「転職」を図る人もいる。「女の老後が貧しいのは、生涯にわたる不利益の総決算」と喝破したのは評論家の樋口恵子氏だ。世を代えて、桃花に祝された頃からやり直したい人もいよう▼〈結婚は夢の続きやひな祭り〉夏目雅子。少子化の日本は、女性と高齢者の力を生かすほかない。きょう一日、家庭と職場の両方で女性が輝ける社会を考えてみたい。
2013年3月4日(月)付
 中国の古典は「アリの穴から堤も崩れる」と教える。英語では「小さな水漏れ穴が巨船を沈める」と説くらしい。金科玉条に見えた原則も同じく、一つの例外から滅ぶ▼戦闘機のF35が武器輸出三原則の例外となった。敵レーダーが捉えにくい新鋭機は、日本企業を含む国際分業で生産され、第三国への移転は米国に任される。周辺国と緊張関係にあるイスラエルに日本製部品が渡り、戦争を支えることもあろう▼三原則を緩め、安保で近しい国との共同開発を認めたのは野田内閣だ。安倍内閣は、国際紛争を助長しないという輸出の前提を取り払った。民主と自民の骨抜きリレーに、防衛産業は喜びを隠さない▼安倍首相は憲法を変えて、自衛隊を国防軍にするという。次は集団的自衛権、ついでに非核三原則もという勢いだ。誇るべき平和国家のブランドが色あせていく。このまま「普通に戦争ができる国」まで落ちてしまうのか▼なるほど、大戦の反省から生まれた憲法は普通ではない。だが先進的な理想主義は、世界が追いつくべき「良き例外」である。「米国に押しつけられた」憲法とそれに基づく国是を、「米国と共に責任を果たすため」に改める……一人二役の米国も忙しい▼国際常識が通じない中国が台頭し、核は拡散、テロも絶えない。だからといって、日本までが兵器の競争に手を染めることはない。現実に合わせて理想を傷めては、人類の進歩はおぼつかない。がんこ一徹の平和国家が、一つぐらいあってもいい。
2013年3月5日(火)付
 「雪の博士」として名高い中谷宇吉郎は北海道大学で長く教え、研究を重ねた。「雪は天から送られた手紙」という詩的な言葉を残したが、手紙の届き方には様々な状態がある。北海道の荒野の吹雪の景色ほど陰惨なものはない、とも書いている▼「背の高いポプラの木が吹き折られそうに曲がり、人も馬も雪の中に埋まり、暗澹(あんたん)たる灰色の四囲(しい)の中をただ雪のみが横なぐりに吹いてほとんど水平に飛ぶ」と『雪雑記』(朝日選書)にある。2日から3日にかけて北の大地には、そんな風雪が想像を超える激しさで吹き荒れた▼馬ならぬ車が、雪の中に次々に埋まった。雪と寒さに慣れたはずの地である。しかし9人が落命した。「40年住んでいるがこんなのは初めて」という証言が、白魔のむいた牙の凶暴さを物語る▼岡田幹男さん(53)は車を捨てて道を求め、9歳の娘を抱くように力尽きた。父一人、子一人だった。小さな命のともしびは守られたが、近くの家までわずか70メートルという距離が、何ともやりきれない▼豪雪地の生活を伝える江戸期の名著「北越雪譜」に、似た話がある。夫婦が赤子を連れての道中、天候急変で猛吹雪に遭う。夫婦は死んだが子は母の懐に守られて生きていた。助けた者たちは、親子の姿に皆泣いたという▼自らの体温だけを頼みに吹雪をついた時代、雪慣れた人々も往々、白い世界で落命した。文明は進んだが、脅威はおおもとでは変わらない。天からの手紙の、指にふれる冷たさを思ってみる。
2013年3月6日(水)付
 このあいだに続いて堀口大学にお出まし願う。仏文学の翻訳で知られる氏に、批評家グールモンの短章の訳がある。その一文をかつて読み、ノートに書きとめた。「女を悪く云(い)う男の大部分は或(あ)る一人の女の悪口を云って居るのである」▼卓見だと思う。人はごく狭い知見や印象で全体を語りがちだ。だから文中の「女」は何にでも取り換えがきく。たとえば若者、オジサン、アメリカ人、医者、新聞記者……そして生活保護受給者もまた、しかりではないだろうか▼去年、お笑いタレントの母親の受給問題をきっかけにバッシングが起きた。あれなど、一人を悪く言うことで全体をあげつらう一例だったろう。働かない、ギャンブルで浪費している、といった後ろ指も、一部への批判が全体への色眼鏡になっているようで気にかかる▼行きつくところと言うべきか、兵庫県小野市が議会に条例案を提出した。受給者がパチンコなどで浪費しているのを見つけた市民に通報を義務づけるのだという。耳を疑ったがエープリルフールにはまだ間がある▼筆者と違う意見もあろう。だが、そもそも誰が受給者なのか一般市民には分からない。効果は疑わしいうえ、小野市だけでなく全国で色眼鏡が濃くなりかねない▼生活保護の切り下げについて、受給する女性が声欄に寄せていた。「受給者は楽しみを持ってはいけないのでしょうか。貧しい気持ちを持ったまま、暗く生きていかねばならないのでしょうか」。身に染(し)む声ほど小さく震える。
2013年3月7日(木)付
 季節は違うのだが、〈百人の蕎麦(そば)食う音や大みそか〉という古川柳がふと頭に浮かんだ。浮かんだのは、きのうの通勤電車の中だった。ここまで読んでピンときた方もおられようか。思い切って大げさに、その場のさまを表せば、〈百人の鼻すする音や花粉症〉となる▼新聞が読める程度に混む車内で、両隣と背後に立った人がひっきりなしにズズとやっていた。あの列車だけで、ずいぶん多く「悩める者」を運んだことだろう。筆者もその一人だが、春の憂鬱(ゆううつ)は関東から西でいよいよ盛りに入ったようだ▼1日の最高気温が15度を超すと、飛散量は一気に増える。テレビの情報番組も「花粉もの」が盛りだ。杉林から煙のように舞い上がる。春の命の壮観だが、悩める者には敵軍の総出撃にしか映らない▼当方はいつも1月末から身構える。今季、鼻は予防薬が奏功するも目は苦戦ぎみ。〈目のふちが世界のふちや花粉症〉山口優夢。涙で視界を潤ませながら、おそらくは「同士」による、あわれを誘う一句を思い出したりする▼今は涼しい顔の人も、油断しない方がいい。当方も8年前までそうだった。ある年ある日、鼻がムズムズする。仲間入りのサインである。無症状でもなるべく花粉は吸わないのが賢明らしい▼春めいたきのう、公園で辛夷(こぶし)の花芽がびっしり光っていた。田打ち桜の名を持つ花は一樹を白く飾るように咲く。花粉症は恨めしいが、春はやはり待ち遠しい。百の花々の北へのリレーも、号砲の鳴る日はもう近い。
2013年3月8日(金)付
 イソップに「ロバと蛙(かえる)」の寓話(ぐうわ)がある。ロバが沼で足を滑らせ、倒れて起き上がれなくなった。泣きわめく声を聞いて沼に住む蛙が言うには、「ちょっと倒れただけでそんなに泣くのなら、俺たちほど長いことここで暮らしたら、一体どうしただろうな」▼古い寸話を、沖縄県の仲井真知事の一昨日の発言に重ねてみた。「オスプレイの訓練の実態が、(本土の人たちに)少しはおわかりいただけるのではないか、という気がします。街の真ん中の普天間基地を中心にして毎日のように動き回っとるんですよ、と」▼米軍機オスプレイが本土で初の低空飛行訓練を行った。それを受けての発言である。控えめな言葉の内に「沖縄のマグマ」が沸々とたぎる。世界一危険と言われる普天間などの基地と隣り合わせに、人々は暮らしてきた▼低空を飛ばれた四国で、各県知事が「不安」を語ったのは当然だろう。そうした不安は沖縄では日常だ。かねて沖縄の人は「小指の痛みは全身の痛み」と訴えてきた。しかし本土の側の無関心は変わらなかった▼この1月、オスプレイの配備に反対する沖縄の首長らが東京を行進した。そのとき、「いやなら日本から出て行け」と言う者が沿道にいたそうだ。沖縄の女性のやりきれぬ投書を、東京新聞で読んだ▼沖縄はかつて対米戦の「捨て石」となり、戦後は不沈空母さながらの「要石(かなめいし)」となって翻弄(ほんろう)されてきた。島の歴史と現在への想像力を持ってほしい。仲井真知事の言葉は、静かに叫んでいる。
2013年3月9日(土)付
 職場の屋上から眺めると、ビルの街に隅田川がゆったり光っている。春のうららの……と歌われる季節も近い。思えばそんな春先、3月10日の未明に隅田の川面は死者で埋まったのだった。約10万人が非業の死を遂げたとされる東京大空襲から、あすで68年になる▼きのうの朝日小学生新聞で、当時14歳だった画家、吉野山隆英さん(82)の話を読んだ。隅田川につながる北十間川(きたじっけんがわ)にも遺体が折り重なって浮いていた。いまは東京スカイツリーの足元を走る川である▼思い出すのがつらくて、吉野山さんは空襲の絵を描けないできた。70歳を過ぎて初めて描いた。天をつくツリーが完成に近づいた一昨年には、北十間川の記憶を絵にした。あのできごとを忘れないでほしい――風化にあらがう筆は重々しい▼悲惨な戦争の歴史でも、無差別爆撃は最悪のものだ。米軍は戦争末期、日本の主要都市を軒並み炎に包んだ。犠牲は数十万人にのぼるが、広島や長崎に比べて語られる機会は少ない▼東京大空襲では爆撃機B29が279機飛来し、3時間足らずで下町を焦土にした。戦中派には恨み重なるB29を、昨今の若者は濃い鉛筆のことか?と問うそうだ。話半分に聞くにせよ、いまや戦後生まれがほぼ8割を占めるのは事実である▼移ろいやすい人の世だが、忘れてならぬものがある。11日には大震災から2年がめぐる。その前日の3・10も伝え続けたい。天災と戦争は違うけれど、奪われた命の無念は変わらない。胸に刻む両日としたい。
2013年3月10日(日)付
 「底魚(そこうお)たちの悲しみ」を書いたのは去年の2月である。大海を泳ぎ回る仲間と違い、海底に棲(す)み着く魚は環境に身を任すしかない。水が汚れれば同じように汚れ、海が死んだら事切れる▼先ごろ福島第一原発の専用港で採れたアイナメから、1キロあたり51万ベクレルの放射性セシウムが出た。基準の5100倍、過去最高の値である。事故現場や周囲に積もった放射性物質は海に至り、食物連鎖の先で口を開ける底魚にたまる。悲しみはいよいよ深い▼宅地や農地の除染は雪に阻まれ、福島県土の7割に及ぶ森林の浄化はめどが立たない。なお15万の県民が避難先で暮らし、古里に戻る望みは薄らいでゆく。山海を汚し、住民を苛(さいな)む放射能のしつこさに比べ、人間の忘れやすさはどうだろう▼全原発の停止を目ざす民主党の方針を覆し、安倍政権は再稼働に前のめりだ。安全より経済成長に重きを置くかのように、政府の審議会から脱原発派が次々と外されている▼最終処分地が定まらない使用済み燃料、放射性廃棄物について、脚本家の倉本聰さんが毎日新聞で語っていた。「ごみを出すことに慣れきり、反省がなくなった……未来というごみ箱に核のごみを捨てているわけです。それでは我々の子孫はたまらない」▼原子力への姿勢は、つまるところ自然や未来への畏怖(いふ)が決めるのかもしれない。きのう東京であった脱原発集会には、以前より少ないが結構な数が参加した。この2年、畏(おそ)れの感度を保てた人々だ。強風が太くする幹もある。
2013年3月11日(月)付
 歳月は気まぐれなランナーに似ている。のんびり流しているかと思えば、一転、歩を速めて移ろいもする。ひと続きの時の大河に、私たちのささやかな命は浮き沈み、現れては消える。震災被災者にとって、恐らくは激流のような2年が過ぎた▼いや、時は止まることもある。宮城県名取市の会社員、桜井謙二さん(38)の悲嘆を本紙で読んだ。妻(当時36)と長女(同14)次女(同10)を、マイホームもろとも津波に奪われた▼「みんな復興へと動いている。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっています。そんな気持ちを口にすることも難しくなっている」。自宅跡の更地にたたずみ、3人との日々をただ感じているという▼〈そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべて終わったと知ったあとにも/終わらないそのあとがある〉。谷川俊太郎さんが先ごろ、本紙夕刊「今月の詩」の最終回に寄せた「そのあと」だ。絶望を生き抜く者への励ましが、静かに胸に迫る▼〈そのあとは一筋に/霧の中へ消えている/そのあとは限りなく/青くひろがっている/そのあとがある/世界にそして/ひとりひとりの心に〉。桜井さんの時間も、やがて、ゆっくりと動き始める▼先は見えない。だが見えずとも先はあって、被災者も、寄り添う国民も「そのあと」を生きてゆく。犠牲者は「私たちの分まで」と声をからしていよう。三回忌を区切りにできる人ばかりではないが、今は前を向きたい。
2013年3月12日(火)付
 絆(きずな)に続いて世にあふれるのは再の字である。生活の再建、産業の再興、地域の再生……。これらは深く結びつく。人がいなければ商いができず、街は生き返らない。他方、病院や学校のない土地に人は帰らない▼2年前の震災は、もともと過疎と高齢化が進む地方を広く襲った。「阪神」との違いである。流出した人口はたやすく回復せず、若い世代ほど戻りにくい。仮にそれが地域の未来図だったとしても、津波が歳月を早送りした形だ▼国土を強くすると言うけれど、無人の地を守る大堤防に意味はない。三菱総研の白戸智さんが語る。「元に戻せば、そこからまた衰退が始まるだけ。消費地と直結した農水産ビジネスなど、地域再生の先進モデルにすべきでしょう」▼みんなで復興を考える時に、人かコンクリートかといった単純化は無用だろう。「民主党政権の初動がひどかった」「原発を乱造したのは自民党だ」。そんな後ろ向きの「内輪もめ」もいい加減にしたい▼「確かなものがどこかにあって、そこに身を委ねていれば大丈夫という感覚が消えた」。青森・恐山(おそれざん)の禅僧南直哉(みなみじきさい)さんの言葉である。あるのは、しなければいけないことの山山山。南さんは「政治家は『できること』『したいこと』しか言わない」と、為政者の覚悟をただす▼東北の再起は、人口減の日本が生きる道を探る先例となる。前向きに捉えれば、白紙から別の絵を描く機会でもある。ならば、自分のこととして考えたい。未来図は、まだ描き直せる。
2013年3月13日(水)付
 洋画の吹き替えなどで知られた野沢那智(なち)さんは、マイクの位置からこだわった。おはこのアラン・ドロンを演じる時は画面に向かって左端。他の声優陣に斜めに背を向け、うつむき加減になる。「この姿勢じゃないと、彼の孤独な、センチメンタルな雰囲気がうまく出ない」▼声だけの演技には、研ぎ澄ました感性が要る。話術を超えて、演者や配役への思いが声色に出るらしい。83歳で亡くなった納谷悟朗さんもそんな役者だった。俳優の自覚ゆえ、声優と呼ばれるのを嫌った▼ごつい岩のような濁声は地ではなく演じたもの。40年近くやった「ルパン三世」の銭形警部は憎めぬ三枚目に、チャールトン・ヘストンなら頼れるリーダーに聞こえた▼好みは洋画より「声の芝居ができる」アニメだという。初期の銭形は原作通りの二枚目風だったが、クールなガンマン次元(じげん)大介と重ならないようズッコケ調に。自在に対応できたのは、人物を一から作っていく舞台経験のお陰と顧みる▼「舞台をきちっとやるべきだと思いますよ、声優さんも……ラジオドラマだけやってた人だって、ちゃんと芝居やってたんですからね」。ベテランたちの独白を集めた『演声人語(えんせいじんご)』(ソニー・マガジンズ)にある▼18年前の春、声仲間、山田康雄さんへの弔辞は語り草だ。「おい、ルパン。これから俺は誰を追い続ければいいんだ」。銭形の怒声は涙で震えた。その宿敵と、にぎやかに再会した頃か。「ここまで追っかけて来ちまったのか、とっつぁん」
2013年3月14日(木)付
 春の光に誘われて、寅さんで知られる東京の柴又を訪ねた。帝釈天の墓地にある石碑に「天明三」の字が浮かぶ。230年前に、浅間山大噴火の犠牲者を弔ったものだ。泥にのまれ、利根川や江戸川に流された遺体はこの辺りまで運ばれた▼泥流に埋まった村が、群馬県で発掘された。悲劇の跡をとどめる家屋、酒蔵、磁器や煙管(きせる)が見つかっている。専門家は「貧しい山村という先入観が覆された」と評価するが、この遺跡も八ツ場(やんば)ダム建設で水没する▼民主党政権の下、八ツ場は公共事業のあり方を問い直す現場となった。だが、華々しい「中止宣言」は工事続行を求める声にかき消され、ぶれる民主党のシンボルと化す。難読の地名を全国区にした騒ぎは、ずいぶん昔に思える▼住民が甘んじて水没に従うほどの過疎や、60年前の計画をだらだら進めることの是非は深く論じられなかった。ダム本体は未着工でも、6千億円に近い費用の大半は周辺工事や補償に消えた。止めるには大きすぎる、ということか▼水の確保も、大雨への備えもこれさえあれば安泰。そんな「ダム神話」が息を吹き返したかにみえる。古い付き合いの有識者を頼みに、国交省は公聴会などでガス抜きと宣伝に余念がない。原子力に負けず、こちらのムラもしぶとい▼「ダムから日本のポンペイを守れ」。先日、学者や文化人が遺跡の保存を訴えたが、大きな広がりはない。血税の使い道を考え直すチャンスが、天災の歴史もろとも水底に沈もうとしている。
2013年3月15日(金)付
 アメリカ大陸が「発見」された1492年は、イベリア半島からイスラム勢力が追い出された年でもある。宗教的な熱狂の中、宿願を果たしたスペインは先行するポルトガルを追って新世界へ漕(こ)ぎ出す。目的は金銀、そしてキリスト教の布教だった▼コンキスタドール(征服者)たちは、先住民が築いた文明を滅ぼし、中南米を「カトリックの大陸」にした。世界に11億人とされる教徒の4割が、今ここに暮らす。その現実を映した結論でもあろう。266代目のローマ法王に、初めて「新大陸」の出身者が選ばれた▼アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)で、フランシスコ1世を名乗る。約600年ぶりに「生前退位」した前法王(85)に続き、その名も宗教史に刻まれる▼保守派と改革派の間を取った人選らしい。新法王をあえて分類すれば、サッカーとタンゴを愛し、バスで通勤する庶民派とか。「友人の枢機卿たちは、世界の果てまで(法王を)探しに行ってしまった」と、第一声も柔らかだった▼果てとは言わないまでも、バチカンを遠く離れた旧スペイン植民地からの就任である。片やポルトガルが支配したブラジルは、今や最大のカトリック国。キリスト教の重心が大西洋を渡り、南に下った印象だ▼新大陸の「分割」を巡り、スペインとポルトガルを仲介したのも当時のローマ法王だった。新天地で信者を増やし、500年後の頂上人事でその子孫を教会につなぎとめる。昔も今もしたたかな組織である。
2013年3月16日(土)付
 男子は金メダルが遠く、女子は体罰に揺れる柔道界。わずかに変わらぬのは有段を示す黒帯の重さぐらいか。初心者は白を黒にしようと道場に通う。さてこちらの「白から黒へ」を祝うのは誰だろう▼日銀の新体制が国会で承認され、白川方明(まさあき)総裁(63)の後には財務省OBの黒田東彦(はるひこ)氏(68)が就く。新旧の総裁は、福岡の出身で東大卒、お名前の読みが難しいなど共通点が多い。だが、金融界の景色は一変しそうだ▼さらさら流れる白い川から、どろり濁った黒い田へ……ではない。目下の難局には、政府の意思を市場に分からせる腕っ節が要るらしい。政治が見込んだ黒い田んぼに、黄金(こがね)の穂が実る日が待たれる▼安倍首相の注文は、思い切った金融緩和と年2%のインフレ目標、すなわち、アベノミクスの忠実な先兵になることだ。白川氏は渋々従ってきた印象だが、黒田氏はもう首相と一心同体の風で、目標達成のめどは「2年ぐらい」と踏み込んだ▼円安で株価が上がり、内閣支持率は高い。怖いものなしの安倍さんに、盾突く動きは自民党内にない。そこを見計らい、首相はTPP交渉への参加も表明した。復活から80日、思い描いた以上の首尾に、当人はすでに黒帯気分かもしれない▼講道館で近代柔道を興した嘉納(かのう)治五郎(じごろう)は、晩年「帰一斎(きいつさい)」を名乗った。帰るところは一つというこの雅号、どれほど段を上っても、心には「永遠の白帯」を締めよと読める。怖くなるほど調子がいい時は誰にせよ、まずは謙虚を心がけたい。
2013年3月17日(日)付
 奈良・東大寺二月堂の「お水取り」は関西地方に春の訪れを告げる。夜を焦がす籠松明(かごたいまつ)の写真が本紙に載った日、大阪本社版の社会面で気がかりなニュースを読んだ。奈良公園の観光名所、猿沢池を囲む枝垂(しだ)れ柳に謎の枯死が相次いでいるという▼青々と約30本あったのが、10年ほどで3分の1に減ったそうだ。猿沢池といえば、池越しに興福寺五重塔を望む風景で名高い。水ぬるむ春には柳の若葉を水面(みなも)に映して光っていた▼猿沢池と柳は切っても切れない。その昔、帝(みかど)の寵愛(ちょうあい)をなくした采女(うねめ=女官)が世をはかなんで入水(じゅすい)した。そのとき柳に衣を掛けたという伝説も残る。県も捨て置けず原因調査と対策に乗り出す。緑を早く取り戻してほしいものだ▼桜が春の花なら、柳は地味ながら春の緑を代表してきた。〈見わたせば柳桜(やなぎさくら)をこきまぜて都ぞ春の錦なりける〉。三十六歌仙のひとり素性(そせい)法師の一首は、平城京ならぬ平安京の春景色をうたって華やぎを伝える▼いまの都に目を移せば、東京の銀座かいわいでは柳が浅緑色に萌(も)えてきた。都心の桜もきのう開花した。観測史上最も早い記録に並ぶという。寒かった冬の罪ほろぼしか、春の巻物絵師は各地で急ぎ足である▼きょうは彼岸の入り。暖地なら「寒さも彼岸まで」だが、北国では雪を踏んで墓参りという所もあろう。南から北へ、この国の長さを思ってみる。柳が茂り、花は咲き匂う。春の美しさをたとえる柳暗花明(りゅうあんかめい)の色合いに、ほぼ2カ月をかけて列島は染められていく。
2013年3月18日(月)付
 「占領は終(おわ)った。六年八カ月間の長い長い占領は終った」と1952(昭和27)年4月28日の小欄は筆を起こしている。末尾は「占領よ、さようなら」の言葉で締めくくった。独立という、戦後の新しいステージへの静かな高揚が伝わってくる▼サンフランシスコ平和条約が発効したその日、日本は主権を回復した。同時に沖縄、奄美、小笠原は本土から切り離された。沖縄ではその後20年にわたって米軍統治が続くことになる。「屈辱の日」として記憶されてきたゆえんである▼平和条約をめぐって、国論を分かつ議論が起きたのはよく知られる。東西の両陣営と講和するか、米国など西側だけとの講和か、である。世論は沸騰した。しかし「日本」とは本土だけを指し、沖縄は忘れられていた▼それから61年、「主権回復の日」の式典なるものを政府が初めて行うそうだ。沖縄から反発の声が上がったのは当然だろう。復帰後も基地は集中し、治外法権的な地位協定は残る。今なお「占領よ、さようなら」と言えずにいる人は少なくあるまい▼「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言う。その通りだろうが、4・28は沖縄などを「質草(しちぐさ)」にしての主権回復だった。沖縄では日の丸も自由に掲げられなかった▼安倍さんの祖父の岸信介氏らは条約発効に伴って公職追放が解かれている。それはともかく、沖縄への想像力を持たずしてこの日は語れない。万歳三唱で終わるなら、やる意味もない。
2013年3月19日(火)付
 オレンジ色と青の取り合わせは互いを引き立てる。こうした関係を色彩学で補色(ほしょく)と呼ぶそうだ。青空へ噴き出し、海面に映えるその炎は、なるほど爽快この上なかった。日本の技術陣が1週間にわたり、愛知沖の「燃える氷」から天然ガスを取り出した▼水深千メートル、その地下300メートルほどに広がるメタンハイドレートの層。水とメタンの「シャーベット」までストローよろしく井戸を掘り、ガスを船に導いた。海底からの採取は例がない▼「ガス田」は静岡から紀伊半島、九州沖に横たわる。日本海側を含め、近海には世界屈指の埋蔵量があり、うまくやれば天然ガス消費の100年分を賄えるという。いわば庭先に埋まる大金だ。何より、隣国にお構いなく掘り出せるのがいい▼日本のエネルギー自給率は水力中心に5%足らず。原発事故による電力不足を火力で補う今、国産エネルギーへの期待は募る。生産コストや回収法など壁は高いが、米国が沸くシェールガスのように、官民で実用化を急いでほしい▼太平洋のガス田は巨大地震の巣と重なる。その南海トラフが暴れれば、最悪220兆円の経済被害を伴うという。昨夏の「死者32万」に続く怖い想定である。恵みの海が、たちまち呪いの海に化けたのは2年前だった▼不毛の砂漠に石油が眠り、貧困と戦乱のアフリカにはダイヤモンドや金が埋まる。あらゆる地にバランスシートがあるのなら、日本は太平洋に無限の貸しがある。自然を畏(おそ)れつつ、正当な恵みは追い求めたい。
2013年3月20日(水)付
 自動車レースのF1は、機械と人間が限界に挑むスポーツである。両者の「呼吸」がわずかでもズレると、リタイアではすまない悲劇を招く。4歳でハンドルを握った天才も例外ではなかった▼1994年5月のサンマリノ。アイルトン・セナは高速コーナーで壁に激突し、不帰の人となる。享年34。彼の41回の優勝のうち、実に32回がホンダ製エンジンでの勝利だった。すでにF1から撤退していた同社だが、ゆかりのマシンを展示して「音速の貴公子」を悼んだ▼ホンダが再び、F1エンジンの開発を始めたという。4度目の挑戦である。英国の名門チーム、マクラーレンに提供する話もあり、セナを擁して無敵を誇った「マクラーレン・ホンダ」の復活があるかもしれない。白と赤のマールボロカラーを思い出す▼ホンダが知り尽くすサーキットでの栄光と挫折は、市販車の開発に生かされる。来季からすべてのF1マシンが載せる小排気量ターボエンジンの技も、環境対策などに活用できるらしい▼セナが「日本の父」と慕った本田宗一郎は、自ら出場するほどのレース好きだった。半世紀も前に「クルマはレースをやらなくては良くならない」と断じている。この会社に脈打つ激走への情熱は、時を得て、間欠泉のように噴き上がるとみえる▼撤退や縮小のニュースが目立つ日本の産業界では、とんとご無沙汰の復帰話である。それも華のあるモータースポーツの最高峰だ。技術立国の意地を賭けて、また限界に挑んでほしい。
2013年3月21日(木)付
 リーダーは心して選びたい。イラク戦争から10年の節目に思うのは、一国の指導者の覚悟と責任だ。米軍4487人、イラクの民間人12万人。どちらかの大統領が別人ならば、消えずにすんだかもしれない命である▼イラクでは今も、市民が爆弾テロに倒れている。独裁者とその一味を退治する代償としては重すぎる。あの戦争で巨額の財政負担を抱えた米国は、内向きに転じ、中国の台頭を早めることにもなった▼イラクが大量破壊兵器を隠し持つという前提が、そもそも虚構だった。だが、当時の小泉首相は即座に開戦を支持した。官房長官だった福田康夫氏は「我々も、情報は特別にあるわけじゃない。それが最大の問題だった」と語る▼「小泉首相独特の政治判断というか、どうせ支持するなら早くしたほうが日本をたくさん売れる、という気持ちがあったんじゃないかな」。日本は対米追従にとらわれ、大義なき戦争に加担してしまった▼米国の同盟国でも、ドイツやフランス、カナダは開戦に反対した。わが国に欠けていたのは、情報より外交そのものだと思う。国際協調を軸に、あまねく目配りの利いた自主の外交である。どこで間違えたのか、日本はどれほど「売れた」のか、小泉氏自身が語る時だろう▼「良い戦争と悪い平和は、あったためしがない」。アメリカ建国の父の一人、B・フランクリンの至言である。あの戦争が正しかったと言い張る人は、100ドル札の彼に対面してもらいたい。笑ってはいないはずだ。
2013年3月22日(金)付
 NHKがラジオ放送を始めたのは、1925(大正14)年のきょうだった。聴取者は日中戦争前に大新聞の読者数を超え、この新メディアは国策の宣伝を担うことになる。破局に至る熱狂は、朝日などの大手紙とラジオの共作といえる▼マスコミの戦争責任を自問する「NHKスペシャル」によると、放送の活用は、演説を拍手や歓声と共に伝えるヒトラーに倣ったそうだ。「耳から心に響き、戦意高揚につながった」との解説に、苦い思いで頷(うなず)いた▼対象は大人に限らない。昭和初めから戦中、「子供の時間」という番組が毎夕流された。内容を知らせる月刊誌「ラヂオ子供のテキスト」を、東京の収集家三澤洸(ひかる)さん(78)が見せてくれた▼たとえば昭和13年11月の「支那(しな)の軍隊」。〈抗日排日の支那人には一歩もひけを取らず、ぴしぴし懲らしめて正しい道に立ち帰るよう……〉と高圧的だ。「銃後の少国民」なる言葉もよく出てくる。少年少女は、立派な臣民になろうと思ったに違いない▼盛衰を経たラジオの実力が、震災で見直された。手軽に送受信でき、非常時には情報の交差点にと期待される。在京大手は、都会では聞きづらいAMからFMへの転換を思案中という。いざという時の役割を心得ての策だろう▼ネットを含め、メディアの真価は「社会の逆境」で試される。扇動の洪水は国を過つが、一片のお知らせが多くを救いもする。世が一色に染まらぬよう、確かな情報を選び取る力を養いたい。そんな放送記念日もいい。
2013年3月23日(土)付
 北の先住民の中には、雪の色をいくつかに言い分ける人々がいるそうだ。豊かな氷雪の文化は、白さえも「薄切り」にしてしまう。ならば、日本人の目が利く色はどのあたりだろう。春の花に振り分けられる、白から赤にかけての一帯とにらんだ▼まずは紅白の両端を梅が固め、間を椿(つばき)や桃が埋める。そして今、南の花道から現れた桜前線が舞台の真ん中にどっかと座り、北上の間合いを計っている。赤と白の間には、灰桜、撫子(なでしこ)、珊瑚(さんご)色、薄紅梅(うすこうばい)など、和色の名が目白押しだ▼きのうの朝、近所の庭木でウグイスを聴いた。気象庁が発表した通り、桜並木はほぼ満開である。関東までの開花がいつになく早いのは、冬がきっちり寒く、春がしっかり暖かいためらしい。気温のめりはりが、桜を揺り起こす▼本来めでたい花だが、明るく咲きながら、せかされるように散る様が、かつては兵士と重ねられた。同じ営みがあの春以来、改めて鎮魂の色を帯びる。人と苦楽を共にしてきたこの花木に、私たちはもろもろを託す▼〈目を閉じて、ありったけのピンク色を思い出してみる〉。小欄を任されて間もなく、母の日にそう書き出したことがある。〈ありがとうは、何色(なにいろ)でもいい〉と。移ろう季節に寄り添い、はや七つ目の春。思い浮かぶ花色はずいぶん増えた▼〈どんみりと桜に午時(ひる)の日影かな〉惟然(いぜん)。「ありがとう」がよく似合う花の下、今年も浮かれる人がいて、祈る人がいる。淡くかすんで、桜色としか言いようのない花の下で。
2013年3月24日(日)付
 ミセス・ワタナベが舞い戻ってきたのだという。実在する人物ではない。13年前の小欄が英誌エコノミストの一節を引用している。「ミセス・ワタナベ、それはどこにでもいる日本の主婦。一家の財布を握り、大胆不敵に投資する」▼海外の金融関係者やメディアが日本の個人投資家をいうときの符丁のようなものか。いまでは女性と限らないらしい。多少リスクのある商品でも果敢に手を出し、利ざやを追う。それがミセスの特性である▼しばらくひっそりしていたその人たちが、株や為替の世界で再び動き出している。英紙フィナンシャル・タイムズが先日、そう報じた。アベノミクスの効果が「トリクルダウン」し始めて、利にさとい人々の背中を押しているのだ、と▼この片仮名言葉、小泉改革時代によく聞いた。お金持ちを大切にし、より儲(もう)けられるよう取りはからえば、持たざる者にまで恩恵が滴り落ちてくるという理屈だった。結果はどうだったか。企業はともかく家計が前より潤った実感はあったか▼このところ景気の復調をうかがわせる話が続く。地道に資産形成に励んでおられる方々には朗報だろう。言祝(ことほ)ぐべきところかもしれないが、またぞろ世はマネーゲームの時代かという先案じと抱き合わせでもある▼米国の経済学者ガルブレイスは、資本主義は暴走を繰り返すと警告した。しかも災厄の思い出は長くは続かない。20年もすれば熱狂が装いも新たに再来する、と。われらがバブル崩壊の痛みの記憶はいかに。
2013年3月25日(月)付
 いささか意地悪く言えば、名大関とは横綱になれなかった力士である。だが、なったものの「へぼ横綱」と腐(くさ)されるよりは名大関の方が味わい深い。むろん最高位である横綱に「名」や「大」がつけば、土俵入りにも後光がさす。この人の存在は、いまやゆるぎない▼荒れた春場所、白鵬は他を引き離して13日目に優勝を決めた。通算24回は史上4位タイで北の湖に肩を並べる。憎らしいほど強いといわれ、負けると喝采がわいた昭和の大横綱である▼これで37場所連続の2桁勝利となり、歴代1位の北の湖にここでも並んだ。中日(なかび)の勝ち越しは26度目で、最多だった横綱千代の富士を抜いた。めったに取りこぼさぬ強さは揺るがぬ山を思わせる▼千秋楽でも偉業を果たした。9度目の全勝優勝は、極めつきの大横綱、双葉山と大鵬を超えて1位になる。白鵬が敬愛してやまない両力士である。「2人の上に立つことは、恐縮ですけど光栄です」。上気した顔から謙虚な喜びが口をついた▼74年前、69連勝の双葉山を負かした安芸ノ海は「オカアサン、カチマシタ」と郷里に電報を打ったという。平幕が横綱を破る金星の、誇らしさの極みだろう。金星の歓喜は横綱の強さに比例する。たやすく負けない存在は、下位の力士にどれほど励みになることか▼〈やはらかに人分け行くや勝角力(かちずもう)〉几董(きとう)。きのう花道を引きあげる白鵬は、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)として、肩に散りかかる桜を見るような思いがした。孤高の強さを脅かす若手を、あとは待ちたい。
2013年3月26日(火)付
 英首相だったチャーチルが訪米してホワイトハウスに泊まったとき、入浴中のドアをルーズベルト大統領がノックした。チャーチルはタオルを腰に巻いてドアを開けながら、言ったそうだ。「イギリスの首相は、アメリカの大統領に隠すようなことは何一つありません」▼さて今の時代、チャーチルのように「丸裸」で悠然となれるだろうか。肉体ではなく、個人情報のことである。ネットショップ、IC乗車カード、クレジットカード、携帯、あれやこれや、日常の様々な行動が電脳空間に記憶されている▼日々積もっていく情報の蓄積は、詳細かつ膨大だ。一つ一つは断片でも、誰かがつなぎ合わせれば、たちまち私生活は丸裸になる。腰に巻くタオルさえ、はぎ取られるかもしれない▼電子の網に絡まりながら人が生きる時代に、「共通番号法案」の審議が国会で始まった。国民全員に生涯不変の番号をふり、所得や年金などの個人情報を国が管理する制度である。利点はわかるが、心配ごとも少なくない▼想像してみよう。将来、民間にも番号利用が広がった場合、顧客管理や保安などのために、各所で番号の提示を求められることもあろう。そうすれば一挙一動の情報がこの番号にぶら下がることになりはしないか▼番号を合鍵に、ある日、風呂場のドアが突然開くかも知れない。なりすまされる不安もある。国の管理が「監視」に化ければ、それはそれで恐ろしい。問題の多さに比べて議論と周知は足りるのか、気にかかる。
2013年3月27日(水)付
 心臓が強いなと感心する。一票の格差をめぐる違憲判決が相次ぎ、国会議員も少しは神妙にするのかと思いきや、おとなしい人ばかりではなかった。裁判所に真っ向からかみつく猛者もいた▼自民党のベテラン中谷元氏が、先週の衆院憲法審査会で主張した。「国会が決めた選挙のあり方について、違憲とか無効とか、司法が判定する権利が、三権分立上許されるものか疑問だ。立法府への侵害だ」。続けて、最高裁の判断がおかしい時にはおかしいと言うために国会の中に審判所なりを設けよ、とも述べた▼国会のつくった法律が憲法にかなっているか否か、最高裁があとから吟味して決める権限を違憲審査権という。それで争いを一件落着とする仕組みだが、いや、もう一度蒸し返させろというわけなのだろう▼お山の大将はこっちだぞと、駄々をこねている感なきにしもあらず。「国権の最高機関」に属する選良たちは誇りが高い。国民から直接選ばれているわれわれは、裁判官や官僚とは違う。それはその通りなのだが、その選ばれ方が問われている▼司法も行政もそこのけそこのけ、といわんばかりの議論は以前からあった。国会のやったことを裁判所が憲法違反だというなら、憲法の方を変えてしまえばいい。そのためにも96条の定める改憲のハードルを下げなければならない、というように▼そんな乱暴な発想も、96条改正論の底には隠れている。権力分立や「法の支配」といった憲法の根幹が損なわれかねない話である。
2013年3月28日(木)付
 美空ひばりが熱唱した「柔(やわら)」は、荒っぽい手合いに目もくれぬ3番が聞かせる。♯口で言うより手の方が早い馬鹿を相手の時じゃない……。柔道界の不祥事に、ひばり節が浮かんだ人もいたようだ。普通に聞けば「馬鹿」はごろつきやチンピラをさす▼だが深読みもできる。わが身に巣くう「馬鹿」である。腕力まかせに無理を通し、道理を引っ込ませる。柔道家であればこそ、そうした愚かさは心して封印せよ――と。なのに、と言うべきか。女子の指導をめぐる暴力沙汰は、愚を丸出しにしたような醜態だった▼監督らは、聞くに堪えない言葉で選手をののしってもいた。昔からのシゴキ体質を言う声もある中、柔道界の暴力根絶を山下泰裕氏が担うことになった▼ロス五輪の金メダリストで、全日本柔道連盟には切り札だろう。「全柔道家の力をいただいて暴力を一掃する」の言に期待したいが、何せ連盟は古沼のようによどむ。新たに助成金の不正疑惑も明るみに出ている▼昨今は、何かあると猫も杓子(しゃくし)も「第三者委員会」となる。免罪符さながらだが、当事者に自浄能力がなければ、いっとき清い水を注いでも沼は澄むまい▼東京五輪で優勝したヘーシンクは、歓喜したオランダの関係者が畳に駆け上がるのを手で制止した。敗者への気遣いだった。ロス五輪の決勝でエジプトのラシュワンは、山下の痛めた右足をわざとは狙わずフェアプレーに徹した。私たちが柔道で聞きたいのは、こんな話。愚かで薄汚れた話ではなく。
2013年3月29日(金)付
 長年の思い込みを新しい知見や情報によって打ち砕かれる経験は快い。学校で教わり、試験用にせっせと暗記したことが、必ずしも唯一の真理ではなかったと後に知る。学びに終わりはない▼例えば日本史年表に「徳川家康、江戸幕府を開く」とある。そうだねと思う。ところが、時の中央政府を幕府と呼ぶことは当時きわめて希(まれ)だったという。ふつうには「公儀」といった。しばしば「朝廷」とも呼ばれた。京都のことだと思いがちだが、違う。京都は「禁裏(きんり)」などと称された▼「幕府」とは江戸後期、反徳川の勢力が用いた「政治用語」だったのだという。徳川政権を皇室の権威の下に位置づけ、やや軽くみる意味合いが含まれる、と。こうした見方は、渡辺浩・東大名誉教授の『東アジアの王権と思想』に教えられた▼歴史は日々、新たな研究によって手直しを受ける。その成果は学校での教え方にも影響をおよぼす。2014年度から高校生が使う日本史教科書に、これまでの「常識」を疑う記述が続々盛られたと、東京で読んだ本紙夕刊にあった▼あの聖徳太子が実は存在しなかったのではないか。後に生み出された架空の人物ではないか。そんな説を紹介した教科書もある。門外漢には驚きの論争が、若く柔らかい頭脳にどんな刺激を与えるだろう▼歴史教育は難しい。歴史認識の違いは政治問題にもなる。争いがあるなら争いとして触れる。史実を究める試みには限界もあるということなら教えられるし、学びがいもある。
2013年3月30日(土)付
 池の水面(みなも)に浮かぶ桜は、花筏(はないかだ)と呼ぶには少し早い。満開のあとの花冷え。別れの季節はいそがしく過ぎ、新たな出会いを前に心も体もひきしまる3月の言葉から▼73歳の高坂(こうさか)守さんが名古屋市の夜間中学を卒業した。聴覚に障害があり、少年時代はほとんど学校に通えず、石職人として勤め上げたあと一念発起した。2年間、皆勤賞で学んで証書を受けた。「あっという間だった。職人時代は休んだら日当が減ったからね。休まんのは当たり前だわ」▼東日本大震災から2年、檀家(だんか)の約150人が犠牲になった気仙沼市の地福寺では虎舞が奉納された。住職の片山秀光(しゅうこう)さん(73)は「めげた。くじけた。それでも立ち上がりましょう。我々が震災を風化させてはいけない」▼一緒に津波にのまれた母を亡くした宮古市の高校生、山根りんさん(18)が政府主催の追悼式で述べた。「私はあの日より、少しだけ強くなりました」。新たな春に、首都圏の大学へ進む▼後見人がついたために選挙権を失ったダウン症の女性に、司法が投票を認めた。東京地裁の定塚(じょうづか)誠裁判長は「どうぞ選挙権を行使して、社会に参加してください。どうぞ胸を張って、いい人生を生きてください」。人間を見ぬ、政府の控訴が情けない▼現代短歌新人賞を受けた高木佳子(よしこ)さんは福島県いわき市に暮らす。〈深くふかく目を瞑(つむ)るなり本当に吾(われ)らが見るべきものを見るため〉。かんじんなことは目に見えない――「星の王子さま」の至言を、胸の内に呼びさましてみる。
2013年3月31日(日)付
 あまたの別れを残して、春がたけていく。出会いなくして別れなし。出会いを悔やむほどの感傷ではないが、小欄との別れは過去の異動とは別物である。最後に、忘れ難き方々について少しばかり▼茨城のNさんご夫妻。3年前、樹木葬を巡る拙文が縁で、お嬢様の埋葬祭に参列した。34歳で乳がんに倒れたその人は、母親として男の子に走り書きを遺(のこ)していた。「いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ」。大丈夫、ご覧の通りです▼本人が望んだローズマリーと共に、山桜が墓所を守る。満開を待つ胸中を、お便りで知った。「その時は、私ども二人に安らぎをくれるこの場所で、娘に『ありがとう』と祈りたいと思っています」▼東京の「葉(よう)画家」Gさんは気力を筆先に集め、植物の細密画を描く。病と闘いながら、江戸野菜に向き合う日々。近着のメールに「私にとって1月8日は『いい葉の日』です。人生で最も記憶に残る喜びの日でもあります」とある。5年前、彼女を取り上げた日をありがたく思い出した▼岡山県倉敷市で食堂を営むM子さん。ほぼ毎日、感想を絵はがきで送ってくれる。柔らかな観察眼には多くを教えられた。優れた読み手の存在は、当コラムの誇りである▼大震災を挟み、新一年生が小学校で送る6年を、ここに注いできた。文筆に卒業はない。厳しくも温かい恩師である読者との交流を糧に、外へと踏み出したい。東京は残花を惜しむ週末。ひとひら風に舞って、この国を、また好きになる。
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